福岡県東峰村で講演 ~日本”最教”のキャンプが限界集落を救う!~

急な話だった。
「ちょっと講演に来てくれないか」
福岡のソーシャルビジネス第一人者、濵砂さんから電話があった。
「東峰村で地域住民のみなさんに、元気の出る話をしてほしいんだ」と。

福岡県東峰村。
2017年7月の九州北部豪雨で、朝倉市と共に壊滅的な被害を受けた村だ。
実は発災1週間後に、私は東峰村に足を踏み入れている。
その時の様子を綴ったブログから以下、抜粋する。

東峰村岩屋地区。
車で行けるところまで行ってみた。
絶句である。
あれだけの雨が降ると、山はこうなってしまうのか。
わが泰阜村もこうなるのか、と、他人事にできない。
(中略)
この周辺ではあの日、24時間で1,000ミリもの雨が降った。
植林政策で針葉樹が植えられた山は、呼吸もできないような雨を、保つことが可能な山ではなかった。
この光景を目に焼き付けておかなければ。
そしてこの地で必死に生きるひとびとの姿を目に焼き付けておかなければ…

同じく被害を受けた大分県日田市。
日田市は熊本地震の被災地でもある。
中津江という地区(サッカー日韓ワールドカップでカメルーンが合宿をした村)との縁があり、信州こども山賊キャンプにこどもたちを招待した。
そのこどもたちの安否を確認にいったその足で、東峰村や朝倉市にも足を踏み入れたのだ。

そんな東峰村からお呼びがかかったのだ。
日程を聞くと、なんと1か月を切っているという。
熊本地震のこどもたちが今年も信州こども山賊キャンプに参加する。
その説明会の予定があった。
鹿児島大学で今年も山賊キャンプのボランティア研修会を開催する予定もあった。
それらの都合で九州入りする際に、唯一ここなら行けるだろうという日程で打診する。
すると、奇跡的に東峰村側もその日程しかNGだったという。
このあたりも縁なのかもしれない。

福岡で濵砂さんと合流し、車で朝倉市経由で東峰村に入る。
あの時通行止めだった道が今は通れる。
しかしその両側の光景は、被災当時そのままの状況もあれば、信じがたいほどコンクリートを注ぎこんで創られた防災設備もある。
阪神大震災を始め、この26年間に様々な被災地の復興を目にしきてたが、やはりどこも同じ光景だ。
心が痛む。

役場で村長や副村長にご挨拶し、担当者が村内を案内してくれた。
人間国宝を輩出した小石原焼と高取焼の窯元群は、この地が“自然の資源を活用して産み出す文化”を持っていることを教えてくれる。
被災して止まったままになっているJR日田彦線は、美しい石造りのアーチを見せてくれた。
私の以前のブログでも触れた岩屋地区は、今はもう車が通れる。
しかし、周囲はあの時のままだ。
山あいにあるキャンプ場がオープンしたという。
このキャンプ場の魅力づくりについてもアドバイスいただきたい、とのこと。
そして一番目を見張ったのは、「竹」という棚田の集落の美しさだ。
棚田100選だという。
これには正直まいった。
この集落に、古民家を改修してゲストハウスが創られるらしい。
その改修現場に立ち、棚田の集落を見渡すと、なんだかワクワクしてくるから不思議だ。
うちの(NPOグリーンウッドの)若手スタッフがここに立ったら、この集落を活用したおもしろいアイディアをバンバン出すだろうな、と一人で笑ってしまった。
「辻さん、いきなり元気になったとね」
と、濵砂さんはニヤリとした。
そうなんですよ、それほど魅力的な集落なんです。

この集落の小さな施設で、私の講演が行われた。
テーマは「日本最“教”のキャンプが限界集落を救う!」
小さな集落に住むひとびとがたくさん集まってくれた。
村長、副村長、教育長も来た。
これはすごいじゃないか!
東峰村だけではなく、九州北部のキーパーソンたちも聴きに来てくれた。
この小さい集落が求心力を持っているかのようだ。

東峰村の人口は約1900人。
約1600人と泰阜に、規模も地勢も似通っている。
その村が、地域復興をかけてキャンプ場や地意識資源をいかした教育活動に踏み出そうとしている。
学びを通した地域間交換交流が始まる兆しを感じる。
待っていても何も始まらない。
そう想った人から動く。
夢を実現しよう。
講演の後に、講演を聴いた東峰村職員から「NPOグリーンウッドに研修に行きたい!」という申し出があった。
さて、どうなるか。
東峰村と泰阜村に乞うご期待。

代表 辻だいち