5月代表コラム:AI時代に考える、「知る」とは何か

暮らしの学校だいだらぼっちでは、毎年5月のゴールデンウィークに作業合宿を行います。だいだらぼっちは、毎日のお風呂の燃料に加え、冬の薪ストーブや登り窯にも薪を使うため、膨大な量の薪が必要です。こどもたちだけでは賄いきれない、薪を割る・運ぶ・積むといった作業を、保護者やOB・OGの方々に手伝ってもらう大イベントです。

合宿では、斧で割れる大きさのものを、薪割りが得意なこどもやOB・OG、保護者など約10人がひたすら割り続けます。どうしても割れない大きなものは薪割機で処理し、それらを決められた場所に積み上げていきます。やることは単純です。しかし、点在している薪をトラックに積んで集めて運び、また積んだり、大量の薪をリレーで運ぶ作業は、普段力仕事をしないお父さんお母さんにとっては想像以上の重労働です。朝8時に始まった作業は、夕方5時頃になんとか終了。「こんなにガチの作業だと思わなかった」とため息まじりにこぼしながらも、やり切った達成感に包まれていました。

 

以前、大学のゼミ合宿で森林整備を行ったことがあります。伐倒され、2〜3メートルほどに切られた丸太は、重さにして200kgほどもある大木でした。それをトラックに載せる必要があったのですが、どう考えても人の力で動きそうにはありません。学生たちの間にも「無理だろう」という空気が流れました。それでも「一度みんなで力を合わせてみたら」と挑戦してみたところ、見事に持ち上がったのです。そのとき大学生が口にした言葉が印象的でした。「力を合わせるって、こういうことなんだ!」

 

これまで彼らは「力を合わせよう」と、学校や部活動などで何度も言われてきたはずです。そして、その意味もわかっているつもりだったのだと思います。しかしこの体験を通して、力を合わせることで思いもよらない力が生まれるということを、本当の意味で腑に落ちて理解したのではないでしょうか。

 

ゴールデンウィークの作業合宿も、大学のゼミも、体を通して知るのは「薪の重さ」です。けれど教えてくれるのは重さばかりではなく、力を合わせる本質であったり、大変な作業も一緒にやれば楽しさに変わること、力を寄せ合うことで想像を超えることができるということ、そして山から薪を運び出す苦労や、小さな体で薪を運ぶこどもたちの日々の想像や、木が生えていた森に思いをはせることです。そこには、実感を伴った学びがあります。

 

孔子の言葉に、次のようなものがあります。 「之れを知るを之れを知ると為し、知らざるを知らずと為せ。是れ知るなり」 (知っていることは知っているとし、知らないことは知らないと認めること。これこそが真の知である)

 

今や新聞やテレビで「AI」という言葉を見ない日はありません。簡単に答えや知識が手に入る時代です。だからこそ、誰もが「知っている」と思い込みやすくなっています。その思い込みは、自分の視野の狭さに気づかせず、他者に思いをはせる心を育ちにくくしてしまいます。

 

本当の意味で「知る」とは何か。体験を通してしか得られないものがあります。しかし、そのことすら、体験を通してしか理解できないのです。まるで無限ループのようですが、だからこそ、単純ですが「毎日自分の力で暮らす」というだいだらぼっちの場には意味があると感じています。