だいだらぼっちの卒業生インタビュー たくお(1990年参加)

遊びつくした経験が、今でも「とりあえずやってみよう」という行動力につながっている。

だいだらぼっちの卒業生、保護者にインタビューするこの企画。第一回はたくおです。名古屋出身、1990年に小学4年生で参加。大学卒業後、建設関係の仕事に就き、現在は泰阜村の隣の飯田市にIターンして2010年よりリンゴ農家をはじめています。だいだらぼっちの暮らしがどんな影響を与えたのか?聞いてきました。

―だいだらぼっちに参加を決めたきっかけを教えてください

参加したのは小学4年生の時。当時、中日新聞でだいだらぼっちのことが連載されていて、母親が「一回、行ってみない?」と。遊びに行くような感じで来たのが最初だった。だいだらぼっちに住んでいるこどもたちとすぐに仲良くなってずっと遊んでいて、とにかく楽しかった。名古屋でもよく友達と遊んでいたけど、暗くなったり、親との約束の時間には帰らなくちゃならないから、学校から帰ったら友達と遊んで、しかも帰らないで一緒にいられる!というだけで、とにかく楽しそうで、その日に「だいだらぼっちに行く」と決めていた。

―だいだらぼっちでの生活はどうでしたか?

見学に行ったときと同じでずっと遊んでいた(笑)。小学4年生で一番小さかったこともあって、ご飯づくりとかは「あいつらまたいない」みたいな感じで、逃げるのも許されてたんじゃないかなと思う。

学校帰りは、まっすぐに帰らないで猟師が歩くような山道を2,3時間かけて遊びながら帰っていたのを今でもよく覚えている。相談員のむさしやギックにめちゃくちゃ怒られた(笑)。

―家族と離れてさみしいことはありませんでしたか?

友だちと遊んで楽しんでいたから親のことを思い出すことがほとんどなかった(笑)。でも1年も折り返しを過ぎただいだらぼっち祭り(11月頃行うイベント)か、来年度継続するかどうかを決める時になって、急に家族に会いたくなって、そこからホームシックになったんだよね(笑)。でも最後の最後、引継会(だいだらぼっちの入学式と卒業式をあわせた会)の時に、やっぱり帰りたくない!と後悔したのを今でも覚えている。

―名古屋に帰って、だいだらぼっちとのギャップはありましたか?

名古屋の元々行っていた学校に戻って、1年間いろんなことをやってきた自信があるから、やる気満々で。早速学級委員長に立候補したら、先生から「よくわからない子がやるのはどうだろう」と言われて。結局、投票になって落ちた。あの時はひねたな~(笑)。

―今振り返って、だいだらぼっちの暮らしはどんな影響を与えていますか?

ひたすら遊んだ1年間で、楽しいことをやろうという気持ちとか、何かをしようという時の行動の軽さを培ったと思う。いろいろ考える前に、「とりあえずやってみよう」という行動力は、だいだらぼっちで暮らしたおかげだと思うし、やっぱりリンゴ農家にチャレンジしたこともここが原動力になっている。

実は1年で帰ってしまったから、未だにだいだらぼっちに未練が残ってる。やりきった感がないんだよね。だからいつか山や畑が見えるところで暮らしたいという想いがあって。それがリンゴ農家になった理由のひとつだと思う。

あとは相談員の存在かな。大人もこどもも関係なく対等に話し合うこととか、こども扱いしない姿勢。誰にでも興味を持って話を聞いてくれるという、先生でも親でもない、なんていうか友達なのか仲間なのか、そんな立ち位置が好きだった。自分で今できているかわからないけど、そうありたいと思っている。

―これからの夢を教えてください。

「なんで農家をやっているの?」と聞かれないような仕事にしたい。他の仕事は「なんで?」って聞かれないでしょ?でも農家だと聞かれるんだよね。農家はなくなったら困る仕事。だから当たり前の仕事になるように、法人化して安定して働ける場所を作れればと考えている。誰でもできるリンゴ作りをして、参入しやすい形を作りたいと考えています。

ありがとうございました!
Iターンをしてリンゴ農家になるのは並々ならぬ覚悟です。その行動力は「遊び」から身につけたという話しが印象的でした。主体性や行動の原動力は遊びからはじまる「楽しさ」なんだと改めて感じます。

これからもだいだらぼっちの卒業生や保護者に定期的にインタビューして参ります。楽しみにしていてください。