こどもがルールを決める暮らしって?|一年間のだいだらぼっちリアル!

4/1に18名のこどもが集合して、37年目の「暮らしの学校だいだらぼっち」(山村留学)がはじまりました。1年の長くて短い、こどもたちが自分たちで創り上げる暮らしのスタートです。

さてこどもたちが一番最初に話し合うのは何だと思いますか?


それは「明日の予定」です。

何時に起きる?
誰が朝ごはんを作るの?
ニワトリのエサは誰があげる?

つまり「私たちは明日どうやって暮らすか?」を考える。なにもきまっていない1年間とは、つまりそういうことです。初日から「何も決まっていないことを知り、ひとつずつ自分たちで決める暮らし」がはじまるのです。


2年以上継続して参加しているこどももいますが、半分は新規のこどもたちです。
そうなると、「新規の子だけではご飯作れないから、継続1人は必ず入ろう」と話し合っていくのですが、ここまでで概ね10分。さらに「じゃあ明日は何時に起きる?」「朝の掃除の場所も決まっていないからどこを誰がやる?」「新規の子に教えなければいけないから最低限でいいんじゃない?」…
「明日の予定」を決める。ただそれだけで軽く1時間はかかります。


それを1年間やるとなれば「話し合い」に膨大な時間が掛かります。特に最初の1週間は、「毎日の起床時間」「消灯の時間」「消灯後の過ごし方」「部屋での過ごし方」「ご飯当番の決め方と人数」「風呂焚き当番の決め方」「掃除する場所とその方法」「4月のスケジュール」「田んぼはやるのか?米作りをするのならどんな風に行うのか?」・・・大人でもクラクラします。
でもその一歩一歩が大切です。

自分たちの明日は自分たちの発言や決定によって決まるのだ。という厳然たる事実が、自分の足で歩むことを身体で知り、一歩一歩が自信となり、積み重ねが次のチャレンジへとつながります。

 

さて今回は開始して2週間経ったころの、2つの話し合いの様子をお伝えします。

お風呂「どっちが先に入る?」問題

お風呂に入る順番はどうするか?と言う話し合いで、男子も女子も一番風呂に入りたいため(というよりも、20人以上が入るとどうしても後半はお湯が少なかったり、汚れているので早く入りたい)、喧々諤々言いたいことを言い合っていました。最終的に「風呂掃除をした子の性別の方が最初に入るというのはどうか?そうしたら風呂掃除もモチベーションがあがる!」という意見に全員の賛成で決まりました。(だいだらぼっちは一人一票の話し合い。多数決では決めません)
お風呂掃除の手を抜かれるとあきらかにお風呂が汚い。この案は一石二鳥の案でみんなからも賛同を集めました。

掃除当番は当番表で順番に回ります。
ん?ちょっと待てよ。今年は女子12名、男子6名。どう考えても女子の方が先に入る回数多いじゃん!と私は思ったのですが、こどもたちは特に気にする様子もなかったので、そのまま決定。

ところが数日たつと、毎日毎日女子が風呂に最初に入る様子(アタリマエ!)に男子から「不公平だ!」と声が出始めます。

「だいたい男子の後のお風呂は汚い」とか「いや女子だって」という言い合いはもはや4月の風物詩です。これまで家族4,5人の暮らしでは直面しない問題にぶつかります。

結果「自分たちだっていいって言ったじゃん」という声も出ながらも、「1週間ごとに交代にする」ということで収まりました。(なんだかんだで優しいこどもたち)
自分たちでルールを決められるということは、うまくいかなければ変えることもできるということです。ちゃんと異議を唱える権利もあるのです。
みんながより良いと感じる暮らしに近づくためには、これからも何十、何百と話し合いがされていくのだと思います。

目的を見失う話し合い

夜の連絡(夕食後に毎日行う、困ったことや共有すること、明日の段取りを取る話し合い)で「今日は薪の話し合いだけど何時からやる?」という声がありました。

それに対して「やりたいことあるから、正直明日も空いてるし、今日はやらなくてもいいと思う」という意見に「いいです」の賛成の声。おいおいちょっと待て。まだまだ話し合わなければいけないことは山とあるぞ。と思いながら、こどもたちが決めたこと。言いたい気持ちをグッと我慢して流します。

翌日は中学生の下校が遅く、全員そろっての連絡がなかなか取れません。それぞれの用事やお風呂も重なり、やっと全員そろったのは夜の8時。
いつもの連絡が終わるともう8:30です。この後は薪の話し合いなのにどうするの?かと思いきや、

「女子がお風呂に入っていないし、夜が遅くなるから今日は話し合いをやめた方がいい」

またも先延ばしの発言!

「じゃあ、いつやる?」
「明日でいいと思う」
「でも明日は畑の話し合いだよ。早く何をどれくらい植えるか決めないと苗とか種が買えないよ」
「・・・」
「じゃあ週末にすれば?」
「土曜日は畑の土改良で1日かかるし、明後日は地域のおうちへあいさつ回りに、山に薪作業がある」
「どうしよう・・・」

追い込まれるこどもたち。
だんだんと昨日安易に決めたことが暮らしを圧迫し始めているのに気付き始めます。

「どっちにしろ30分じゃ話し合いにならないよ」
「でも、とにかくどんな作業があるかだけでも出し合おう」
「結局時間は足りないよ」
「消灯を伸ばしたらいいんじゃない」
といろいろな意見は出るも決められないこどもたち。結果「薪の話し合いを最優先にして畑は土日に絶対やる。明日はしっかりお風呂やごはんを先に食べて時間を作ろう」と決まったのは8:55。そもそもお風呂に入る時間を作るための発言のはずが、それが故にお風呂に入る時間をなくしてしまうという矛盾が起きました。

話し合いは手段です。自分たちの暮らしをより良くするためには、価値観の違う他人同士が自分の考えや想いを伝えなければ理解はできません。だから話し合いの過程こそが大事。
しかし今回のように、目的は「お風呂になるべく早く入る」というものが、話し合いをすることによって達成できない逆転現象もままあります。

では今回のことが「あってはならないことか」というと、こどもたちにとっては全てが学びです。
自分たちの都合を優先して先延ばしにしたこと、話し合いの目的を見失ってしまうこと、そもそも時間が掛かったこと。

常に「どんな暮らしをしたいの?」を考え、それが自分たち次第である「実感」が最も重要なのです。

今は4月も終わりに近づき、自分たちの暮らしもリズムができはじ、こども同士の関係性も変化してきました。しかし1年の暮らしはそんなに簡単ではありません。

次はどんなことにぶつかるのか?またお伝えします。