こどもに胸を張れる大人でありたい ~沖縄とハンセン病隔離政策~

沖縄にはいつも、やんばる(沖縄本島北部)に行く。
那覇空港から車でたっぷり2時間半はかかる再奥の集落。
そんな集落に私はもう30回ほど訪れている。
なにもそんなに遠くまで行かなくてもいいだろうと自分ですら思うけれども(笑)、また行ってしまうから不思議な魅力があるんだろうな。
この集落の話はまたいずれ記すことにする。

さて本題。
やんばるの帰りに必ず立ち寄るところがある。
沖縄県名護市屋我地島にあるハンセン病療養所「愛楽園」だ。
要は国策による隔離施設だった場所。
90歳になる「あつこオバアおばあ(糸数敦子さん)」とは、旧知の仲。
20年ほど前にこの施設に転がり込んで、朝まで患者さんとどんちゃん騒ぎをしたのが縁。
差別との闘いに明け暮れた旦那さん・宝善さんを数年前に亡くし、ちょっと心配していた。
思ったより元気でよかったよかった。

人間を人間と扱わない歴史がこの国にあった。
それは、遠い昔の話ではない。
1997年の「らい予防法撤廃」まで続いていた。
わずか20数年前ということに驚く。
激烈な痛みを伴う歴史。
その証人が途絶えていく危機をいよいよ感じる。
「沖縄にはまだ平和はない。怖いさ」と政府に訴える姿に、心が震える。
笑顔で別れたけれど、あと何度、会えるのだろうか。
生の声を聴くことができるチャンスはもう多くない。

あつこオバアの部屋から、徒歩30秒の浜に出て美しい海を眺める。
人目のつかないところに隔離施設を作ったものだと、つくづく想う。
それは原子力発電所の立地と全く同じことだ。

「隠す」
この国の政府の体質は、昔から変わらない。

目の前には、今や沖縄で一番有名な観光スポットになった長大な橋がかかる。
さらに沖合の離島とつながった橋には、ひっきりなしにレンタカーが走り抜ける。
この橋のたもとに、歴史に耐え抜いたひとびとが今生きていることを知っている観光客はいるのだろうか。
無関心と無知が、社会を蝕んでいく。

海を見つめて想う。
人が人として尊重される世界を強く願う。
自分たちのことは自分たちで決める自己決定権が、沖縄でも発揮されることを強く願う。
教育者のはしくれとして、こどもに胸を張れる大人でありたい。

代表 辻だいち