負の連鎖を断ち切れ

パンデミックが宣言された。
欧米では非常事態宣言が出されている。
日本でも「緊急事態宣言」が可能な法律が可決された。
「緊急・非常事態」だけではなく、「未知と戦い」やもはや「戦争だ」などという表現が日に日に増えていく。
それはもちろんそうだろうし、その表現も理解できる。
一方で非常に危うい想いが渦巻く。

国が大きな危機に直面するとき、国が強くなろうとするとき、常に犠牲になるのは「より弱いもの」だ。
「より弱いものが犠牲になる負の連鎖」という戦争の本質が、そのことを物語る。
そしてその際の国策は、国民を守らない方向に作用することがあることは、歴史をみれば明らかだろう。

一斉休校というある意味国策によって、こどもが行き場を失っている。
危険なことは、こどもの身体だけではなく、心も人権(こどもの権利)もまた行き場を失っていることだ。
「あなたの仕事は勉強なのよ」と追いやり続けた勉強部屋に、またこどもを追い込もうというのか。
勉強部屋から外に出たこどもに、社会は「こどもお断り」の張り紙を容赦なく浴びせる。
「こどもの声が迷惑」と保育園の建設を拒否することもまた、この負の連鎖の延長だろう。
結局、母親や学童保育スタッフに負担がのしかかる始末。
女性活躍や一億総活躍、働き方改革はどこにいってしまったのか。
障がいや貧困など困難を抱えたこどもの心と人権は、大丈夫だろうかと本当に心配なる。
犠牲になるのは、やはり社会的弱者層だ。

こどもの学びと育ちを、社会的に抹殺するようなこの国策。
「この国は私たちを守ってくれない」
「この社会は私たちを大事にしてくれない」
未来を生きるこどもにそう想わせてどうする。

危機的な状況の時に、大人がどう動くのか。
より弱いものが犠牲になる「負の連鎖」を断ち切ることができるか。
次の時代を担うこどもたちは、実はそこをしっかりと見ている。
こどもに、絶望を抱かせてはいけない。
教育者のはしくれとして、こどもに胸を張れる大人でありたい。

代表 辻だいち