今年度もあと1か月を切りつつある。
すでにご存じの通り、私は4月から、大学教員にチャレンジしている。
泰阜村の政策アドバイザーでもあるから、何足もわらじを履いている。
大学とは、青森大学。国立大学ではない。
青森の国立大学は弘前大学。
サッカーの強い青森山田学園の大学といえばわかりが良いだろう。
そしてほぼ100%の人が「またずいぶんと遠いところの…」と感想を持つ。
実は青森大学は、東京の江戸川区に東京キャンパスを持っている。
その東京キャンパスの専任教員(社会学部)だ。
私は修士も博士も持っていないため、研究者学歴としてはゼロに等しい。
しかし、30年の実践や、著書を含めた数々のアウトプットが、それらと同等の価値を持つと認められた。
率直に、認めていただき嬉しく想う。
さて、東京キャンパス自体はまだ4年目。
しかも、様々な事情があって9割以上が留学生。
すべての仕事が困難を極めていることは想像に難くないだろう。
留学生も、教職員も初めてのことばかりなのだ。
そして、異なる文化を持つ留学生同志が学問を究めることも、コロナ禍で学びを紡いでいくことも、本当に難しいことばかりだ。
正直なところ、立ち止まってしまう場面も多い。
しかし、だ。
この混沌さを「非生産的だと想う」か、「豊かなことだと想う」かは、決定的に違ってくる。
後者の想いに立つことが、多様性を認め合い、未来を生きるチカラを生みだすということを、私は30年のNPO実践から経験的に学んでいる。
この大学は、少人数学生を受け持つ担任制をとっている。
私も、なんと1年生5人、2年生11人、3年生5人、すべての学年(社会学部はまだ始まって3年目)の担任だ。
履修科目の指導に始まり、アルバイトや生活の相談、ビザ更新や帰国について、そして就活についても面倒をみる。
大学生にもなって担任か、と想うだろうが、相手は日本語もままならない留学生だ。
しかもこのコロナ禍のなか、帰国もできずにいた2年間は、ともすれば学びをたやすく諦めてしまうような状況にもあった。
それを全力でサポートすること、つまりは安心できる環境を創ることこそ、学びの第一歩だと考えているからこその担任制だ。
親元を離れて異文化の地に身を置き、さらに多様な文化を持つ学生と切磋琢磨する。
その学生生活から生まれるかすかな学びを、丁寧に拾い上げて支えていく。
これを繰り返す地道な11カ月だった。
我ながら、よくやっていると想う。
あれ?
でも待てよ。
この感覚、どこかで感じたぞ。
デジャブのようだ。
そう、長野県泰阜村で30年間、持ち続けてきた感覚なのだ。
私は確かに、「留学生」と30年間向き合ってきた。
それは留学生といっても、小中学生と少々幼い。
しかし、暮らしの学校に参加する幼い(山村)留学生も、青大東京キャンパスに通う大学生の留学生も、自分の意志でその学びの場に立ち、学びの場を紡ぐ主人公であることに、間違いない。
泰阜村でも、今東京でも、想い通りにならないことばかりだが、そこをいかに楽しめるか。
30年間で鍛えられた逆境を楽しむセンスを、今、東京の留学生たちと共有している。
結局「留学生」と向き合う30年だった。
いや、これからも続く。
つくづく他の地域で学ぶ可能性を探って来たな、と想う。
つくづく多様な価値観に身を置くことで学ぶ可能性を追い求めているな、と想う。
留学。
留まって学ぶその意義は? 可能性は?
いったい何だろう。
NPOグリーンウッドは、2001年にNPO法人化する前、「グリーンウッド遊学センター」という任意団体だった。
遊学とは、遊んで学ぶ、というそのものの意味だけではない。
遊説という言葉があるように、遊学とは、本拠地を離れていろいろな土地で学ぶこと、を意味する。
想えば私も、故郷福井から大学4年間、札幌に留学したのだ。
その後30年間は泰阜村に留学、今東京にも留学していることになる。
遊びを仕事にしたなあ笑
そして学びを仕事にもした。
今52歳。
遊んで学んで、そして「遊学」の途中だ。
留学と遊学という言葉に、今はそこまでこだわる必要はない。
が、私は次の10年は、留学・遊学の意義と可能性を、もっとダイナミックにとらえた活動を展開する中で、そこはこだわって深めていきたいと想う。
せっかくなので、「留学」生たちの写真を紹介したい。
代表 辻だいち
国道も信号もコンビニもない小さな泰阜村。この村に暮らすひとびとの営みから学ぶ教育活動を続けて29年。「ひとづくり×自然×地域づくり=教育立村」のモデルがこの村にあると信じている。51歳。福井県出身。
2017年までのブログ「わが大地のうた♪」はこちらからご覧いただけます!