100歳の笑顔 ~彼女の歴史を受け継ぐということ~

100歳を迎えた“おばあま”が逝った。
“おばあま”とは、おばあ様の意味の方言だ。

彼女は、私たち(暮らしの学校:だいだらぼっちのこどもたち)に田んぼを貸してくれていた。
「もう米作りをする体力がない。手を入れないと田んぼが荒れていく。やってくれないか」
10数年前に、お願いされて手がけてきたのだ。

このおばあまは、実に75年以上この美しい棚田を守ってきたという。
私たちがその棚田を借りて米作りをするということは、このおばあまと彼女を支えた地域の人々の歴史を受け継ぐということなのだ。

96歳の頃のおばあま

品の良いおばあまだった。
先だった”おじいま”(おじい様)はぶっきらぼう。
いつ立ち寄っても、おじいまのそばでいつもニコニコしていた。
「ま、飲んでけ」と、おじいまにしこたま飲まされた。
そんな時も、「あれあれ、おじいまが“らんごく”(むちゃくちゃという意味の方言)で申し訳ないねえ」とやさしく見送ってくれた。

90歳の頃のおばあま

私たちの上手ではないコメ作りを、きっとハラハラして見ていたに違いない。
それでも文句ひとつ言わずに「田んぼを守ってくれてありがとなん」と逆にお礼を言われ続けてきた。
「これだけ穫れました!」と収穫の報告に行く。
「そんなに穫れたかな。“みやましい”なん(とても素晴らしいという意味の方言)」
とびきりの笑顔で迎えてくれた。
きっと内心は「これだけか・・・」と想っていたはずだ。
それでもいつもどんな時も、笑顔で見送ってくれた。

誰もいなくなったおばあまの家から見る風景。山賊キャンプのキャンプ場が一望できる

訃報があっても今のこの状況では、顔も見に行くことができない。
きっと最期も笑顔だったと想う。
彼女の笑顔が見れなくなるのはほんとうにつらいことだ、と今さらながらに気づく。
感謝してもしてもしきれないが、今は私が笑顔で見送らなければ。
お借りしていた田んぼは2年前に財産整理もありお返しした。
もう彼女の田んぼは受け継げないが、彼女の笑顔をしっかりと胸に刻み込みたい。
それが彼女と彼女を支えた地域の人びとの歴史を受け継ぐことだと信じて。

代表 辻だいち