「粘り強く向き合って出会えたこどもの姿」|2022教師・指導者育成プロジェクト~ふーみん2月の研修報告~

2月は、登り窯とだいだらぼっちの日々の中で、学んだことや感じたことを話します。

登り窯は、これまでこどもたちが作ってきた陶芸の作品を、足掛け4日間かけて薪をくべて焚く窯です。ずっと火を絶やすことなく焚き続けるので、数時間ごとに当番を交替して焚きます。

まずはその登り窯でのことについてです。

私は、学びの場では、「こどもたちと同じ土俵に立ち、伴走者として一緒に考えたり、感じたりする存在」が必要だと考えてきましたが、登り窯を通じて、「客観的な立場から、課題と向き合うきっかけ(知恵)を与えてくれる存在」が、新しい学びに出会わせてくれることを学びました。なぜ、この学びを得たのかというと、登り窯の当番中に、窯の現状の課題やそれを乗り越えるために考えるべきことと向き合ってない自分を知り、考え抜く意識が芽生えたからです。
また、登り窯を終えて振り返った時に、「五感を鋭く働かせて登り窯に挑むからこそ、登り窯の魅力や好きなところに出会える」ということを感じました。このように感じた理由は、登り窯の最中、「五感」よりも「頭で考える」ことを意識した結果、自分の言葉で登り窯を語ろうとすると、「難しい」と感じた経験は語れるけれど、登り窯の好きなところや魅力を語るには乏しい言葉になってしまうと感じたからです。

私は2月に登り窯をするうえで、「体験」ではなく「経験」まで落とし込み、自分の言葉で登り窯を語れるようになりたい、という目標を立てました。それは、登り窯を昨年度も経験したこどもたちからレクチャーを受けた際に、登り窯への強い気持ちを感じたからです。特に、「五感を使う作業」という言葉を聴いて、登り窯でどんな景色が見られ、どんな感覚を使うのか楽しみにしていました。最初の当番では、事前のレクチャーを思い出しながら、一生懸命に考えて登り窯と向き合おうとしていました。しかし、ものづくり教室の先生のまるちゃんに窯の現状と課題は何か、解決方法は何かを問いかけられたことで、初めて、「考えないといけない」と感じ、考えているつもりで何も考えられていない自分に気が付きました。最初の当番での経験を心に刻み、2回目以降の当番に入る時は、現状と課題を理解することや薪をくべるタイミングを逃さないことなど、頭を使うことが先行していました。

私は、まるちゃんからの問いかけをきっかけに、私なりに登り窯に興味をもって、「積極的に知ろう、行動しよう」と向き合った結果、登り窯を焚くことの難しさを学んだことが、新しい学びに出会った瞬間でした。一方で、感覚を研ぎ澄ませて登り窯を楽しむ気持ちが欠けていました。その原因は、「考える」が先行し、頭でっかちになったことです。「考える」が先行した分、苦労した場面や壁にぶつかった場面は鮮明に思い出し、その時のことを言葉で語ることはできるけれど、登り窯の魅力を上手く言葉にできないと感じます。こどもたちの、登り窯の景色を想像させるような、五感を使ったからこそ語れる言葉には敵いません。五感を使っての作業がしきれなかったことに悔しさを感じ、「もう一度やりたい」という気持ちが湧いてきた経験となりました。

次に、だいだらぼっちの日々では、こどもに「あなたのことをちゃんと見ている。気にしている。」というメッセージが届くと、お互い打ち解けられることができ、こどもにとって安心できる存在になれることを学びました。この学びを得たきっかけは、普段、相談員たちに気にされにくい、言葉や態度で表現することが苦手なこどもとの関わりの中で、今までは見えなかった相手の姿が見えた経験です。
 私は2月に、様子が気になる一人のこどもと、同じ係を通して関わることが多くなりました。その子は、係の話し合い中にふざけてしまったり、素っ気ない行動をとって、相手を突き放すような言葉を使ってしまったりすることがあります。その子の態度に納得できず、注意したり、諦めずに、集中して話そうと声をかけたりしていました。私の言葉の伝わらなさに心が折れそうになる時もありましたが、相手の考えを理解したい気持ちが捨てきれず、私が分かろうとしなければと行動していました。その子と関わり続ける中で、普段注意する行動とは裏腹な、周りの人たちと関わろうとする行動が見られました。なかなか進まない係の話し合いで仲間を気にして、「どうしたらまとまるかな…」と、私と2人の時につぶやいていたり、通信(だいだらぼっちのこどもたちが編集して作っている冊子)の原稿に書きたい熱い思いを語ってくれたりと、素直に自分自身の気持ちを伝えてくれました。私の行動が、その子の行動を突き動かしたわけではないけれど、私の「相手と関わり続けよう」という気持ちが少しでも伝わったのかと思います。そして、以前より、関わりやすい、話しかけやすい存在になれたのかと思います。
 私は、相手との距離感やどれくらい介入するかを気にして、相手にとって居心地が悪くないかをよく考えてしまいます。しかし、気になるこどもと関わり続けて、一歩踏み込んだ関わり方ができた経験から、対話の大切さを感じました。目まぐるしく流れる集団生活の日々の中でも、1対1での対話をすることで、相手の理解が深まることを学びました。

だいだらぼっちでの暮らしも、残りわずかとなりました。そこで、私がやりたいと考えていることは、だいだらぼっちの畑への想いと学んだことを引き継ぐことです。なぜなら、今年度畑作業に力を入れたからこそ、来年度は「0からのスタートにしたくない」という気持ちがあるからです。今年度は、土づくりや植える野菜のことについて、村の農家さんに教わったり、教わったことを実践したりして色んな経験を積みました。その中で、「畑が面白い」という気持ちが高まったり、みんなで収穫する作業を通して「作物を育てて食べる豊かさ」を感じたりしました。だからこそ、今年度積み重ねてきたことを引き継いで、そこから新たに試行錯誤できれば、より面白く、追究する気持ちを持って取り組めるのでは、と考えました。そこで、取り組み始めているのは、こどもたちと「畑ノート」を作ることです。今年度、取り組んだ畑に関することをまとめたノートを作り、来年度に活かしてほしいという想いで行動しています。このノートを作る中で、1年間でやってきたことを俯瞰して振り返り、一つひとつのつながりや暮らしの中で学んできたことと向き合って、自分の中に落とし込む3月にしたいです。

2月担当スタッフみけのコメント

2月の目標は登り窯を単なる体験ではなく経験にまで落とし込むこと、としていたふーみん。「経験に落とし込む」というのはどういうことなのでしょうか。ふーみんの言葉を借りれば、「自分の言葉で語ることができるようになる」ということ。でもそれだけではなく、「その言葉で相手の心が動くこと」というのがふーみんの思っていた「経験に落とし込む」ということなのだと感じました。
登り窯については、きっとそこまでたどり着けなかったことがふーみんに「悔しい」と感じさせ、「もう一度やりたい」と思わせたのでしょう。でも、日々のこどもとの関わりの中で学んだことや残りの時間の中でやりたいことを話してくれた時、聞いているみけにはこどもに一所懸命に語りかけているふーみんの姿が浮かんできたし、畑に対する情熱が、これでもか、というくらい感じられました。ちょうど登り窯のレクチャーを受けたとき、ふーみんが感じた「景色を想像させるような」言葉の持つエネルギーと同じエネルギーだと思います。
日々を丁寧に紡いできたふーみんが、一つでも多くの「人の心が動くような言葉で語れること」を持って帰れるように、残りの時間を最後まで貪欲に、「経験」を積んでいってほしいです。がんばれ、ふーみん!