友たれ永く友たれ ~急逝したハンドボールの仲間に~

今日は命日。

大学時代の体育会ハンドボール部の同期。
ゴールキーパーだった。

私の大学は当時まあまあ強かった。
4年間で全日本インカレにも2回出場できた。
2年秋のインカレ(愛知)では、彼は2年生で正ゴールキーパー。
1~2年の冬の死ぬほどつらい練習を想い出したら、今でも吐き気をもよおす(笑)
全国レベルと渡り合えるまでに鍛えてくれた鬼主将に感謝申し上げるしかない。
今の時代なら人権問題か!と想うような練習を、文句ひとつ言わずこなしていた彼。
いつも笑顔を絶やさず、周りに気を遣うことができる友だった。

7人一チームのハンドボール。
同期がまさかの7人。
実力主義の世界で、同期7人が同時に試合に出ることはさすがにない。
「この7人でいつかチーム作りてえなあ」といつも言っていた。
一度だけ、7人でチームを作って大会に出場したことがある。
現役を卒業した直後、社会人チームとして。
札幌市民大会だったと記憶している。
準決勝まで勝ち進んだが、現役大学生チームにさすがに力敗けした。
でも、楽しかったなあ。
喜びも苦しみも悲しみも共にした同期と、60分間、球を追う。
3位の賞状よりも、その時間こそがかけがえのない青春の財産だ。
7人で球を交わしたのは、これが最後になった。

1993年2月 追い出しコンパの直前

9年前の今日、急逝した。
他界する前の1~2年、連絡が途絶えた。
何があったのかはわからない。
でも、メールやSNSがなかった学生時代ならともかく、この時代にもっと彼にアクセスできなかったのか、と後悔するばかりだ。

今夜は酒豪だった故人に付き合い、ちびちびと酒を飲んで彼を偲ぶ。
同期の皆も今日は全国で献杯している。
きっと皆、彼と会話していることだろう。
あの頃の写真を見る。
まだスチールの写真が懐かしさを増し、一緒につらい練習をしたあの時が、鮮やかによみがえる。

故人の雄姿 1990年の全日本インカレ

大学時代の友人を、これで何人失ったのだろう。
とりわけ、体育会(運動部)の友が若いうちに旅立っている。
男子バレー部のエース、応援団の副団長(応援団はもう一人)、山岳部の親友…。
思わず大学の校歌「永遠の幸」を口ずさんだ。
校歌の最後のフレーズは「友たれ永く、友たれ」である。
小さくそのフレーズを口にした時、堰を切って涙があふれた。

友よ、いつまでもいつまでも、友たれ永く、友たれ。

合掌。

代表 辻だいち

※個人的なことで申し訳ありません。