正しいことほど強いものはない ~8月15日、夏の日に~

国民的人気の世襲議員と才色兼備のキャスターが結婚するという。
このこと自体はとてもめでたい話だし、祝福したい。
とはいえ、それを首相官邸で生中継することには違和感はぬぐえない。
「祝福はするけどなぜこのタイミングとその場所で発表?」
多くの国民が感じていることではないかと私は想う。

どうもこの類のニュースは、権力にとって都合が悪いタイミングで発表される。
この6年は、その傾向が顕著になってきている。
”何か隠したいことがあるんじゃないか”、”今回はいったい何があるんだろう”と想っていた矢先。
いわゆる森友事件で財務省幹部たちが不起訴となり、捜査終結だというニュースが入った。
福島第一原発の汚染水タンクがあと3年で一杯になってしまう、というニュースも。
やっぱりな。
おそらく報道各社は、これらの案件を掘り下げて紹介することは少なく、冒頭の結婚話題の方に誌面や時間を割き続けるのだろう。
他にも国民に知ってほしくない案件が、ひっそりと新聞の片隅にあったのかもしれない。

断わっておくが、上記はあくまで私が想っていることである。
当然のことながら、政権にとって都合の悪いことを隠すために、国民から目をそらすために、芸能人や著名人の話題をリークする、ということに因果関係が認めらているわけではない。
それでも「やっぱりな」と疑ってしまう自分がいる。
そんな自分自身も情けないのだが。
でも、そう想ってしまうのは私だけではないはずだ。
国民をこのような思考回路に陥らせてしまったとすれば、今の政権は実に罪深い、

一方で森友問題そのものについては”誰がどうみてもダメでしょこの人たち”と想う。
皆さんはどう想のだろうか?
この財務省の人たちがやったことは不問に付されていいのだろうか。
きっと多くの国民が「?」と想っているはずだ。
同じく、福島第一原発の汚染水がもう限界にきているのに有効な手立てが打てず、それでいてオリンピックは大丈夫だと言い切るこの国は、それこそ”大丈夫なのだろうか”。
そう想う国民も多いはずだ。
でも、これら国民が「?」と想うことが正当性を持つ道は、すでにこの国にはなくなってしまった。

品格が感じられない最高権力者夫妻とそのお友達。
正しさをねじ曲げて、命を懸けて彼らを守り抜こうとする官僚。
国民に対して背を向けて、追随する国会と司法。
都合の悪いことはなかったことや偽造しちゃう大臣、覚せい剤に手を染める官僚、年金は払えないけど戦闘機は買っちゃう政権、そして真実を語っているのか疑わしい報道…

茶番を超えて無力感漂う滑稽な場面を、国民は見せつけられ続けた。
ウソを言い続けて開き直る場面を、こどもたちは見せつけられ続けた。
アメリカに媚びへつらいながら、隣国や沖縄にはどえらい剣幕で対峙する場面を、世界中のひとびとが見せつけられ続けた。

この国いったい、いつの時代のどんな体制の国なのか。
いったい、誰を守ろうとしているのかこの国は。

「強いものが正しくなってしまう」今の日本社会。
とりわけこの6年は、その傾向がひたひたと進んできたと肌で感じる。
いや、違う、違う。
「正しいことが本当は強いんだ」
そんな当たり前の社会をめざそう、という想いは、なぜ権力者たちに届かないのだろう。

NPOグリーンウッドのミッションは「自律のひとづくり」だ。
言葉を補えば「違いを認め合い支え合いつつ、自ら責任ある行動をとれる人づくり」。
こんなミッションを掲げること自体がバカらしくなるような日本の体たらく。
それでもあきらめてはいけない。
自ら責任ある行動をとれるひとを創る。
正しいことほど強いものはないと、胸を張れるひとを創る。
信州こども山賊キャンプや暮らしの学校「だいだらぼっち」などの事業を通して、私たちは30数年、そんなひとを育んできたと自負している。

私は何度でも発信する。
教育者のはしくれとして、子どもに胸を張れる大人でありたい。
政治家と、官僚と、司法のひとたちよ。
三権に携わる人のはしくれとして、お願いだから、子どもに胸を張れる大人であってほしい。
信州の山奥から、心の底から願う。
2019年8月15日、夏の日に。

代表 辻だいち