学生よ、「高学歴」より「高学力」を身に纏え

30年前のアルバムを久しぶりにめくる。
信じがたいほど若い自分が写真の中にいる。
24枚のフィルムを現像するお金がもったいなく、慎重に1枚のシャッターを押していた時代だ。
今のように何百枚、何千枚も写真がないので、必然的に整理は楽だ(かさばるが)。
若い自分を見つめて、ちょうどあの頃の自分と同じくらいの年齢の「息子たち」にそっくりなことにまた驚く。

母校の大学から特別講義のお願いが来た。
本来なら久しぶりに札幌に帰って、対面講義だった。
当然ながら今年は無理。
わかってはいたけど、オンラインだと札幌の雰囲気がまったくしないことが残念。
「今、キャンパス内が全部秋ですよ」と学生に言われると、もうほんと札幌に帰りたい!とウズウズする。
おそらく銀杏並木がものすごく見ごろなんだろうな。
オンラインでカメラをオンにしてくれた多くの学生たち。
30年前の自分、そして今の息子たち、と同じ年ごろ、と想うと、フクザツなようで愛おしい気分になる。

1992年の北大キャンパス。銀杏並木

さて、今回の特別講義のタイトルはこうだ。

「逆流 ~学歴など全く意味のない世界に生きて~」

まあ、キャリアをおおいに語ってくれ、という講義ということだ。
雪深い北陸福井からなぜ北に向かったのかを話し、学生に「君たちはなぜ北大に向かったのか?」と問う。
大学で何に打ち込んだのか、いかに無駄な時間を過ごしたのか、どうやって単位をちょろまかしたのか(笑)を話し、学生に「君たちは今、何に時間を費やしているのか?」と問う。
在学中にどんな夢を持ち、どうして信州に向かおうと想ったのか、そしてその時の葛藤や周囲の猛反対などを話し、学生に「君たちの夢は何なんのか?」と問う。

毎日が体育会(運動部)と道内をバイク行脚の日々だった

それぞれの問いに対して、学生からは一斉にコメントが集まる。
これがオンラインの良いところだ。
私も学生からのコメントに、真正面からコメントを返すことを繰り返す。
生き物のように血を巡らせながら授業が進んでいく。

途中、「今の職場を紹介しますね」と、「リアルだいだらぼっち」と称して、暮らしの学校「だいだらぼっち」の暮らしを生中継。
こどもたちに即興でインタビューをしたのだが、突然なのにおもしろおかしく答えるこどもたちに、学生はどよめく。
ここは、こどもたちに助けられたな(笑)
サンキュー

最後に、恒例の「学生さんへの炎のメッセージ」。
今回は母校ということもあり、気合を入れて4つ贈った。

「楽しさの質を問へ」
「Cゾーンを超えろ」
「高学歴より高学力であれ」
「考える人であれ」

講義終了後も、多くの質問が途切れることなく発せられ、予定時間を30分ほどオーバーして、オンラインの接続を切った。

授業後1週間ほどして手元に届いた学生の感想(リアクションペーパー)。
私の話が彼らにどのように伝わったのかと目を通す。
暮らしの学校「だいだらぼっち」のこども生出演や、双方向性・参加型の授業運営についての記載が多い。
それよりも多かったのは「高学歴より高学力であれ」という炎のメッセージに対しての反応だった。
私の授業テーマもそうだし、キャリアの物語がメッセージと相まって、北大という高学歴集団の彼らに響いたのだろう。

北大を出ていくとき、社会に出ていくときに、「高学歴」を身に纏うのでなく、「高学力」を培っていきなさい。
その「学力」は、北大に入るときに、1点でも多く点をとり他人を蹴落として培った「所有の学力」ではない。
学力は所有しているだけでは意味がなく、世のため人のために使って初めて意味のある学力となる。
それを、他者(ひと、社会、自然、地域、他)との関係が豊かになるための「関係性の学力」という。
北大生よ、くだらない「高学歴」より、本質的な「高学力」を身に纏え。
「関係性の学力」をつけるのは「今」だぜ…

わざわざ北の辺境地に集った若者たちの、心に刺さったのかもしれない。
後輩たちの学びと、限りない可能性に、少しでも役に立てたなら、本当にうれしいことだ。

1992年冬の北大キャンパス。ポプラ並木

もう一度、アルバムをめくった。
クラウドの時代、「アルバムをめくる」なんていう言葉は死語に近くなるのかもしれない。
学生から届いた感想を見ながら、アルバムを見つめる。
互いに肉声しか届けようがなかった30年前の、笑い声や悩みごとの会話が鮮やかによみがえる。
次は、札幌に帰りたい。
コロナ後にまた講義や講演に呼ばれないかなあ(笑)

代表 辻だいち