一年間、こどもと向き合う挑戦!育成プロジェクト かなぽん学びのコラム① ~4月

NPOグリーンウッドでは、次世代を担う教師を育てる「教師・指導者育成プロジェクト」を実施しています。育成プロジェクトでは山村留学だいだらぼっちや信州こども山賊キャンプなどグリーンウッドの様々な事業に関わり、こどもたちと生活を共にし、実体験を積む中で人間としての土台を拡げることを目的にしています。今年度参加者のかなぽん(岩橋香奈さん)の4月のプロジェクトの様子です。

はじめに

私がだいだらぼっちに来ることを決めたのは、自分自身の足りない所を変えたいと思ったからです。教職を目指し、大学で3年間学び、教育実習を経験する中で、「言葉」というものを意識するようになりました。自分の心の中で考えていることと発する言葉に齟齬が生じたときや、その場に適した言葉を話していて、内容に偽りがなくても、私の中に落とし込まれていない、上滑りするような言葉を話していることが多々あることが、とても気になったのです。
自分の心や身体で感じたこと、頭と心の両方が納得した言葉を話せるようになりたい、そう思いました。
そのように考えていたとき、頭に浮かんだのは、大学生になってから毎年夏に参加していた山賊キャンプでした。こどもたちが能動的に参加し、数日の間に目に見えて成長する姿を目の当たりにし、こどもたちが学ぶ姿の中に自らの学びがあると実感していました。そこでのこどもの学びは学校の教室のそれとは少し違うものでした。教科書の理解度が向上するようなものではありません。けれど、人と一緒に何かをやり遂げることや他人の意見に耳を傾けること、やりたいことのために準備をすることなど、勉強の土台、あるいは生きていく中で身に着けるべきことが、なぜ大切とされているのかを肌で感じることのできる場なのだと思いました。
私は、全力でぶつかるこどもたちの中では、表面だけを取り繕っていても仲間には慣れないと理屈ではなくわかっていたように思います。だから、キャンプに参加している時の私は、自分の言葉に自分でも納得できていたし、誰かに深く突っ込まれたとしても、相手が納得するように話せただろうと思います。
だいだらぼっちで1年間暮らすことで、キャンプで感じたことをより深め、自分のものにできるのではないかと考えました。また、キャンプとは違い、1年間という長い時間で、キャンプでは見ることのできないこどもの姿がみられるのではないかという思いもあります。暮らしを共にしていれば、相手の良いところだけを見ているわけにはいかないと思います。嫌な思いをしたとき、苦しい時、そのような時に自分はこどもとどのように関わるのか、自分の中で軸となる何かを見出したいです。

4月をすごしてみて

だいだらぼっちで1カ月暮らしてみて、日々はめまぐるしく過ぎていきました。何かを頑張っても1カ月は過ぎるし、逆に何もしなくても時間は流れていくんだというのが、こどもたちを見ていて感じたことです。こどもたちは暮らしの中で様々な役割があります。役割を持つかどうかも自分で決められます。役割があって頑張れる子もいれば、自分のことで精一杯の子もいます。全員が頑張らなくてもまわってしまうからこそ、全員が能動的に暮らせるようになるにはどうしたらいいのだろうと思いました。無理に参加させたいわけではなく、やりたくないことや苦手な事から逃げることが、なぜよしとされないのか、どうしたらわかるのだろうかと考え、私自身にも納得のいく答えがない事に気が付きました。よく考えたらわかっていないのに、答えを持ち合わせている気になっていることが、他にもたくさんあるのだろうと思います。それが、中身のない言葉を生む理由のひとつなのだろうと思いました。
自分の課題は、問題にすぐに背を向けてしまうことだと感じました。今に始まったわけではなく、自分で気が付いたときには、物事に対し波風立てぬようにする癖が染みついてしまっていました。そのことを痛感したのは、こどもに対し、言いたいことがあった時に、同じことを2回までは言ったのに、3回目を言うことをやめてしまったときです。後で、なぜ3回目を言わなかったのだろう、言えなかったのだろうと考えました。また、トラブルがあって、きちんと話がしたいと思っていたのに、そのままにして時間が解決することを待ってしまったこともありました。なぜ、向き合えなかったのかを突き詰めていき、そのような自分を変えていきたいと思います。

だいだらぼっちでの暮らしは、みんなでつくっていくものだなと特に感じることはお風呂です。ガスのお風呂では寒ければ、追い焚きボタンを押します。だいだらぼっちの五右衛門風呂は、薪で焚くお風呂なので、放っておくと、お湯がどんどん冷めてしまいます。早く上がった人が、追加で薪をくべて火を焚く様子はまさに追い焚きで、当たり前に使っていた言葉は暮らしの中から生まれているんだなと感じる瞬間です。お風呂に入る時、上がってから、誰かが追い焚きしてくれているところを見ると、みんなで暮らしているということを実感します。

5月に向けて

4月を過ごした中で見えた課題を乗り越えるために、まずは何事にもチャレンジしていこうと思います。子どもたちとたくさん話をして、向き合っていくことはもちろん、苦手な事にも、積極的に取り組んでいきたいです。特に、食に関することは、頑張りたいと思います。私は偏食で好き嫌いが多く、料理もほとんどしたことがありませんでした。でも、だいだらぼっちでは、村の方から新鮮な野菜をいただくことも多く、食べることと生きることのつながりを感じるようになりました。こどもたちと一緒にご飯づくりをたくさんして、色々な食材を美味しいと味わえるようになりたいと思います。

4月研修担当 みけのふりかえり

怒涛のような一カ月を過ごしてみて、かなぽんが感じた自分への課題は「問題に背を向けてしまうこと」でした。が、かなぽんと一緒に過ごして感じたことは、決して背を向けてはいないということです。「あれ?」と思ったらかなぽんは必ず声をかけていました。ただ、「あと一歩、踏み出せばよかった」と思う場面が多かったのだと思います。

だいだらぼっちでは大人もこどもも等しく「一票」を持っています。暮らしをまわしていくために、何かを成し遂げるために、お互いを大切にするために、責任ある「一票」です。かなぽんが言うように、大勢で暮らしているだいだらぼっちでは、その「一票」を発動させなくても暮らしがまわっていってしまうこともあります。かなぽんが「何事にもチャレンジしよう!」と決めたことは、かなぽん自身が「能動的に=一票に責任を持って」暮らしていくための足掛かりとなると思います。そしてそれは「あと一歩」を踏み出すことにきっとつながるはず!この一年でかなぽんがどんなチャレンジをしていくのか楽しみです。がんばれ、かなぽん!