だいだらぼっちの卒業生にインタビュー かんや(1988・1989年度参加)

自分より年下でも人間として対等に意見を聞いてくれる、それってすごく難しい事。その良いお手本に沢山出会えたのは感謝です。

だいだらぼっちの卒業生・保護者にインタビューするこの企画、今回はだいだらぼっち3期生のOBかんやです。かんやは、だいだらぼっち3年目~4年目(1988~1989年度)に、小学2~3年生の二年間をだいだらぼっちで過ごしました。実は、みけがだいだらぼっちによく遊びに来るようになったのが、ちょうどかんやが現役のころからなのです。それではインタビュースタート!

ーこんにちは、さっそくですが、簡単に自己紹介をお願いします。

1988~1989年(小学校二・三年生)にいた、三.四期生のかんやです。現在の仕事は接客業、要はGSの店員です。家族は女房一人に、間もなく今年二十歳になる息子が一人。趣味は映画、音楽、読書(最近はVODばっかりで読めてない)かな。

ーかんやが、今のお仕事に就こうと思った理由を教えていただけますか?

最初は車が好きなので何となく入った感じですね。色々な仕事を経験した後、やはり車が好きなのと接客が向いているので出戻りました。

ーお仕事で大変だったことや困ったことはありますか?また、それらをどう乗り越えてきましたか?

やはり人間関係です。自分が、会社や世間一般の慣例よりも効率を優先させる所、超空気読めない性格な事も有り、合う人とは良いのですが、反対にルールに従うのが社会人として当然と信じて疑わないタイプの人とは徹底的に合わない。勿論こっちも社会人ですからお互いの妥協点を探りますが、どうしてもだめな時ってあります。そんなときは逃げます(笑)。近くに寄らないようにし、出来るのであれば上の人にも相談して配置換えをしてもらいます。

ー仕事の配置換えって、お願いしたらいけるんだ!(驚)してもらえなかったらどうするの?

難しい所だけど、進退含め相談するかな。相手が変わる気が無い場合、その人の近くにいても身体壊すだけだと思うから。

ーなるほどね。身体壊すほど無理することはないですもんね。

お仕事をしていてよかったと思うことや一番の思い出などあれば教えてください。

お客さんに喜んでいただいた時、特に担当として指名して貰えると思わずガッツポーズ!

ー(笑)わかる!接客してたらそれが一番ですよね。

今の仕事に就く前にかんやがしていたこと、経験したことなど、きっとたくさんあると思うので教えてください!

ー前職は木型の制作だったのですが、職人仕事にありがちな非効率的な「見て覚えろ」を経験できたのは大きかったですね、おかげで今新人教育に活かせてます。

ー木型の制作って何の木型ですか? そこで学んだことをどんな風に新人教育に活かしているのですか?

線路の砂型鋳造の元になる木型、ジョイントとか複雑な所は今でも木で作る。木だと削ったり足したりの設計変更も比較的に柔軟に対応できるのも大きいと思う。

経験をどう生かしてるかは、何も分からない人に目で盗めって言っても、自分は何を盗むかもわからなかったから、まずは理屈から教える事かな、この工程は何で必要なのかとか。

勿論反復による感覚への刷り込みを否定するつもりは無いから、何度もわかるまで教える、山本五十六の真似だけど。

これね:「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。」

ここからはだいだらぼっちで学んだ事だけど、まず人間としてお互いを知ること、相手に興味を持って接すれば何が得意かわかるかも知れないし、興味を持って貰えるかも知れない。好きこそ物の上手で、興味がわけば後は勝手に吸収できるようになると思う。興味を持たずに挫折するのは何よりも勿体無いと思うしね。

ーこの山本さんの言葉、以前インタビューしたしゃもじも言ってました。

そんな風に経験してきた中で、かけがえのない出会いってありますか?

人との出会いで言うならやはり高校からいまだに付き合いのある友人が何人かいます、古い付き合いだからからこそわかる考え方の変化や思想の変化などが最近面白い。

他には19歳位からバンドをやってたときかかわった人たち。アメリカのオールディーズ(ブールグラスとか)のバンドでとにかく年齢層が広く、上は50位から下は高校生までと、リーダーは私の親ととほぼ同年代で呉越同舟、だいだらぼっち以降初めて大人と交流出来た貴重な時間だったと思う。

特にバンドリーダーにはお世話になりました。思春期特有の恥ずかしい議論の相手をしてくれたり、変な質問にもこどもだからと適当に相手せず、ひとりの人間として扱ってくれたりしたのは嬉しかったな。当然今でもたまに顔出したりして繋がっています。

だいだらぼっちで知り合った人たちもそうだけど、自分より年下でも人間として対等に意見を聞いてくれる、それって自分が年齢を重ねて実感できたけどすごく難しい事。その良いお手本に沢山出会えたのは感謝です。

ーかんやは結婚もして、お父さんでもあるわけですが、家庭を持って自分の中で何か変わったことや気づいたことはありますか?

一般的には責任感等の話になると思うのですが、私自身が人間として成長していないことを痛感しているので、おこがましくてそれは言えないです。その代わりと言うか、こどもに尊敬というか馬鹿にされない父親になりたいと思っています。例えば何かを知りたい・知識を得たいという、人が人間になる為の作業を止めないようにとか、自分の感受性が鈍くならないようにする、とかもです。なんか言ってる事支離滅裂だね(笑)

ーそんなことないですよ。かんや一家はどんな一家ですか?PR含めて教えてください!

一般的な裕福で幸せな家庭像からすると劣っているのかもしれません。でも少なくとも私は楽しいし楽しく暮らそうと努力はしてるつもり。

年の離れた夫婦ですが(12歳差)夫婦仲は休みが合えばドライブ行ったりお気に入りの店にランチ行ったりと、良い方だと思います。

実は女房はざっくり言うとマンタロウの紹介なんです。

まだ学生だった時本ばっかり読んで超インドアだった私の事がマンタロウには不憫に見えたんだと思うんだけど、先述のバンドに誘ってくれたのはマンタロウで、そこでバンドメンバーとしていたのが今の女房という訳でマンタロウのお節介が紡いだご縁なのです。

ちなみに、バンドメンバーで書いた高校生はだいだらぼっちOGのチョコボだったりします(笑)。

息子は私に似ずスポーツが得意で学校でも楽しく過ごせるような子に育ってくれました、どこか遊びに誘ってもまぁまぁ付いてくるので親子仲は普通かな、今は自分のやりたい事に向かい勉強中です。

ー奥さんとの出会いはマンタロウがきっかけだったんですね。イメージとしては仲のいい夫婦、なんだけど、バンドつながりだったとは知りませんでした。今でも楽器弾いたりしてますか?

引いてない。(笑)かなり初期に挫折した。

ー(笑)正直だね。

かんやがいたころのだいだらぼっちはどんな感じでしたか?

いまもそうなんだと思うけど、家族・仲間そのどちらも併せ持った集団だったと思う、私自身がこどもで暴れまわってた(御免なさい)からもあるんだけど何するにも楽しかった。みなさんにはほんとにご迷惑をおかけしました。

ー当時の出来事で一番印象に残っていることはなんですか?また、面白エピソードがあったら教えてください。

色々とんでもない事があったし楽しい事もその何倍もあったからどれが一番と言われても絞り切れない。その中でも新聞にも取り上げられてしまった亮平との喧嘩は忘れられないよね。特に新聞に「仲直りした亮平と膝に乗る環也」って写真が載ったんだけど、その写真の子供、俺じゃねーし(笑)。たまたま遊びに来てた四つ下の弟だったんだけど、どう見ても8歳には見えんぞ。(笑)

ー亮平とのけんか、確か、部屋がおんなじで、いくら言ってもかんやが片づけないから、亮平が怒って環也の荷物を外に放り出したんだっけ?小2と中1の喧嘩でしたよね? 新聞の写真は間違ってたとして(笑)、仲直りはできたのですか?

たしか記者の人が帰ってから仲直りしたはず。ギックに諭されてだったと思う。

ーかんやは2年間だいだらぼっちにいたのだけれど、1年目が終わるころ、次年度も継続したいって言った時、確かお母さんといろいろ約束したけど全部約束すっぽかして、それでも残りたくて泣いて訴えてましたよね。小学2年生だったから、約束を守ることよりも、だいだらぼっちに残りたいっていう気持ちだけが大きかったんだと思うけど、それほど残りたかったのはなんでだったと思いますか?

わぁ、よく覚えてるね、って言うか、なんで知ってるの?(笑)恥ずかしいなぁ。(笑)何で二年目も残りたかったのかはうろ覚えだけど、自分の居場所が奪われるような感覚だったと思う。

ーおうち以外でもかんやがかんやらしくいられたってことなのかな?

だいだらぼっちでの暮らしは今のかんやにどんなふうにつながってますか、あるいはどんなふうに位置づいていますか?

バンドの時にも言ったけど、どんな相手でも話を聞こうっていうのは有るよ。だいだらぼっちにいた人ってみんな自分の好きな事をちゃんと大事にしていてそれがすごく素敵に見えて、今でも好きな事に一生懸命な人が好き。だいだらぼっちは自分にとって核となった最初の大きな出来事、基礎の基礎だと思う。

ーなるほど。かんやが来たときはまだ小学2年生で小さかったから、余計にインパクトが強かったのかもしれませんね。そんなかんやが今夢中になっていることはありますか?あれば教えてください。その魅力も!

学生の頃は読書にふけったり、最近は自転車で琵琶湖一周したりして走り回ったりもした。

だけどやっぱり映画かな。魅力は一杯あるけど、やっぱり作ってる人たちの映画への情熱が感じられるのが好き。黒沢とか最近だとノーランとか。この前「男はつらいよ」を全部見たんだけど、全部で50作品あって、当然面白い回、微妙な回も色々あるんだけど、映画の第一作目って1969年なんだよね。私が生まれる前。生きていない時代なのにその時代の空気が画面中に溢れていて感じられるのが凄い。そこから一応の最終作が1995年でその間の世俗の移り変わりがリアルにわかる、近代史としてみれるとか楽しみ方は無限大なのも好き。

ーシリーズで息の長い映画は余計そうかもしれないですね。みけも映画は好きだけど、ミーハーなので(笑)。そんなかんやの夢を教えてください。

夢と言うか死ぬまでいつも楽しんでいたい、何かに興味を持ち続けていたいです。

ー最後に今のだいだらぼっちのこどもたちにメッセージをお願いします!

何でもよいので夢中になれるものが見つかると良いね。

ーかんやの夢も今こどもたちにかけてもらった言葉も、すごくかんやらしい、好奇心が原動力な感じがしますね。ありがとうございました!

みけが遊びに来ていたころは、小さくてチョロチョロしてて、いたずら小僧のような顔をしていたかんや。話しているとすごく大人な部分と、変わらず好奇心旺盛な少年のような部分とをあわせ持っていました。自分がきちんと受け止めてもらっていたことを次の世代の人に、自分のこどもに、そのまましてあげたい、そういう大人が増えたらいい、と思っているのだなぁと感じました。かんやがこれからの人生も楽しみ続けることを応援しています!また社会が落ち着いたらその姿をだいだらぼっちのこどもたちに見せに来てくださいね!