だいだらぼっちの卒業生にインタビュー 亮平(1988年度参加)

だいだらぼっちでの生活があったから、あきらめないこと、投げ出さないことっていうのが自分の中に培われたことかなぁ、今もこれだね。

だいだらぼっちの卒業生・保護者にインタビューするこの企画、今回はだいだらぼっち3期生のOB亮平(りょうへい)です。

亮平は、だいだらぼっち3年目(1988年度)に、中学1年生の一年間をだいだらぼっちで過ごしました。亮平が現役だった時、みけはほぼひと月に一回だいだらぼっちに遊びに来ていました。ちょうどわさび田を作っていたころで、よく暗くなるまで一緒に作業していたことを思い出します。
それではインタビュースタート!

ーお久しぶり!とは言っても2年くらい前にバイクで来てくれたかな?早速ですが、簡単に自己紹介をお願いします。

だいだらぼっち3期生で中学1年生(泰阜南中)の時に参加していた亮平です。 家族構成は、両親、姉がいますが、姉はだいだらぼっちには参加していません。趣味は、バイク、ツーリング、温泉巡りなど多趣味です。実家の近くで奥さんと二人暮らしです。

ー亮平が、今までやってきたお仕事がいくつかあると思いますが、それぞれ就こうと思った理由を教えていただけますか?

だいだらぼっちを出てから、農業や、生産することが楽しいと思い飲食関係の仕事につきましたが、年を重ねるごとに人とかかわる仕事が好きということに気づき、介護や整体などその分野での仕事に携わっていました。

ーお仕事で大変だったことや困ったことはありますか?また、それらをどう乗り越えてきましたか?

色々経験をしましたが、飲食では拘束時間が長く休まることがなかったり、クレーム対応、当時はまだ普通にパワハラなどもあり何度もへこたれそうでしたが、「いつか、こんなことがあった。」と笑いながら話ができるようになりたいと思って乗り越えてきました。

ーお仕事をしていてよかったと思うことや一番の思い出などあれば教えてください。

やはり、人から感謝されたり、自分にしか相談できないといわれたこと、整体業をしていた時や介護などの時、お客さんや、利用者さんに「大西さんは親身になってくれる」と言われたことです。

ーお仕事以外で今までに亮平がしていたこと、経験したことなどのうち、かけがえのない出会いや出来事があれば教えてください!

介護に携わっていた時に、よく仲間と飲みに行ったけど退職後の今も続いていること。整体の仕事での先輩なども退職後にもお付き合いがあること。自身が、”人に支えられている” と、強く実感しています。また、整体を学んだことで他の分野の場所から、ストレッチの講師としてオファーを頂いたこと。今まで、色々経験したことで無駄なことは一つもなくすべて肥しになっていると思えるようになりました。

ー亮平は結婚されていますが、する前とした後で、自分の中で何か変わったことや気づいたことはありますか?

一番変わったのは、人を率先することってそれまで面倒くさがって避けてたけど、結婚してからは何でかわからないけど人をひっぱることをするようになったかな。やることを面倒くさがらなくなったって言うか、思ったらすぐに行動するようになった。一人じゃなくなったっていうのもそうだけど。後は自己満足もあるかな(笑)。相手が年下っていうこともあるかな。前はどっちかっていうと引っぱってもらう方がよかったけど、今は自分から声出すようになった。

ー守ってあげたい気持ちも働いているのかな? そうなったことで、”あ、もっと前からこうすればよかったじゃん!”って思うようなことはありますか?

こうすればよかったっていうか、この間たな(OG)が開いてくれたオンライン同窓会も元々の声掛けは自分だったんだけど、”あ、声かけたら集まってくれたんだ” とか、”賛同してくれる人は結構いるんだ” とかね。自分なりに大人になったんだなぁって思ったりするよ。本当はだいだらぼっちでやりたかったんだけどね、今は(コロナ禍で)難しいから。

ー結婚してどのくらいになるんでしたっけ?

38歳の時に結婚したからもう少しで丸7年。

ーもうそんなになるんですね、早いなぁ。で、自分から声を出すようになったことを今どう思っていますか?以前の自分に思うことなどありますか?

もっと早く気づいていればよかったなって。引っ込み思案って言うかあんまり表に出るタイプではなかったんだけど。コツコツしたことは好きだったね。今もそれは続いてるかな。思い立ったらすぐ行動って言うか、躊躇せず、なんでも一歩前に出せって言いたいかな。

ー亮平がいたころのだいだらぼっちはどんな感じでしたか?

20年以上前の話だからなぁ・・・(笑)。それでも誰にとっても、相談員も含めて初めてのことが多かったから、手探り状態でやってたっていう部分で、本当にこどもたちが主体で、ご飯の支度しなかったら食べられないし、今もそうだと思うけど。当時は今みたいな経験則もみんなないから、初々しいって言うか、初物尽くしで、今思えば本当に楽しかったなって思う。

ー当時の出来事で一番印象に残っていることはなんですか?また、面白エピソードがあったら教えてください。

自分はやっぱりわさび田かなぁ。(当時、わさびを育ててみようと左京地区の小さな場所をお借りして石を集めてわさび田を作っていたのですが、亮平はよくその作業をしていたのです。)とにかくわさび田にはずーっと最初から最後まで関わってた気がする。だいたい把握してるのも俺だったから(笑)。で、その作業の帰りにむさしが車を側溝にはめちゃって、何度も側溝から出したよ、10回くらいは引き上げてるんじゃないかなぁ(笑)。

ーですね、みけも亮平といえば”わさび田と車を側溝から引き上げるっていうイメージしか出てこないくらいその印象が強い(笑)。

残念ながら完成したところはみてないんだけどね。あと、みんなでスキーに行ったことも覚えてる。浪合の方に行って、夜に山の頂上からそりで滑って降りてきて、止まるのは雪に突っ込むっていう(笑)

ースキー場のゲレンデじゃなくて遊んだんですね。それは面白そう。そんなだいだらぼっちでの暮らしは今の亮平にどんなふうにつながってますか、あるいはどんなふうに位置づいていますか?

だいだらぼっちを出てから進路を決めるにあたっては農業をやりたいって思ったことに始まって、生産することが好きだなっていろんなことをやって、生産することはやめてしまったけど。人と関わるっていうことの一番最初、家族みたいに暮らしてたっていうのがいまにもつながっているのかなぁって思う。だいだらぼっちでの生活があったから、あきらめないこと、投げ出さないことっていうのが自分の中に培われたことかなぁ、今もこれだね。

ー今、あるいはずっと、夢中になっていることはありますか?あれば教えてください。その魅力も!

バイクですね。バイクと温泉。(笑) 今も乗ってる。一人で奥多摩の方に行ったり自然見に行ったりしてる。今は梅雨時期で行けてないから引きこもってるけど(笑)。道の駅の雑誌買って次はどこへ行こうか妄想したり、峠道を攻めてる動画見て次はここへ行ってみようって考えたりしてる。バイクに乗り出したのは30歳になってからかな。何も考えずに一人になって風を切って走っていられるっていうのが魅力かな。余計なことを考えずにひたすら走っていられるっていうか、自分を整える時間って言うか。あ、このバイクに乗るようになったきっかけもぎっくだから(笑)。最近行ったところでは足利フラワーパーク。一人で行って藤の花を見て帰ってきたよ。きれいだった。今のバイクは5代目かな。去年の12月に買い替えたばっかり。まだ2500Kmくらいかな。(笑)
それ以外は引きこもってオタクやってるよ(笑)。ネットテレビ見たりしてる。あと、植物を育てることに目覚めて植木を買って育ててるよ。今日はあじさいの植え替えをやろうと思って。高校は農業系と専門学校と無駄に6年行ってるから。知識持ってるんだから使えばいいじゃんって(笑)。以前はね、5年くらい料理人やって、そのあと介護やって整体やった。いろいろ経験したよ。

ー料理人から先はとにかく常に人ですね。整体とかって身体も整えてほしいけど心も整えてほしい人が多いから、お話聞いてほしいっていう人も多いんじゃないですか?

すんごくお話したい人が来てたよ。施設長には「大西さんはたぶんお客さんの心の中に入っていける人だから、時間かけて行けば指名がとれるよ」って言われた。でも指名が取れるようになったころに指を壊しちゃったからやめちゃったけど。

ーでも話を聞けるって亮平の武器ですよね。何かそういうことができたらいいですね。
では、亮平が今話したい事、伝えたいことなどあれば何でもどうぞ!

ずっと闘病の人生だから、33歳で難病指定受けて、今、更に癌だけど、本当にあきらめないっていうか、常に笑っていることと、絶対に後ろ向きにならないというか、すごく心に決めていることが病気になってからあって。やっぱりどうしても精神的には病むんで、決めているのは病んでも落ちるのは3日から1週間までって決めてる。それ以上にはしない。違うことを考えるようにしてる。友だちにもよく鬱にならないなって言われるけど、なってる暇がない(笑)。ネガティブに考えても前には進まないから違うこと考えるようにしてて、そうすると次は何しようかなってあれこれ考えるから鬱になってる暇がない(笑)。

ー自分でコントロールできるっていいですね。落ちちゃいけないわけじゃないし、でも落ちっぱなしにはしないっていう亮平が編み出した技ですね。
そんな亮平の夢を教えてください。

とりあえずは病気を治すことが先決なんだけど、難病だったり精神疾患だったり、病気を持った人の就労支援をやりたいんだよね。そのために今クラウドファウンディングとかやろうと思ってて。自分が苦労してるから、同じ目にあってほしくないって言うか。障碍者手帳はもらえないけど、難病で保険利かないとかいろいろあるから、そういった人たちの支援をしていきたい。自分も就労に通ってた時に、「大西さん、もっと楽しめばいいのに」って言われて、それなら一人ツーリングでも行くかって。そういった意味で自分は当事者だから、知らずにいる人たちに伝えられることがあると思って。「今まで亮平がやってきたことだよ」って言ってもらえるけど、本当にいろんな人に支えられてるなって思う。

ーすごい!素敵な夢ですね!絶対応援するからいろいろ動き出したらまた教えてくださいね!夢があるっていいですね。
最後に今のだいだらぼっちのこどもたちにメッセージをお願いします!

「段取り」大事だよ。今学んでいる段取りっていうのは大人になってからもずっと使うものだから。あと時間の使い方っていうのも、時間は無限じゃなく、だれもが決まった時間しかなく、その中でどう動くかっていうのを考えていくには段取りが一番大事だよっていうことを伝えたいかな。こどもの時の時間と大人の時間って全く違って、これは自分なりの解釈なんだけど、こどもの1時間はおとなの1日、あるいはそれ以上の中身があるっていうか。大人になってからじゃないと分からないかもしれないけど、こどものころはもっと無限に時間があると思ってた。もっとこうしておけばよかった、とか、やっぱり思うことが多いからね。段取りが取れれば限られた時間を有効に使えるようになるから。ぜひこの「段取り」を大事にしていってほしいです。

ー本当に、こどものころは時間は無限にあると、みけも思っていました。身に染みる言葉をありがとうございました!
今の社会状況の中、なかなか遊びに来てもらうのも難しいですが、気兼ねなく往来のできる日常が戻った折にはまたバイクに乗ってきてくださいね。
ありがとうございました!

亮平がいた一年間は、みけがよく遊びに来ていたころで、とにかく一緒に働いたイメージしかありません。怒ったら短気なので、前回掲載した環也とのけんかみたいなこともあるのですが、普段はコツコツ地道な作業のできるヤツって感じでした。
インタビューの中で亮平自身も言っていますが、33歳で難病指定の病気にかかり、そこからかなりしんどい闘病生活を送っています。でも、SNSでツーリングのことを発信していたり、おうちでも料理作りを楽しみながら主夫をやっていたり。
2年くらい前にも変身しそうなカッコいいバイクに乗ってだいだらぼっちを訪れてくれました。どんな時でも前を向いて生きている亮平にはいつもこちらがエネルギーをもらっているくらいです。
亮平の夢が叶うよう、動き出したらまた皆さんにもお知らせしますので、ぜひ応援よろしくお願いします!