気が遠くなる理不尽さに魂が震える ~複合災害の地:福島をめぐり~

福島は、放射能、地震、津波、風評という、世界的にも珍しい複合被災地だ。
津波被害が甚大だったいわき市豊間地区に立つ。
驚くべき防潮堤と防災緑地。
津波被害の面影はない。
目の前にはおだやかな太平洋。
この海にいくつもの命がひきずりこまれていったんだな。
海の彼方から、声にならない無念の想いがかすかに聞こえてくる気がする。
自分も海に引きずり込まれそうな感覚に陥り、身体が震えた。

2021.3.11 浜に花が手向けられていた

防潮堤に複雑な想いを抱く学生たち

双葉町では、ウオールアートの仕掛人たちに出逢う。
若者たちが、もう私のようなオッサンでは考えつかないようなアイディアで、前向きに被災地をとらえなおしている。
それは最大限の敬意を表したい。
しかし彼らが壁に絵を描いていたのは、福島第一原発からわずか2㎞の地だ。
隣接して「東日本大震災・原子力災害伝承館」が開設され、多くの人が出入りしている。
こんなに近くでひとびとが動いて大丈夫なのだろうか。
周囲の家は朽ち果て、明かりが灯ることがほとんどない。
あの林の向こうに原発があるが見えない。
見えないところに建設されてきたのだ。
「隠す」というこの国の政府の本質を物語る。
歩いてすぐの地に、行き場を失う汚染水タンクがひしめきあっている。
この、とてつもない違和感に、心が震えた。

原発からわずか2㎞の地

飯舘村にも足を運ぶ。
村で唯一の帰還困難地域の長泥地区。
そこは、驚くべき凄惨な地だ。
国が、なかったことにする、見なかったことにする、つまりは「隠してきた」地。
事故後1日、2日で避難した富岡、双葉、大熊、浪江などと違い、30キロ圏外ということで安全と言われていたがゆえに、1ヶ月以上もそこにとどまってしまった。
国や県はその危険な情報を握っていたにも関わらず。
情報を隠され続けたひとびと(こどもや妊婦を含む)が浴びた、1か月間の線量は、どれほどのものなのか。
その検証も、そして隠し続けた反省もないままに、今、再稼働に突き進む日本に、飯舘村の住民はどう想うのか。
その声を、今、聞かなければならないと心の底から想う。

長泥地区の入り口:バリケード

集められたままのフレコンバック(放射性汚染物質)

フレコンバックが谷という谷をうめつくす

長泥地区の前区長:鴫原さん

長泥地区の前区長、鴫原良友さんと10年にわたって信頼関係を創ってきた。
彼との関係性の中で、今回も帰還困難区域の長泥に入れた。
2年ぶりに訪れたが、信じがたい光景が広がっていた。
長泥地区のひとびとの「苦渋の決断」を思い知る。
きちんとマスコミが報道すべきだと強く進言したい。
これが原発災害の真実だと。
私の実家(福井県小浜市)は、再稼働している大飯原発から5キロ圏内。
再稼働をめざす高浜原発からも軽く10キロ圏内、美浜原発敦賀原発からも20キロ圏内だ。
小さな港町:小浜は、万が一の場合、あっという間に複合災害の当事者になる。
まだ被災していない「未災地」なだけだ。
福井に育ちながら、子どものころは何も、誰も教えてくれなかったリスク。
隠されたまま2011年を迎えた悔しさ。
この後も続くリスクの甚大さ。
この、気が遠くなる理不尽さに、魂が震えた。

野生の王国になっている

フレコンバックの中身:汚染土を農業の土に再生する実証実験プラント

飯舘村からも、いわき市からも、「信州こども山賊キャンプ」にこどもたちを招待した。
こどもたちの成長とともに、こどもたちを送り出した地域とそこに住む人々の変遷をたどる旅でもある。
この旅に、私の立教大学のゼミ生が同行した。
10年前のこどもたちとゼミ生は、ほぼ同じ年代だ。
こどもたちの成長と、ゼミ生の学びはいずれ紹介したい。

代表 辻だいち