だいだらぼっちの卒業生にインタビュー なっちゃん(2001-2004年度参加)

自分の至らなさ、自分だけでは何もできないことに、だいぶ年が経ってからようやく気がついた。その分、自分に出来ること・出来るかもしれないかもしれないことは、悔いがないように全力でやりたい。

だいだらぼっちの卒業生・保護者にインタビューするこの企画、今回はだいだらぼっち16期生のなっちゃんです。

大の仲良し らっきーと至福の時

なっちゃんは、だいだらぼっち十六年目から十九年目(2001~2004年度)に、小学6年生~中学3年生までの四年間をだいだらぼっちで過ごしました。山賊キャンプにも参加していたなっちゃん。実は長い間ずっと山賊キャンプのチラシの表紙を飾っていた女子三人のうちの一人がなっちゃんなのです。本当はすごく真面目で繊細なんですが、常にねじを外せるというか、ぶっ飛んだことのできる女の子でした。今はどうかな!?
それではインタビュースタート!
 

                      
ー  なっちゃん、お久しぶりです。お元気でしたか?早速ですが、自己紹介をお願いします。

こんにちは、なつきです。2001年から2004年度まで、学年で言うと小学校6年生から中学校卒業までの四年間、だいだらぼっちにお世話になりました。
両親と姉は皆かわらず元気です。あ、私自身は独身で、結婚の予定も今のところ一切無しです(泣)

ー  あらあら、そろそろめでたい話も聞きたい頃ですけどね(笑)
なっちゃんは今何をしていますか?それはどんなことを想ってしていますか?仕事もですが、その他にも家族の事や趣味のことなど、色々含めて教えてください。

私はいま、彫刻文化財の修復と、制作の仕事をしています。日本で「彫刻文化財」というと、そのほとんどが仏像になります。お寺から仏像の修復依頼を受けたり、仏像の受注制作を行っています。大学の研究員として、仏像の調査や古典技法の研究もしています。そのほかに、海外での遺跡の修復をお手伝いをさせてもらったり、ご依頼をいただければ講演にも出掛けます。こう書くと色々なことをしているように自分でも思えますが、仏像を「なおす」「つくる」「しる」ということが仕事になっています。
大学卒業後に独立し5年が経ちましたが、本当にありがたいことに、家族や周囲の支えがあり何とかやってこられました。
趣味は、キックボクシングとランニング(これ以上太らないように)、美術、器、お酒(だいだらぼっちで飲みたいな〜!)です。

ー  日々仏像とともに…って感じですね。イメージすると結構な絵面になる気がする…(笑)。でも、仏像のお顔って本当にいろいろあって、かわいらしい顔や怖い顔、穏やかな顔などそれぞれですよね。幸せな気持ちになれたりするかもしれないですね。…うん、意外といけてるかも(笑)。
そんなお仕事で大変だったことや困ったことはありますか?また、それらをどう乗り越えてきましたか?

どんな仕事であれ、同じかとは思いますが…。私の場合、修復であれ制作であれ、毎回新しいことばかりで、乗り越えなければいけない課題の連続です。また、基本的には1人で仕事をしているので、出来ばえや納期、お寺さんとのやりとりなど、全ての責任が自分にあります。
それでも、根本的に彫刻と仏像が大好きなので、毎日が楽しく、苦しいことがあってもやっぱりどこかワクワクしている自分がいます。贅沢なことだと思い、感謝しています。
この業界としては、私の経歴はまだまだひよっこなのですが、クライアントと仕事仲間に恵まれ、どうにかここまでやってきました。

仏像と向き合い、これまた至福の時

ー 「大変」や「困った」にぶつかった時、その時は苦しくても、その先に「楽しい!」があることを知っているからこそのワクワクと感謝の気持ちにつながるのでしょうね。なんかすごーくなっちゃんらしいです。
お仕事をしていてよかったと思うことや、一番の思い出などあれば教えてください。

もともとものを作ることが大好きでしたが、仕事にしてはじめて、「つくる」「なおす」という行為の先にある世界に触れることができました。新しい仏像を制作する場合、どのような経緯で造立に至ったのか、どのような場所に安置されるのか、また宗派によっても、要求される形が異なります。それは、お寺さんと二人三脚で一から造形を作り出していくような作業です。
そして、像が完成した暁には、お寺さんや信仰の対象として思いを寄せる檀家さんがいらっしゃいます。
自身の「つくる」という行為だけでは「仏像」にはならないんです。
また修復の場合には、解体をすることにより普段見られない内部があらわになるので、昔々その御像をつくった人の「手跡」を、まざまざと見ることになります。
日本の仏像って、その多くが木で作られていて、目にしている古い仏像は、実は幾度も修復が行われて、現代に遺っているんです。一つの仏像を修復すると、その仏像の作者だけでなく、修復した人、時には修復のためにお金を出した人たちの銘文なんかも出てきます。
そうした時、仏像を通して、時代を超え、顔も知らない先人たちの息遣いを感じます。
自分は仏像が歩んできた長い長い道のりの一端を託してもらったんだなぁと思い、バトンを渡してもらった感覚になります。責任の重さを感じながらも、この仕事に携わることができてよかった、と喜びを感じる瞬間です。

木場(貯木場)で木材を陸地に向かって運んでいるなっちゃん

ー  自分が作っただけでは仏像にならない、というくだり、めちゃめちゃわかる気がします。仏像を作るってなんていうか、信仰心みたいなもので作るというのとは違うと思うんですけど、でもそこに仏様(ほとけさま)を宿すものを作るわけだから、己の想いや気持ちだけでは成らないですよね。その仏様を大事に思ってくれる人たちの想いがそこに重なってこその仏像というか…。なかなかにすごいお仕事ですね。何百年も前の作り手の方からのバトンを受け取って、今度はそのバトンをちゃんと渡せるようにしておかなきゃいけないんだから、責任重大ですね。でもめっちゃやりがいありそうです。今度個人的にもっといろいろ掘り下げて聴きたいです。
そんななっちゃんが今のお仕事に就くまでに、体験したことなどきっとたくさんあると思うので教えてください。

小さい時から、とにかく物を作ることが好きでした。
決して器用ではなく、むしろ人の二倍も三倍も時間がかかる方でしたが、作ることや描くことは、いつまでも飽きずにできました。
だいだらぼっちで高校受験を迎えることになり、私は美術科がある高校を選びました。そこで、まるちゃんとギックに、一からデッサンの手ほどきを受けました。まるちゃんとギックは、自分たちの仕事が終えてから夜遅くまで、連日つきっきりで教えてくれました。要領が悪いので、本当に迷惑をかけたと思います。今でもまるちゃんとギックに会うと、当時のことを思い出し、ちょっとウルウルしちゃうんです…(笑)。
無事高校に進学し、卒業後は美大に入り、大学院で「文化財保存学」という科に進学しました。
課題の他に、修復や制作の仕事もさせてもらえる恵まれた研究室で、とにかく毎日忙しく、仏像漬けの日々を過ごし、博士後期課程まで進学しました。
「博士課程の辛さを味わったら、そのあとどれだけ仕事で苦しいことがあっても、まぁ博士の時よりマシだな、と思える」と言った研究室の先輩がいたのですが、今振り返るとその言葉に大きく頷きます。それほど、研究室にへばりついて日々を送るような、体力的にも精神的にも追い詰められる毎日でした(とはいえ、まあまあお酒も飲んでいたけど…笑)。でも今振り返ると、そうした経験をさせてもらえる場所にいられたことが、そもそも幸運なのだと思います。
だいだらぼっちから大学までのそうした経験があったからこそ、この仕事ができ、ものを作るということの大変さも喜びも、知ることができたと思っています。

ー  だいぶ大人になったなっちゃんですが、働いて結構経つ中で、こどものころには気づかなかったことや改めて感じたことなど何かありますか?

周りの人たち、自信を取り巻く環境へのありがたさです。生かされているんだなぁ…と日々感じています。それは、だいだらぼっちにいた時からそうであったはずなのですが…、自分の至らなさ、自分だけでは何もできないことに、私はだいぶ年が経ってからようやく気がつきました。その分、自分に出来ること・出来るかもしれないかもしれないことは、悔いがないように全力でやりたいと思っています。

鳥小屋の修繕(当時の中では数少ないまともな写真!笑)

ー  なっちゃんがいたころのだいだらぼっちはどんな感じでしたか?

ちょうどだいだらぼっちの過渡期だったのではないかと感じます。
1年目はだいだらぼっちの旧母屋に住み、2年目で新母屋について話し合いをし、3年目で旧母屋取り壊され、新母屋建設の間、六軒長屋に住み、現在の母屋にお引っ越し…という。
六軒長屋の時は、みんながバラバラに生活しているように感じました。母家がだいだらぼっちの生活を作ってくれていたんだなあと、しみじみ感じました。
もちろん、六軒長屋だからこそ生まれたエピソードも沢山あったのですが…。
あの時期にだいだらぼっちにいた面々は、きっとそれぞれに抱いた印象があると思います。
いつか座談会でもしたいな(笑)。

ー  それ、参戦したいです(笑)。
当時の出来事で一番印象に残っていることはなんですか?また、面白エピソードがあったら教えてください。

沢山ありすぎて、何を話したらいいのかわかりません!!が、あえてお話しすると…。
通年2年目であられちゃんとゆりと3人部屋になったとき、最高に部屋が汚かった…(笑)。三段ベッドを二段と一段に分け、並べて配置したのですが、私たち、そのベッドの隙間にポイポイゴミを捨てていたんです笑。完全なる汚部屋と化しました(カニさんごめんなさい)。
だいだらぼっちでは、各々の部屋にお菓子を持ち込むことは禁止されていますが、なぜかあられちゃん、妙においしいお菓子を隠し持ってて、コソコソ食べてるんですよ(時効ですよね?!笑)。ゆりと私で、そのお菓子を躍起になって探して(笑)。その度に、あられちゃんがお菓子の場所を移動するんですよ(笑)。その攻防もみんな本気なんですけど、いつもお腹がよじれるくらい笑ってました。
それとか、あられちゃんが、「バナナを干しておくとめちゃくちゃ甘くなるらしい」と言い出して、実験しようという話になり、窓際にバナナを一本吊してみたんです。どんだけ甘いものに飢えてるんだよって感じですが…。(苦笑) 最初は今か今かと楽しみにしていたのですが、それがどんどん真っ黒になって、しまいには黒焦げのミイラみたいになってた。そうなると、3人ともずっと見てみぬふりで。こどもって適当ですね(笑)。そんな日常のことが、とても楽しかったな。
語り始めたら、三日三晩、余裕で話すことができそうです(笑)。

あんじゃねの囲炉裏にて

ー  本当に。これは早めに飲む機会をセッティングしないと…ですね(笑)。
ネタに尽きないだいだらぼっちでの暮らしは今のなっちゃんにどんなふうにつながってますか、あるいはどんなふうに位置づいていますか?


よく両親と、「だいだらぼっちに行っていなかったら、今とは全く違う道に行っていたかもしれないね」と話します。だいだらぼっち出身者は、多かれ少なかれ、みんなそういった思いを抱いているんじゃないかな。
それから、だいだらぼっちで、一通りの人間と家族模様を見たな、と勝手に思ってるんです(笑)。
だいだらぼっちって、こどもやスタッフ、その親・兄弟など、色々な人が集まりますよね。そんな中、「みんなヘンだけど、誰もダメじゃない」みたいなところが、だいだらぼっち全体の雰囲気として漂っているように思うんです。
その精神をこどもの時に肌身に感じるということは、とても大きいことのようで、私の根本に植え付けられてる気がします。

花摘む少女…なのに笑える!

ー  本当にたくさんの変な人たちと出会いますからね(笑)。こどものうちにたくさんの価値観に出会えることは、大きな財産だとみけも思います。みけみたいに大人になってから出会ってもかなり大きな出来事なので、こどもにしてみたらそりゃぁもうって感じですよね。「誰もダメじゃない」っていう感覚、いいですよね。
なっちゃんが今夢中になっていることはありますか?あれば教えてください。その魅力も!

仕事です!(キッパリ!)
仏教・仏像、その歴史や変遷は、掘れば掘るほど(それこそ、彫れば彫るほど)面白いです。
「これは一生勉強し続けないと…。終わりがないなあ。」と、最近、爽やかな挫折感を味わっています(笑)。

ー (笑)。これはもう、やるしかないね!頑張って! そんななっちゃんの夢を教えてください。

一生この仕事を続けていけるよう、頑張っていきたいです。私の仕事は発注をいただけなくなったらおしまいなので、常に仏像のこと、仏教のことを研究し、多様な要望に応えていける実力を身につけたいと思っています。そしていつか、大きな仏像…仁王を作りたいな!

ー  それはぜひ叶えて欲しい!
最後に今のだいだらぼっちのこどもたちにメッセージをお願いします!

暮らしていると、つらいことあるし、むかつくこともあるし、嫌になる時もあると思うんです。それらは本当のことだしその通りなんだけど、それ自体が、もともとの暮らしをしていたら
生じなかったであろう、めちゃくちゃ貴重な体験なのだと思います。
その場に送り出してくれた家族に、余裕がある時でいいので、感謝してね。
それから、もっとその気になった時には、周りにいる仲間やスタッフに優しくできたらいいよね…(とはいえ、どちらも私はできなかったので…当時のみんな、ごめんなさい…)。
なにより、カニさんを大切にしましょう!

ー  なっちゃん、そんなに優しくなくなかったですよ!
今日はありがとうございました!

自分たちで計画した運動会にて

今回なっちゃんの写真を探したら、笑っちゃう写真ばっかりで、本当にチラシの表紙を飾るにピッタリの笑顔だと改めて思いました。でも本当はとても繊細で実直で誠実ななっちゃん。インタビューの端々にその真っ直ぐな感じが出ていたと思います。仏像を通じて現在(いま)と過去と未来とを繋いでいることや、作った仏像のその先を見ながらのお仕事は、壮大な歴史の流れの中に身を置いている感覚が得られるのではないかと思いました。なっちゃんの作る仁王像、楽しみにしています。