LCCとSNS ~青函連絡船と長距離電話の時代に~

北の大地にいる。
仕事でまずは札幌へ。
私のキャンプネーム(あだ名)のいわれ の一つでもある。

あまり乗らないが、ひょんなことからタクシーに乗った。
運ちゃんの話は「北海道新幹線の札幌駅の場所がやっと決まったのさ」。
私がこの街で暮らしたのは学生時代。
実に30年前のことである。
そのころは(まあ、学生だったからタクシーなんか乗ったことはないが)、青函連絡船から青函トンネルに変わる時だった。
ついこの前だと想っていたけれど、遠すぎる過去に頭がクラクラする。

▼母校のクラーク像

今や東京や名古屋と新千歳空港が4~5000円で結ばれる時代だ。
今回私もずいぶんと安く移動ができている。
30年前はどれだけがんばっても、青少年割引の「スカイメイト」が関の山だった。
あの頃にLCCがあったらなあ、と恨めしく想う。
でも、私の前の時代は「青函トンネルがあったらなあ」と想っていたのだろうから、まあそんなものか。

遠くてとてもとても、と想っていた東京~札幌の移動時間は、東京~泰阜の移動時間より案外短い。
同じく、高い高いと想っていた東京~札幌の移動費用は、もはや東京~泰阜の移動費とほぼ同じになっている。
当時の、距離が長くなるほど高くなる長距離電話代金も、今や無料通話SNS。

▼学食は懐かしの味

あの頃に比べて圧倒的に産み出されている時間とお金で、今の若者は何をやっているのだろうか。
そんな不思議な想いにかられながら、母校に足を運ぶ。
キャンパス内の雰囲気は昔のままだと想うが、こんな時期なのに観光客が多い。
飛び交う言葉の多くがアジアンテイストを感じるにつけ、青函連絡船時代がさらに遠のいていく。
私が津軽海峡を超えたのが30年前。
昭和の歴史が終わり、平成が元年を迎えた時である。
激動の平成を身にまとい、今、私は現代の大学生に関わる。

代表 辻だいち