まとまっていないところがいい ~学生がつぶやく未来への問い~

今少し、東日本大震災について綴る。
2021年3月11日、私は教え子たち(立教大のゼミ生他)と一緒に、福島にいた。
コロナ禍のなかで、どうして東北に足を運ぼうと想ったのか。
先の記事にも書いたが、今、東北の状況を次の世代に伝えなければ、という渇望感があった。
当時まだ小学生の学生たち。
この後の世代は、当事者意識、当時代意識がさらに薄れていってしまう。
そんな危機感。

そして忘れてならないのは「学生の学び」を強烈に支えたいという想いだ。
10年という節目に意味があるのか、とも想う。
それでも私たちが紡いできた被災地との縁を、改めて紡ぎなおそう、その場に学生も居合わせてもらおう、それが彼女たちの学びを支える、という気持ちが強かった。
今の福島を、ありのままを見せよう。
被災地のひとびとの生の声を、ありのまま聞かせよう。
私のこの想いに、福島のひとびとは快く応えてくれた。
彼女たちは私の娘のようなものだ。
ということは、福島のひとびとにとっても、娘のようなものだ。
次の時代を担う学生たちを、地域を超えて、時を超えて、育てるのだ。

同行した学生たち。真ん中は福島出身の卒業生。

学生たちと3日間一緒に被災地を周った。
コロナで学生同士の学びが止まった1年。
ゼミ単位での合宿や実習もまた止まった。
その替わりになるものではまったくないが、それでもプチ合宿だ。
そんな楽しみも少しだけあったかもしれない。

同行した学生に、1週間後、簡単な感想を書いてもらった。
当然のことだが言葉にして残し、フィードバックを受けるためだ。
2人には「難しく考えなくてOK。レポートでもなければ、論文でもないし、テストでもない。うまく書く必要はまったくない。想っていることを率直に書くことが大事」と伝えた。

ここは、学生の感想を、そのまま掲載する。
ほとばしる想い、若いがゆえの感性、そして未来への問い。
まとまっていないところがいい。
被災地を見て終わりではない。
ここが始まりなのだから。
今後、10年かけて、言葉を自分のものにしてもらうといいな。
ぜひご覧いただきたい。

●学生1
帰還困難区域のおぞましい雰囲気。
汚染廃棄物の入っているフレコンバックの山。
津波で甚大な被害があった街。
一面防波堤で綺麗な海が見えない場所。
建物はあるのに人の気配のない街。

ありがたいことに10年目にしてやっと訪れることができた。

メディアで扱われるものは「震災があった」という出来事として。

でも実際に目にしたものは「生活そのもの」だった。

経過した年を節目として忘れないようにすることはいいかもしれない。
だけどあの日から今・そしてこれからも続いていく彼らの生活のことに目を向けられている人はどれだけいるのだろうか。

この3日間「復興」という言葉や「支援」を私たちが満足するだけのものになってしまっている愚かさに気付かされた毎日だった。

私が出来ることなんてほとんどない。
心まで刻まれている痛みをすべて汲み取ることだって難しい。

でもその中で私には何が出来るかを考え続けたいし、今回を機に足を運び続けたい。

●学生2
2021.3.11
後日振り返り

午前:飯館村

飯館村の長泥地区は、もう完全に誰も住みたくない場所になっている。それなら移住すれば良い、とも思えてしまうけれど、もしそれが、とても美しい村で、そして自分の生まれ育った故郷だったら?仕方ないと割り切ることもできるけれど、やっぱり少しやり切れない感じはするのではないか。
長泥地区についての予備知識が少なすぎたことには、少し後悔した。帰ってきてから調べたりして、補完することが出来た。鴫原さんに聞いたことを、バイト先の後輩に伝えてみようとしたけど、なんだか上手く伝わらなかった気がする。母にも話したけど、超無関心らしくて、ほとんど聞いてくれなかった気がする。後輩に伝わらなかったのは、私の理解が足りないから、なんだと思う。
なんていうか、実際に見に行ったら全部、分かるような気がしてた。そんなことなかった。一回見に行っただけじゃ理解できない、こともある。

午後:海岸線沿いを移動

車に乗ってる間に、14:46になった。サイレンが鳴って、外を見ると、工事現場の人たちが作業を中断して黙祷していた。特別な時間が流れているのを感じた。この場所で災害が起きたのだということ、その日から今までは地続きであることを強く実感して、少し切ない気持ちになった。
原発近くにはビジネスホテルが建設中だった。原発の廃炉のために、作業員が毎日何千人も働いているから。たぶんその人たちのため。一時期はその人たちが、いわきでホームレスしてたって話も聞いた。
アートを見た。いままでアートに興味はなかった。それでも、そこに込められた想いを聞いた時、感動した。悲しくも何ともないのに。アートそのものに対して素晴らしいとか思わなかったのに。どうしてだったんだろう。双葉町の人々の伝統があって、それを子どもが受け継ぐ。みんなで力を合わせて、復興を引っ張っていく。だいたいそんな意味が込められているそうだ。
伝承館に少し寄った。写真が飾ってあった。多くの人の命が奪われた悲しい災害を、センセーショナルに表現している印象だった。その写真たちは、震災に対しての「悲しさ」にスポットライトをあてていたのだと思う。震災は怖くて、命や故郷は愛しいものである、ということを再確認させるような写真だったと思う。実際の被災者の方のお話を聞いている時とは、少し違う印象を抱いた。例えば鴫原さんのお話を聞いている時は、「そうなんだ!!」と学んでいる(=教えてもらっている)感覚。写真やアートを見た時は、被災者の気持ちに共感しようとする感覚。どちらが正しいとかではないのかもしれないけれど、得た感覚が違ったのは私だけだろうか。


津波の被害があった場所は、すすきの草原となっていた。人の気配はしなかった。震災遺構の小学校以外はもう、何もなかった。震災遺構となった小学校はあの時のまま、たぶん、泥とかが洗い流されただけ、壊れた天井も昇降口も、そのまま。
もうここには住めない、住みたくない。そう思って当然だ。もう道路も何もなかった。…でも、10年前は普通に住宅地だったんだよな。いまも、こんな感じなんだ…というのが率直な感想。なんていうか、特に驚くようなことはなかったというか、何もなかった。というか何もなさすぎて、驚いた。
でも、浜辺に置いてある花とかを見て、ほんとうに、ここで人が亡くなったんだ、ということを実感してしまった。私がこういうことに鈍感なのは、たぶん自分の身近な人が亡くなったことがないからだと思う。

夜:あぶくまエヌエスネット

それから、夜に聞いた進士さんのお話も興味深かった。他の人の人生って、何時間聞いても楽しいなと思った。そうやって父に言ったら、「そうかなー?つまんない時もあるよー。」って、言っていたけれど。
やりたいこと、信念が一つあれば、たとえ人生に迷ったって、どこかで何とかなるのかもしれない。と思った。
強すぎるくらいの信念と、好きなものを人生の軸にすることって大事!と、最近よく思う。今のところ思ってるだけ。20歳で、まだ社会にも出ていないのに、人生の軸を決めてしまうのは少し怖い。
あと、星が綺麗だった。空気がおいしかった。なんか好きな匂いがした。

2021.3.11のまとめ。

震災で亡くなった人たちやその家族の人生は、どこか遠くの「悲しい物語」では決してないこと。人間の生活は、震災があっても続いていくんだってこと。「悲しい物語」に閉じ込めるのは、事実だけど事実じゃない。つまり、等身大のその人の人生じゃないってこと。
そして意見として持ったことは、
・原発は道理に合わない。
・災害はいつか来てしまうもの。
・それでも人の生活が完全にストップするわけじゃない。
って、いまのところそれだけ。

分からなくなったことのほうが多い。
自然災害は大変だ。それを伝えるため、センセーショナルに感情を煽ることは重要なのか。それによるメリットってなんだろう。多くの人が危機感を持つ。防災に興味を持つことだろうか。たとえ、一時的にでも。センセーショナルに表現することによるデメリットってなんだろう。本当の気持ち、等身大の被災者の気持ちは伝わりにくいことだろうか。やっぱり「見に行かないと分からないこと」はあって、それを知らないまま、知った気になってしまったり、無関心になってしまったりする。
感情を煽るのが少し違う気がしたからと言って、みんなが実際に見にいくわけにもいかないけれど。
それから、実際に被害にあった人たちの思考回路と、たぶん私たち(外側の人)の思考回路はどうしても少し異なる点がある気がした。たぶんそれが、政府と飯館村の関係にも影響してるんじゃないかなぁ。これは憶測であって、断定できないけど。(私はその辺の知識が浅いかもしれない。)

津波の影響を受ける可能性が高い場所には絶対に住まないようにすれば良い?津波に飲まれないように、15メートルの防波堤を全ての海岸線につくれば良い?
帰宅困難地域も原発も、放射線量が減るまでひとまずは放っておけば良い?
それってどうなんだろう?一見正しいように見えてしまうけれど、反対意見が多そうなのはどうしてだろう?そうやって、人が住めない、住むのに魅力的じゃない地域を増やしてしまうと、その地域を、その地域の歴史を踏みにじってしまうような気持ちになるからだろうか。(感情論みたいになってしまって、コレを結論にするのは嫌だな。)それに、防波堤だって壊されちゃうんだよな。

感想を書いても、月並みな言葉ばかりになってしまって、どうしても、なんか思ってるのと違う文章になってしまう。この後もきっと、何度も書き足していくのだろうと思う。

代表 辻だいち