一生の宝になる時間と教え子 ~チャレンジングな立教大ゼミを終えて~

今年、立教大学では初のゼミを持った。
「学びを通した地方創生の超学際的アプローチ」という科目。
企画提案型のチャレンジングな授業だ。
ひと呼んで「辻ゼミ」。
そのまんまか(笑)

ゼミの学生諸君

この科目は、立教大学が力を入れいてる仕組みのひとつ。
詳しく話すと長くなるので割愛するが、様々な学部・学年の学生15人が集まり、多くのゲストを迎えて徹底的にダイアログを重ねる他流試合。
当然ながら、学生と一緒に創り上げる運営を重視する。
だから、その時その場の状況を読み取りながらの手探りの進め方だった。
今、流行りの言葉でいえば「アクティブラーニング」型の授業運営。
でも、なんというのか、正直そんな“陳腐な言葉”では表現できない講義となった。
これまでの私の講義の中でも会心の講義となった手応えがある。

ところが学生を見ていると、様々なモノが彼らの学びを阻害しているんだなこれが。
立教大に行ったんだから・・・という親のキタイ。
無難に冒険せずに生きていこうというコトナカレ安定志向。
自らのココロの底を見せまいとする防衛心と恐怖心。
相手のココロを見ようとしないメンドクサイ症候群。
とどのつまりはくだらないプライド。
どれもが彼らの学びを多方面からソガイしているのだ。

まずはここに集う仲間がいったいどんな人なのかを、丁寧にわかり合う。

そのひとつひとつを、丁寧に溶かしていくのに、前半の5コマほど時間を費やした。
場があたたまり、「ここでは自分の本音を語っていいんだ」「ここでは自分のココロの言葉をみんなが聞いてくれるんだ」という安心感が漂うようになる。
そうして初めて、ポツリポツリと学生が語り出した。
皆、自分の小さな想いや、小さな勇気が、社会に何の変容ももたらすはずがない、と、なかば自虐的に想っている。
ところが、たどたどしい「自分のひとこと」が、目の前のひとの学びに貢献したり、そのひとのココロを救うチカラがある。
そのことを、自らの物語や、地域や日本の未来の物語を語り合う中で、学生たちは実感した。
目の前のひとの「かすかな学び」を全力で聴くことで、自分の学びが湧き出るように増幅されていく。

少しずつ語り始める

休講を残念がる学生たち。オドロキだ。

そんな震えるような感覚もまた、学生たちは実感した。
「どうせ…」と斜に構えたり、一種のあきらめ感を纏っていた学生たち。
彼らが、わずかなきっかけから産み出される「学びの可能性」を、今まさに手にし始めている。
学生の顔の変化、ココロの変化、そして場の空気感の変容は、その場にいて感じると本当に気持ちの良いものだった。

学びが増幅されていく

ゼミ生の1人が、私の別の授業(300人)で登壇するまでになった。

彼らの学びを側面からサポートしたのが、ゲストの存在だろう。
千葉からは先進的な児童養護施設を運営する加賀孝之さんに、2回連続で来ていただいた。
東北宮城からは、東日本大震災で教え子を失いながら、その後「いのちの授業」を展開してきた制野俊弘先生(現:和光大准教授)も2回。
東北福島から、原発事故で全村避難を余儀なくされた飯舘村から、帰還困難区域の長泥区長:鴫原良友さん。
愛知から、北東アジアこども交流キャンプを展開し、名古屋周辺の外国人の権利や居場所つくりも手掛ける村上忠明さん。

加賀さん(1回目)

加賀さん(2回目)。学生のディスカッションにも参加していただいた。

制野先生(1回目)の破天荒なアプローチ

制野先生(2回目)

飯舘村の鴫原区長

村上さんもディスカッションに参加

ゲストの皆さんの事例(ひとづくり×地域創生のカタチ)は、学生たちに十分な刺激を与えた。
実はこのゲストの皆さんは皆、NPOグリーンウッドや泰阜村、私と縁のある人ばかりである。
泰阜村の学びの場と縁がある「ひと」が、今、学生に語り掛ける。
その「学びの循環」が、学生の学びを深めていった。
もちろん私の実践、泰阜村で展開される学びについても、渾身の力を込めて伝えた。
きっとそれは、学生たちの学びに少しは貢献していると信じたい。

最終授業は、自らの学びをプレゼンする

学生諸君は今後、社会に出ていく。
その際、「学びの可能性」を小さく見積もって出ていってほしくない。
ひとりひとりの小さな学びは、共鳴し、響き合って、大きなうねりとなって、学びの可能性を拓いていく。
学びの可能性は、かくも大きく深いものなのだ。
そのことを、少し実感できる授業だったのではないかと想う。
そして、それを一番実感したのは、私だったのだろう。

さらば辻ゼミの学生たち。
私にとって、一生の宝になる時間と教え子たちになる。
素敵な授業を一緒に創ってくれてありがとう。

代表 辻だいち