多くの出逢いと、豊かな縁 それらに支えられて自分は生きている

今年の正月、中学時代の同級生たちが一堂に会し、30数年ぶりに一献傾けた。
感動の再会のはずが「お前、誰や?」と思わず言い放つ。
なんというかもう、壮絶に変わり果てた友の姿に、気絶しそうになる。
福井弁の猛烈な海に問答無用で一気に引き込まれ、出るわ出るわ昔話が。
あの時のことを実に鮮明に覚えていることにオドロキだ。

あれは中2の時。担任の柄田先生と面談だった。
「将来は、どんな仕事をやりたいか」と問われ、「自然に関係する仕事につきたい」とポツリとつぶやいたことを覚えている。
自然豊かな福井に育った自分は、「なんとなく」だけれどそう想ったんだろうな。
それが、農業なのか、国立公園のレンジャーなのか、動物園の飼育員なのか。
それは全くわからなかった。

大学時代は札幌で過ごした。
北の大自然に触れ、「この自然を守りたい」と熱く心に誓ったりもした。
やめとけばいいのに体育会ハンドボール部に所属。当然授業にはほとんど行かず、部活の休日はバイクで北海道中をめぐって、山に登ったり湿原や原生花園を歩いたり。
知床半島のナショナルトラストなどの自然保護運動にも興味を持った。
しかし自分が自然保護の最前線に立つのではなく、自然を大事にできる人を育てる方が、自分には合っているんじゃないか。
直感的にそう想ったんだろうな。
そうとしか説明できない。

だから北海道の自然豊かなへき地の体育教師を目指した。
小さい時から特に運動神経が良いわけではなかった。
それでも中学時代からずっと続けたハンドボール。
大学時代は充実期を迎え、4年生の晩秋まで全日本インカレなどで全国を行脚した。
体力には自信があったし、大学の専門も一応体育方法論。
教師になることに迷いはなかった。
でも、学校の教室に入る前に、学校の外での学びの場にこの身を置いてみよう、運動ばっかりやっていたバカは、そうやって社会から学ばなければ。
そう想って、2年くらいの自己研修だと飛び込んだのが、信州泰阜村の今の職場だ。
そしてそのまま四半世紀の時が流れる。
学校の中より外の方がおもしろくなったんだろうな。
そうとしか説明できない。

あれから35年。
今、確かに自分は自然に関係する仕事についている。
人口1600人の小さな山村の村民だ。
1年間こどもが村の小中学校に通いながら共同生活を行う山村留学や、夏休みなどの自然体験教育キャンプを実施するNPOの代表を務めている。
こどもが自然や地域と向き合いながら、身体を通して大事なことを学ぶ。
まさに自分は今、へき地の体育教師である。
あの時つぶやいた「自然に関係する仕事につきたい」が、このようなカタチになるとは。
1993年当時の給料は6万円。
これが「仕事」などと言える状況ではなかった。
「そんな山奥に行ってどうするんだ」と、バブル後期で次々に大企業に就職する友人たちに心配されたものだ。

話を冒頭の飲み会に戻そう。
もう時効だから言うが、あのころ酒やタバコは当たり前の世界だった。
卒業式の後は、神社横の集会所でお別れ会という名の大宴会。
学校祭のトラ製作ではケーサツも登場したよな。
先生、本当にゴメンナサイ。
それにつけてもメールやSNS、ましてや携帯電話がない時代、どうやって連絡をやりとりしていたのか。
それでもちゃんと待ち合わせ場所に集まり、遅れてもなんとかする技を、身につけていたのだろう。
好きな子の家に電話するには「夜分遅くすみません・・・」が最初の言葉で、もしお父さんが出たらどうしようかとドキドキしていたものだ。
そんな話をひたすらしながら、お互いの顔を見て、歳をとったなあと苦笑い。

出逢いから35年。
旧友と一献傾けられる幸せに、今回は酔った。
夜更けまで飲み明かして、皆が馬鹿話をしながら去っていくその姿をずっと見つめていた。
なんだか涙が頬を伝う。
溢れる涙をこらえて空を見上げた。
降りしきる雪が、漆黒の空を遮る。
子どもの頃の、あの福井の空がそこにある。
もう二度と雪なんか見たくもない、と恨めしく想った空だ。
でも、その福井にやっぱりこうやって帰ってくるのだから、不思議だ。

多くの出逢いと、豊かな縁。それらに支えられて自分は生きている。
苦しいこと、悲しいこと、いろいろあった。
それらを乗り越えて今がある。
ひとは苦しめば苦しむほど、悲しめば悲しむほど、ひとにやさしくなれるんだろうな。
傷つけば傷つくほど、ひとを思いやれるようにもなるのかもしれない。
友と一献傾け、過ぎ去りし時間と真摯に向き合った夜、ちょっぴりだけ自分がやさしくなれた気がした。
「ほんじゃまたな」
友との別れは、中学時代そのまんまだった。
でもその言葉は、これまでの別れの中で一番想いやりのある言葉だったかもしれない。

時の試練に耐え抜いて、したたかにひたむきに積み重ねてきた300人の人生。
この友だちと再び豊かな関係を創ろう。
われわれの人生が耀く時が、今、そこに来ている。

ちょうど1年前、中学校の同窓会があった。
高校に続いて昨年は幹事年。
なんと講演を任され、それに先立って同窓会誌に寄稿した文章だ。
30数年ぶりに再会する友や恩師の前で恥ずかしい気持ちがあったが、お願いされたのも縁と想いなんとかやりきった。
2次会以降は福井弁の猛烈な海に問答無用で一気に引き込まれ、その後1か月は、自分の言葉が何がなんだかわからない状態だった(笑)
保育園で一緒だったやつらと思わず写真を撮る。
すべてを知られていることは逆に心地よいのかもしれない。
心がすっかり解放された時間だった。

ひとつ下の学年が幹事だった今年の同窓会は、コロナで中止だそうだ。
しょうがないなと想いつつ、昨年再会できたことは奇跡的なんだな、と改めて想う。
コロナが収束したら、友に会いに福井にかえろう。

※個人的な内容で恐縮です。

  代表 辻だいち