9月の終わりに東京と名古屋で山賊キャンプの想い出会がありました。想い出会は、キャンプで出会ったこどもたちと夏の思い出を一緒に振り返る会のことです。あっという間に過ぎていった山賊キャンプでしたが、私もこどもたちと再会して、思いっきり満喫した日々を思い出しました。
夏休みには、だいだらぼっちのこどもたちがそれぞれの家に帰っているため、だいだらぼっちのスタッフも山賊キャンプのスタッフに変身します。私も、全国から来るこどもたちと、ボランティアの相談員さんたちを迎え入れる立場になりました。
以前、グリーンウッドの事業の一つである山賊キャンプには、高校生の頃に一度ボランティアとして参加したことがありました。言われてきたことをやっていれば生きていけた学校とは打ってかわって、期間中のスケジュールも、毎日食べるご飯のメニューも、火の起こし方や仲直りの仕方までも、自分たちで考える山賊キャンプ。その時の一番の印象は「これは…大変だ…」でした。
忙しいという意味だけではありません。こどもも私自身も、自分たちで決断するということになれていない中、意見の違いを話し合って「決める」ということ。答えがないからこそ、どうやって楽しむかが自由であること。
こんなに大変で、そしてこんなに「大変」にワクワクするキャンプは山賊キャンプでしか味わえないと感じました。
そんな大変を楽しむ山賊キャンプの本部スタッフとして、一ヶ月夏を過ごす中で学んだことについてお話します。
グリーンウッドでは、こどもたちと共に暮らす大人の存在を「相談員」といいます。先生や、指導員ではなく、相談員という、新しい立場。今までだいだらぼっちで半年の間、「相談員」になりきっていましたが、今回山賊キャンプで初めて相談員さんとこどもたちの関わりを見る立場になって、改めてどのような存在かを認識した気がしました。
相談員って何者だ?
キャンプ中、こどもたちと関わる中で、相談員さんの多くが大切にしているなと感じたことは、「こどもたちにたくさんの経験をしてほしい」、「考えたり試行錯誤して成長につながってほしい」ということでした。この共通の目的はありつつも、それぞれ葛藤していたのが、どこまで手や口を出すのか、こどもにやってもらうのか、という相談員の立場です。1歩引いて見守ったり、先陣を切って話し合いを引っ張ったり様々な相談員さんがいました。
そんな様子を見ていく中で、相談員とは、1人の「仲間」であることを感じました。
キャンプ期間中、同じように寝食を共にし、話し合い、楽しみ、たくさんの思い出になる中で、こどもたちは相談員を1人の仲間として認識します。そのため、大人としての物言いは、日にちを重ねるほど思いが伝わりにくくなっていきます。「これやって、あれやって」と指導者の立場では聞き耳を持たず、大人として怒っても「やらされる」という意識が強くなっていくばかりなのです。
1番大事なのは、相談員が何を思い、仲間として自分の思いを伝えられるかということだと感じました。例えば、お皿を洗わない子がいれば「みんな頑張ってるんだからやろうよ」と客観的な視点で伝えるのではなく、「私はお皿を1人で洗っていて大変だ、一緒に食べたのに私だけ洗うのはおかしいんじゃない?」と自分の言葉で伝えること。こどもに負けずに、思いっきりはしゃいで川遊びやごはん作りを楽しむこと。一見、こどもと同じでいいのだろうか、もっと大人として言えることがないのだろうかと感じてしまうかもしれません。
でもそれがいいんです。
思うように伝えていい、だって自分も仲間の一人だから、という精神。
こどもたちも仲間に言われたら、助けるしかありません。
仲間が本気であそんでいるのをみたら、本気で楽しむしかありません。
相談員が一緒に活動することが前提になっているからだと思います。
「仲間」とは、切っても切れない「家族」とは違うし、いつでもそばにいる友達とも違います。
「山賊キャンプに来たい!」という同じ思いでつながって、それぞれのできることを持ち寄って暮らしを共に作りあげていく同士だと思います。だからこそ、仲間の1人として、大人や指導員ではなく「私」として向き合うことが大切だと感じました。
もちろん、相談員としての役割や責任もあります。
例えば、「安全管理」。しかし、それも大人として、と言うよりは、大人の仲間として持ちよれるものだからやるべきことの一つになるのではないかと感じます。
この仲間としてのスタンスは、こどもだけでなく、相談員としても我慢や気疲れがなく、自分として関わる気楽さ、おもしろさが詰まっています。
相談員が生き生きとしていることは、目に見えてこどもの生き生きにつながることも、キャンプ中、本部テントから見ていて感じました。こどもの姿から大人が何を思って関わってきたのかよくわかる、つまり「こどもは大人の鏡だ」という長老のもーりぃの言葉が、腑に落ちた気がしました。
名古屋の朝づくり
そんな相談員さんたちの関わりを見て、本部スタッフである私は、相談員のおもしろさに惹かれていました。早く相談員やりたいな…とじっとしてられずにうろうろしていました。
そんな中、なんと運良く回ってきたのが「名古屋チームの朝づくり」です。
キャンプの最終日は、バスの時間の関係上、東京方面に帰る人が朝早く出てしまうため、名古屋方面のこどもたちが少し遅れて残ります。そのため、前日にも全員で掃除は行いますが、最後の後始末を名古屋チームが請け負うのです。「朝づくり」というのは、泰阜村の方言で朝仕事のこと。掃除など朝に終わらせて一日を気持ちよく過ごそうというものです。
単純に言えば「掃除」。おもしろく言えば「朝づくり」。
これをどのようにこどもたちに伝えるのか、それ次第で、嫌なものになるか、やってみたいというチャレンジになるかが決まってきます。本部スタッフとして全体を見回してきた中、唯一直接身近に子どもたちに伝えられる場、実践できる場でもありました。
最初の組では、やはり朝づくりについて伝えると「えーーー」という言葉が帰ってきました。「なんで東京チームはやらないのに、俺達ばかりが後片付けしないといけないの?」という不満も出ました。ここまではわかっていたこと。「よし、ここからだ!」と気合を入れて、自分の思いを伝えました。帰っていった仲間の気持ちを請け負って最後を締めくくろうということ、次にキャンプするこどもたちのためにきれいな場所を受け渡そうということ、役割分担して全員で気持ち良い朝を作ってしまおうということ。そして朝づくりを楽しもうということ。
不安もありましたが、まっすぐに気持ちを伝えるほど、こどもたちはどんどんとやる気が出てきます。役割を決めて、円陣を組むと、「頑張るぞ!」「おー!」という大きな声で朝づくりが始まりました。トイレ掃除に、たらい洗い、かまどの石の片付けやテントの掃き掃除。次々と朝づくりが終わり、「他にやることない?」「意外と楽しいじゃん」とノリノリで片付けられていきます。ハイタッチで終わり、やりきったとみんなで顔を見合わせたときの表情は忘れられません。
最後にきれいになったキャンプ場をあとにして、気持ち良い顔で帰っていく名古屋チームを見るのが、私のキャンプ中の一番の楽しみなりました。
もちろん、いつも同じことを伝えるわけではありません。残ったこどもたちの年齢や山賊キャンプ歴、キャンプの期間の長さなど、こどもたちの関係や姿に合わせて話すことが鍵になってきます。相談員としての立場はともに暮らした仲間でも変わるし、伝えたい思いも変わっていく変動性があることに気付かされました。
初めて相談員を傍から見たこと、そこでの気づきを朝づくりで実践したことで、相談員として在ることや仲間として関わることが、自分の中に落とし込まれたひと夏だったように感じます。何を一つとっても、相談員がどのように望むかどうかでこどもたちの暮らし方は変わってくることも実感しました。
気取らず、一歩踏み込んで。自分で勝負する。
そんな相談員になれるようだいだらぼっちでも、これからの暮らしでも心に留めておきたいと思いました。
2024年度一年間長期インターン生。長崎県育ち長野県出身。信州大学4年生(休学中)。教育学部でよりよい学び場を模索する中、暮らしや手間の中にある「考える」おもしろさと地域を根っこにした教育に関心を持ち、グリーンウッドのインターン生として参加。