だいだらぼっちの卒業生にインタビュー ウー兄(うーあに)(1991-1993年度参加)

当時身につけた知識・技術は今も覚えていて何かに繋がることがある。刃物の研ぎ方だったり道具の使い方だったり。生活に繋がることは、忘れないものなんだなと感じる。

だいだらぼっちの卒業生・保護者にインタビューするこの企画、今回はだいだらぼっち6期生のOBウー兄(うーあに)です。ウー兄は、だいだらぼっち六~八年目(1991~1993年度)に、中学1~3年生の三年間をだいだらぼっちで過ごしました。それではインタビュースタート!

ーこうちゃん、こんにちは!(みけはウー兄のことを当時からこうちゃんと呼んでいたのでそのまま呼ばせてください)早速ですが、自己紹介をお願いします。

1991年度から参加して、中学3年間をだいだらぼっちで過ごしましたウー兄(うーあに)です。現在はニチバン(株)の製造部門で働き、愛知県に住んでいます。家族は、妻・長男・長女の4人家族です。
就職と同時期にバイクレースを始めて、30歳以降は
全日本選手権を回るチームでサポートスタッフをしていました。
今はバスケット中心で、会社のバスケットボールチームに所属し、愛知マスターズリーグ(3部)のチームでプレイしたり、中学生に簡単な指導?をしたりしています。

ー今のお仕事に就こうと思った理由を教えてください。また、お仕事への想いもぜひ教えてください。

給料が良かったから(笑)。というのも、お金がないとバイクレースが出来ない。めちゃくちゃ費用がかかるのよ(泣)。会社に対する愛着や熱意はもう無いかな。色々疲れた。仕事よりもプライベートを充実させたいからね。あ、でもちゃんと真面目に働いてるよ。

ー先立つものは何をするにも必要ですからね。そのために働くのは立派な理由です!
お仕事で大変だったことや困ったことはありますか?また、それらをどう乗り越えてきましたか?

「怒らない」を実践することが、今でも難しいな、と思う。
感情を抑えて相手を説くって簡単に出来ないし、相手に理解してもらうには、相手に伝わる言葉を自分が持っていないとできない。言葉・表現を覚えるじゃないけど、月に2冊くらい文芸書を読んでたかな。

ー「怒らない」って難しいです、みけも。こうちゃんたちにもすぐ怒ってましたし(笑)。
そういえば、前にこうちゃんから湊かなえか誰かの本を薦められたことを思い出しました。きっとその頃ですね、本を読んでいたのは。確かにこうちゃんはだいだらぼっちにいた当時よりもだいぶ寛容になったと思います(笑)。
お仕事をしていてよかったと思うことや、一番の思い出などあれば教えてください。

サポートスタッフをやっていた頃、会社にスポンサー契約の交渉と企画・運営をしたことかな。大変だったけど良い経験になったよ。

ースポンサー契約って交渉するの大変そうですね。相手に利益かそれ以上の何か得るものがないとやってもらえないですもんね。大変そうだけど面白そう。
今のお仕事に就くまでに、こうちゃんが体験したことなどきっとたくさんあると思うので教えてください。

話せることだとバイクレースに関することかな。
18歳で「プロになりたい!」と 恒例の中二病が出たわけで…(笑)。30歳までは何があっても続けると決めて、小排気量のクラスでレース活動をしていました。ぶっ飛んで2回骨折したし、悔しい思いもしたし、人の生き死にも見届けてきたし…。草レースで3回だけ表彰台に立てたけど、才能の欠片も無かったから、全日本までは行けなかった。30歳からは、ライフワークで軽くやろうかなっと思ってた時に声を掛けて貰って、サポートスタッフを始めました。めっちゃ楽しかったけど激務だったね。
到着したら休憩なく設営やってって感じ。給料は昼飯晩飯と銭湯だけ(笑)、しかも交通費無し。めっちゃ勉強になったし、モリワキの開発車両(ボツ企画になったけど)にも関われたり、貴重な経験も出来た。

兄弟で参戦してるチームで、弟を担当(お互い次男だからで決定:笑)して、全日本以外にもタイの選手権やアジア選手権の国際レースも経験しました。その弟を担当したことで、化ける瞬間(才能が開花する時)に立ち会えたし、政治的な悔しさも味わったよ。二人は今も全日本や鈴鹿8耐を走ってます。

ーバイクレースを間近で見たことはないのですが、車のレースもそうだけど、かなりのスピードでみんな走っているから、ちょっとでも接触したりコースから外れたりすると大きな事故になってしまいますよね。特にバイクは周りを囲われていない分もろに生身の身体に衝撃を受けるわけだから、そのダメージは大きいように思います。サポート側も常にその危険とレーサーとを隣り合わせにしている責任もあるから技術的なこともメンタル的なことも、かなり負うものがありますよね。すごいなぁ…。
こうちゃんは結婚されていて、お父さんでもあるわけですが、家庭をもって自分の中で何か変わったことや気づいたことはありますか?

いや~すごいよね、結婚出来たことが(笑)結婚・出産を経て自分に変化が起きたかというと、何もない(笑) 嫁様にも聞いてみたら、「結婚してから今まで、何も変わらない自由人」だそうです。

ー変わらずにいることって意外と難しいですけどね。みけ的には前よりだいぶ素直だと思いますよ(笑)。
そんな奥様含めてこうちゃん一家はどんな一家ですか?PR含めて教えてください!

お気楽自由人一家(笑)→これは嫁様の感想です。
自分も嫁様も、何かあっても「まあいいか」で終了。6歳の長男は自由気ままやし、1歳の長女がどんな天邪鬼に育つか楽しみ。

ー天邪鬼前提なんですね(笑)。こうちゃんの血を引いてるからしょうがないか!?(笑)
さきほどプライベートを充実させたいと言っていましたが、何をどんな風に充実させたいですか?

平たくいうと、家族との時間とかを充実させるってことかな。それまで(結婚前後辺り)は、家でも仕事に関わることをしたり考えたりしてた。そこまで苦でも無かったし面白さもあったんだけど、「超えられない壁」ってやつがどうしても在るんだよね。組織の中にいると、「権限」が幅を利かす場面が出てくる。学卒に多いけど、「勉強は出来ても仕事が出来ない」が権限を持つと厄介なんだよね。その中でも、利己的でずる賢い奴が権限を持つと、どうにもならない。
完全に諦めたわけじゃないんだよね。本社でのし上がってる上司(という名の飲み仲間)がバリバリ仕事して体制を作ってるから、それまでは大人しくしてるのが現状かな。娘がめちゃくちゃ可愛いから、問答無用で仕事しないけど(笑)

ーこうちゃんは泰阜で出会ったお友だちと今でも繋がってると思うんだけど、だいだらぼっちに限らず泰阜はこうちゃんにとってどんなところでですか?

愛知県に住んでるからだけど、直ぐに行ける距離なんだよね。
感覚的には「隣町」。知り合いが居る感覚で、特別な何かはないね。同級生が飯田市内でケーキ屋をやってるから、ふらっと食べに行くし、ついでにだいだらぼっちに寄るかぁ…っていう位。「泰阜村」だけで考えると、田舎としてみたら住みやすいかな。豪雪地帯じゃないし。

ー泰阜の青年団に参画してくれていた時もあるけど、あの時はどんな気持ちで関わってくれていたのですか?

泰阜で成人式をやったんだけど、再会した同級生や後輩と色々盛り上がって、勢いで手伝いをやってた(笑)。当時は皆でワイワイ騒ぎたいよね、の一心で同級生とかと集まってた。

ーなるほど、それでもきっとありがたかったと思いますよ。夏祭りの青年団のブースにこうちゃんを見つけたときはびっくりした(笑)。
こうちゃんがいたころのだいだらぼっちはどんな感じでしたか?

今思うと凄く難しい時期だったと思う。ある程度のインフラが整っていたからね。自分が参加した初年度は本来の目的といえる「生活をまわす」を手探り状態で模索してたのかなと。まぁ色々とカオスだった(笑)。話し合いとかもカオスで、言論で相手をねじ伏せる風潮があった気がする。「正しい」「間違い」じゃないんだよね、相手を言い負かせたいが主になって、正論をその手段として振りかざす感じ。その結果、誰かが傷ついても知らないし、雰囲気もぐちゃぐちゃ。当時はモヤモヤしてたと思う。

ー当時の出来事で一番印象に残っていることは何ですか?また、面白エピソードがあったら教えてください。

おっさんになったせいか、思い出せないんだよね(笑)。中学三年間どころか、高校3年間も。何を考えて日々を生きてたか出てこない。植田(くうちょ)のエピソードも、そんな火に油な事を言った気がするけど、背景・結末は思い出せない。弟(大輔)に当時の自分はどんな奴と聞いたら「身内から見ても、痛々しい人」 痛いじゃなく痛々しい(笑)。祭りとか合宿とか断片的な映像では思い出すんだけど、誰かに言われて少し詳細を思い出すくらい。あ、でも風呂を修理したときのことは覚えてる。セメントの練り方とかロストルと空気の流れとか、色々勉強になったな。

ー普通に「ロストル」っていう言葉が出てくるあたりはだいだらっ子ならではですね(笑)。
だいだらぼっちでの暮らしは今のこうちゃんにどんなふうにつながってますか、あるいはどんなふうに位置づいていますか?

当時身につけた知識・技術は今も覚えていて、何かに繋がることがある。
音楽なら、えがわからギターの弾き方やテクニック、マンタロウからベースの魅力。音楽や楽器は、今もコミュニケーションツールとして繋がってる。
ギックから教わったことも多くて、刃物の研ぎ方だったり道具の使い方だったり。菊練り(陶芸の粘土の練り方)は今でも出来る(笑)。生活に繋がることは忘れないものなんだなと感じる。位置付けというか評価みたいなものだと思うんだけど、今のところは「何とも言えない」かな。年代や経験で見方・考え方があるから、良かったとも悪かったとも言える。ただ確実に言えることは、1年か2年で帰ってたら、ろくでもない人生・人間になっていたと思う。

ーそんなこともないと思いますよ。なんだかんだ言って根は真面目ですからね。
話しは変わりますが、こうちゃんが今夢中になっていることはありますか?

バスケットかな。今、中学生と一緒に練習しながら色々教えてるけど、人の成長を見るのは楽しい。縁あって日本代表レベルの選手と仲良くなって時々練習してるけど、彼を一瞬でも本気にさせるプレイをするのが、今の目標。

ー自分よりもレベルの高い人を本気にさせられるって燃えますよね!その日が来るのをみけも楽しみにしています。
それにしても、「人の成長を見るのは楽しい!」って、みけたちと一緒ですね。さっきも少し触れましたが、中学生の時と今とではこうちゃんもかなり違いますよ!みけたちはいつもみんなに楽しませてもらっているのです。ありがとう。
さて、そんなこうちゃんの夢を教えてください。

もう一度「バイクレース」をすること。いつか今のように体を動かせなくなった時、必ず「走りたかった」と思うと思うんだよね。自分の中ではまだ終わった感が無いから、今までの経験・技術、色んなものを総動員させて終わらせたいと考えてる。

ーその時はぜひお知らせくださいね!レース、見に行きたいです。
最後に今のだいだらぼっちのこどもたちにメッセージをお願いします!

通信を読んでると、色々やってるなぁと思うんだよね。あえて捻くれた感じで言うと、
「一度やめてみる」をやってほしいかな。

ーありがとうございます。こうちゃんらしいというか、捻くれてるって本人は言ってますけど、このメッセージにはいろいろ含みがありそうですね(笑)。きっとそれを考えることも含めてのメッセージだと思うので、敢えてここで掘り下げませんが、いろいろ聞きたい人がいたらみけまでどうぞ。こうちゃんに確認しておきますので。

初めて会ったのは夏のキャンプで、自分たちで作ったチャーハンがおいしくて好評で、だいだらぼっちに参加する前の祭りのバイキングでそのチャーハンを作ってくれたことを今でも覚えています。だいだらぼっちにいた当時は中二病真っ只中で、いがぐりかウニかっていうくらい尖ってたこうちゃん。でも卒業してからはいつもいの一番にだいだらぼっちの事や泰阜村のことを心配してくれて、何かあると「大丈夫?」と、必ず連絡をくれて、相変わらず優しくて面倒見がいいヤツです。子どもが生まれたら連れてきて顔を見せにきてくれる義理堅いところのあるこうちゃん。またいつかバイクで颯爽と現れるのを楽しみにしていますね!