一人の人として、「のいびー」として問われる半年。|2024長期インターン(のいびー)

  集合日にこどもたちと出会って、本当にあっという間に時が過ぎ、二学期が始まりました。「早すぎる…」と驚いている私を横目に見て、継続のこどもたちが、「これから更に加速していくよ」と、にやにやしながら母屋に帰ってきました。

  一瞬で過ぎ去ったように思えた一学期でしたが、とても色濃くて、たくさんのチャレンジと自分の課題に向き合えた半年だったように感じます。最も変化があったのは自分の体かもしれません。朝は7時に目が覚めて、ちゃんとご飯の時間にお腹が空く。当たり前だけど、サイクルが染み付いてきたなと感じました。そんな一学期の変化について、書ききれない点も沢山ありますが、いくつか振り返ります。

1.いろんなひとがいる
 グリーンウッドに来てまず感じたのは「いろんな人がいるな~」ということでした。相談員の中には、保育士もいるし、教師もいるし、社会福祉や地域社会づくりを学んできた人もいる。留学していた人やお店を開いていた人、ものづくりの職人さんもいる。ただ様々な経験を経てきた人がいるという職場は当たり前なのかもしれませんが、どこよりも「いろんなひとがいるな~」と感じる理由は、それぞれが自分の専門や特技、得意や性格を思いっきり生かして暮らしているということだと感じました。ものづくりや料理、音楽、遊びなど、暮らしの中でそれぞれの「プロ」がいて、ハクビシンをさばいたり、染め物を教えてくれたり、本気で楽しんでいる姿から、こどもたちも負けずと思いっきり楽しみます。

(ハクビシンのさばき方を教えてくれるなおみち)
(ビワの葉を使った染め物をするみけ)

 そして、多様な人がいるということは、その分だけ様々な視点で捉えられるということであり、アプローチの手段や方法も幅広く増えるということだと知りました。こどもたちの中でケンカが起きたとき、話し合いが停滞してしまったとき、それぞれの相談員の言葉で気持ちを伝えたり、アプローチし続けるため、同じように様々な個性を持つこどもたちそれぞれに届いていくように感じました。そんな相談員の姿を見て、こどもたちも自分でいていいんだという自信がついていくように見えました。

 そんなだいだらぼっちだからこそ、大人であることや相談員であることよりも、自分自身であることが求められているように感じられました。学校では教師という立場があり、家では兄弟や親といった型があるのに対して、だいだらでは自分には何ができて何を考えていてどんな人間なのかが常に問われているような気がします。そのため、思いっきりはしゃいで楽しい一学期ではありましたが、今まで、自分を隠してごまかしたり、意見や考えを伝えることが苦手だった私にとっては、本当に苦しい一学期でもありました。正しいとか正しくないとかではなく、のいびーなら何を思うのか、何を楽しむのか、自分をさらけ出さなければ本気で話し合えないと気付かされました。しかし、自分をさらけ出して本気で向き合う相談員やこどもたちにもまれる中で、日を追うごとに自分でいるというおもしろさを少しずつ実感しているように思います。まだまだ葛藤中ですが、自分の軸を見つけたい!というのが二学期からの目標になりました。

2.自然は「考える」を動かすフィールド

 自然に囲まれているだいだらぼっちの暮らしは、安心する居場所であり、最高の遊び場のように感じます。そんな自然の魅力に加えて、この一学期の中で自然は美しいだけじゃない!と感じる出来事がありました。みんなで寝っ転がって星空を眺めた日のことです。あるだいだらっこが七夕祭りを終えて、「七夕だし、天の川見に行こうよ」と提案した言葉がきっかけでした。星空で有名な阿智村に近いこともあり、電気の少ない村ならではの刺すような星の光もあって、見上げると言葉が出ないほど圧倒されました。すると、誰かが「今見てる星の光は、何万年も前の光らしいよ」とぼそっと口にしました。「そうなの!?」と驚くこどもたち。そこから話題は尽きず、「人は死んだら星になるのか」「宇宙はどこまで続いているのか」「星座はどうして作られたのか」なんて、普段は出てこないような話を永遠とみんなで語り合いました。今までケンカばかりだったこどもたち同士が真剣に話し合う姿や、地球誕生を語る仲間に驚きと尊敬の眼差しを向ける様子に、答えのない、でも考え続けるおもしろさを感じました。ゲームやテレビの話ばかりで、相手を言葉で打ち負かそうとする事が多かったこどもたちを、こんなにも自由で多様な考えにするのは自然という環境ならではではないかと感じます。

 この日に限った話ではなく、チャロの散歩中山を眺めた時、母屋の窓から紫色の夕日が見えた時、合宿終わりに外でご飯を食べた時。いろんな場面で大自然をみんなと感じるたびに、共通体験の中で、自分と仲間の新しい一面や考え方に触れられた4ヶ月でした。

3.本気で楽しむ

 そして一学期を通して最も感じたのが、「本気で楽しむ」ことの面白さと大切さでした。どんなにこどもと大人に壁はないとわかっていても、教育学部に所属している私は、大人という存在が教育者であると無意識に考えてしまいがちでした。そのため、「今こどもたちは学んでいるな」とか、「いま手を出したらいけない」とか、勝手にこどもたちから一歩引いてしまう癖がありました。しかし、だいだらぼっちではそんなことしていられません。

 ドロドロになって苗を頭に乗っけて大笑いした田植え、何度も失敗しながら挑戦したオムライスの卵焼き、泣き出す人が出てきて戸惑いながら進んだ話し合い、台本から作りあげた七夕の劇、こどもたちに教えてもらって一週間かけて完成した木工台。共に必死に汗をかいて作業して、時に悩みながら話し合いを繰り返して、達成したら喜んで。いつの間にかこどもたちと同じ目線に立って暮らしていました。そしてそれが本当に楽しい!自分が楽しいからこそ、こどもたちも楽しくなるし、こどもたちが楽しいと思うことが自分も楽しいと思えてくる。洗濯ができなかった日も、部屋の片付けがうまくいかなかったときも、「こうしなさい!」じゃなくて、「大変だ!」といっしょに笑って「じゃあどうしようか」といっしょに考えられる豊かさを知りました。今までの教育では感じられなかったこどもたちと「暮らす」という喜び、こどもと同じく自分も一人の人として関わるおもしろさを学んだような気がします。教え、教わる「教育」ではなく、暮らしながら共に学んでいく「共育だ!」なんて思ってしまいました。

 とても貴重で、今までの人生で一番ぎゅっと詰まりに詰まった一学期。苦しかったり、ドキドキしながら手を上げたり、自分自身を見つめ直さなければ生きていけない、そんな暮らしではありましたが、一人の人として、自分が何を考え、何を伝えるかをもう一度問い直す時間になりました。新たに付け加えたり、誰かになろうとするのではなく、「のいびー」を磨いて深めていけたら、と思います。いつの間にか一年が経っていた、なんてことにならないように、こどもたちに置いていかれないように、二学期は「振り返るだけでなく、恐れずに挑戦する」ことを目標に頑張っていきたいです。