教員を大学だけが養成することなど、すでに時代遅れだ

「教職課程」という雑誌に私のコメントが掲載された。
教員採用試験を受ける若者のための雑誌らしい。
よくこんな雑誌に取材されたな、俺(笑)。
でもそうなんだよな、教員を大学だけが養成することこそ時代遅れだ。
地域社会やNPOに養成された教員が、公立学校で教鞭をとる。
そんな柔軟な発想をカタチにした「1年間のプログラム」を、グリーンウッドはもう15年ほど続けている。
4月から改めて2人を迎える。

暮らしの学校「だいだらぼっち」には、子どもだけが留学しているわけではない。
若者も年に1~2名留学している。
彼らはグリーンウッドが雇用するスタッフではない。
インターンシップとして研修を受けるものでもない。
私はこの場こそが「やすおか教育大学」だと想っている。

彼らは自らの意志で、一年間の学びを得るために、「だいだらぼっち」で暮らしている。
スタッフと同じような活動をするときもある。
ときには子どもたちととことんまで話合う。
ときには、村のマナーに違反しときには、村人に厳しく叱られる。
ときには、子どもや保護者とおなかが痛くなるまで笑う。
ときには、人生をかけて子どもと向き合う。

2021年度に1年間参加する2人

彼らは、いつか教員になりたいという。
それならば、と私たちグリーンウッドは、「山賊キャンプのボランティア」という短い期間ではなく、一年間の学びの場を提供した。
それが、グリーンウッドの「教師・指導者養成プロジェクト」だ。
教員を目指す若者が、「だいだらぼっち」の子どもたちと一緒に暮らしながら、教員に必要なものを丁寧に学んでいくのだ。

費用は一年間で45万円。食費、住居費、光熱費、生活に関わる家電(洗濯機、掃除機など)の使用料、保険料が含まれる。もちろん指導料もだ。
2008年開始から現在まで、プロジェクトに参加したのは11人。
民間団体、それもNPOが、教員養成? 生意気に聞こえるかもしれない。
でも私は全くひるんでいない。
いったいいつから学校だけが教育を施す場になったのか。
しかもその教員を、いったいいつから大学だけが養成するようになったのか。その限界は、現在の教育現場をみれば明らかだ。

教育は、けっして学校だけにあるのではなく、子どもの未来を考え抜こうとする気概のある「あちこち」に存在できる可能性を持っている。
それが地域であり、家庭であり、学校でもある。
そして、教員もまた学校の中だけに存在するものではない。
子どもの未来を考え抜こうとする大人はみな良質な教員だ。
私から言わせれば、教員を大学だけが養成することこそ、すでに時代遅れだ。

民間団体やNPOが教員を育成し、その教員が公立学校で教鞭をふるう。
素敵なことだ。
こういった柔軟な実践が、時代を変えていくのだ。

旅立った11人のうち、6人が公立学校教員の道に進んだ。
1人は、大学在学中(休学して参加)で採用試験に向けて勉強中。
1人は、暮らしの学校「だいだらぼっち」の責任者。
もちろん、全員が教員になるわけでもない。
それでも確かに、学童保育、子どもの居場所、ものづくりや地域づくり、食や農、コミュニティなど、「学び」の場に携わり続けている。

1年間の教師・指導者養成プロジェクト。
それは、「やすおか教育大学」ともいうべきものである。
このプロジェクトを経た若者が、新しい子どもたちの教育の場を切り拓いてくれることを願いたい。
そして、想いある若者たちよ、チャンスは今しかない。
信州泰阜村で待っている。

代表 辻だいち