「だいだらにいると、言霊って本当にあるかもしれないって思うよね」
一学期の振り返りをしているとき、「いろんなスタッフさんの言葉がいつも心に残る」と話す私に対して、スタッフのくみがかけてくれた言葉です。
実際に毎日だいだらぼっちで暮らしていると、いろんな言葉に出会うことができます。違う国なんじゃないかと思うぐらい、あたりまえに豊かな言葉が飛び交います。
だいだらぼっちの言霊
朝づくりや片付けが雑になってしまったとき、一人一人を大切にできずに喧嘩してしまったとき、ものづくりがうまくいかなかったとき、こどもたちに何を投げかけるのかは、仲間として何を大切にするか、が問われる大事な瞬間です。ただ叱ること、自分の思いをぶつけることは簡単かもしれません。しかし、次に繋がる大切な分かれ道にこそ相談員としての役割があるのではないか感じました。
そんな時、だいだらぼっちではこどもたちがもう一度考えるきっかけとなるような一言や、自分の感情、気持ちを紐解くような声掛けが溢れているように思います。導いているわけでもなく、押し付けているわけでもなく、一意見を自分の経験を踏まえて伝える。よくある一般の言葉じゃない、その人だからこその言葉が洗練されていると感じます。
そんなスタッフさんの一言を聞いた時、悔しいとか怒りとかを超えて、考え込むこどもたちの姿を何度も見てきたように感じました。
『一生懸命より一所懸命』
例えば、係の仕事に追われて「一生懸命頑張らないと…」と焦っているこどもがいました。普通なら「焦らなくていいよ~」とか、「自分のペースでやりな~」といった声掛けをします。でもきっと、こどもたちはそんなことはわかってるんだろうなと感じます。それでも、時間や忙しさに追われているのは事実。
なんて声かけようかと迷っていると、
「私は一生懸命より、一所懸命って言葉が好きだな。その時々に本気になって頑張って、休むときは休んで蓄える。だから本気で頑張れるんじゃないかな。」ってみけから出た一言。
なんだか、じーんと心が温かくなって安心しました。
『違いは豊かさ』
NPOグリーンウッドの理念の一つでもある「違いは豊かさ」という言葉。ケンカが起きたとき、モメゴトになったとき、必ず伝えるギックの口癖でもあります。「人は一つとして同じ人はいない。でも、違うから面白い、違うからこそ何でもできるんじゃないのか?」といつもこどもたちに問いかけてくれます。
『一票を投じるのが大切』
話し合いはだいだらぼっちの基礎ですが、いつもうまくいくとは限りません。意見が対立したり、誰も手を挙げなかったりして、話が停滞するときもよくあります。
そんなとき、もーりぃは「自分の声を出して、一票を投じよう。それが間違ってるか、正しいかなんてたいしたことじゃない。ちゃんと自分は聞いているよという姿勢、参加しているという意思表示が大切なんだ」と話します。話しやすい雰囲気も、安心できる話し合いもみんなで作る。これは、私自身も意見が出せないときにアドバイスしてくれた言葉でもありました。
『できないのは、できる手段が少ないから』
暮らしの中で、みんなで決めたルールを何度も破ってしまうこどもがいました。周囲からも注意され、「できないから絶対無理だ!」と自暴自棄になっていました。”できない”と思っているものを”できる”に変えるのは、相当大変で、思い切りも必要です。どうしたもんか、と悩んでいると、なおみちが声をかけてくれました。「できないってあきらめてても暮らしていけないだけだよ。できないっていうのは、自分の持っている”できる”の手段が少ないからじゃないかな。いろんな方法を試してみて、できるような手段を見つけて増やしていこう」
「うん。」とうなづいて、納得したようでした。
言葉一つをとっても、その人の考え方や生き方が現れる。そして、その人の言葉だからこそ、ちゃんと伝わる。信頼して安心できる暮らしにつながっていく。まさに言霊だと感じました。
ここで一年を暮らしていると、なんだかだいだら語録集ができそうです。
そんな豊かな言葉の中で日々暮らしているので、こどもたちも話し合いで話す内容が変化してきました。自分の主観ばかりではなく、相手の考えを思いやったり、暮らしを良くするためにはどうするべきかを中心に据えて意見を出したり。
何を感じて、何を思っているのか、それが言葉となって現れるので、私自身も考えること一つ一つを丁寧に読み解きながら、磨いていきたいと思います。
「聴く」こと
そしてもう一つ、スタッフさんたちを見て驚かされたのが「聴く」姿勢。「聞く」と「聴く」の違いを改めてここに来て初めて知ったような気がします。
グリーンウッドでは、昼ミーティングのあとに毎日一人ずつ話す「3分間スピーチ」があります。
はじめは私に順番が回ってきた時、人前が苦手だったため緊張と不安でいっぱいでした。しかし、立ち上がってスタッフさんたちを見ると、耳と目と姿勢を全力で傾けてじっと私の声に耳を澄ませてくれていました。今まで、こんなに聴き入ろうとしてくれた大人たちは周りにおらず、まだ青すぎる私の話をうなずきながら楽しそうに聴いてくれる姿に、驚きと同時に、逆にドギマギとしてしまいました。
でもだからこそ、人前に立って自分の考えを伝えるという面白さを身にしみて感じ、「当たり障りなくするには」とか、「正しいことを言わないと」とか、今までの「話す」際のしがらみから離れて、「何を伝えたいのか」とか、「わかりやすく伝えるには」といった本質に気づけた気がしました。
心から話を聴いてくれるということは、自分でいることを肯定して安心させてくれるとても大事な姿勢であり、聴き手によって、話し手の話す内容や質の幅が広がってくるということを改めて実感しました。
また、伝える場面だけでなく、一対一で話したり、対話する中でも耳を澄ませてしっかり聴いてくれます。それを見て、こどもたちも全身で聴くことが日常になりつつあります。
ここでは当たり前のことかもしれませんが、そんな日常に最初は慣れませんでした。小学生でも大人でも、相手が誰であってもまずはしっかりと聴く姿勢が根本にあるからこそ、だいだらの話し合いや暮らしが成り立っているんだと感じました。
2024年度一年間長期インターン生。長崎県育ち長野県出身。信州大学4年生(休学中)。教育学部でよりよい学び場を模索する中、暮らしや手間の中にある「考える」おもしろさと地域を根っこにした教育に関心を持ち、グリーンウッドのインターン生として参加。