岐阜聖徳学園大学合宿-「学ぶ」とは何かを掴み取れ

2019年度以来3年ぶりに岐阜聖徳学園大学の2泊3日の合宿が行われました。参加したのは、3,4年生の9名で多くは教員を目指す学生たちでした。泰阜村で行われるだいだらぼっちでの暮らしを題材にした参加者主導の体験活動を通して、学ぶとは何かを考える3日間を行いました。

今回のプログラムは、旧学校林の林道整備。歩きにくい林道を安全に歩きやすく整備するという内容です。村のこどもたちの自然学校や幼児対象の森のようちえん事業での森遊び、山村留学だいだらぼっちのこどもたちもストーブやお風呂の薪を集めるために必ず利用する林道なのですが、道幅が狭かったり、崩れかけていたり歩きにくくなっていました。学生たちの知恵と力を寄せて、安全でより活動が広がる道をつくります。具体的には50mの林道を整備するのが勝ち取り目標です。

泰阜村に到着して、まずは森へ。森の状況の説明と作業の見通しを共有します。せっかく森へ来たので、翌日の作業の下準備として、林道の土が流れていかないようにせき止めるための土留め材の集積しました。

「まっすぐ」「いろいろな長さ」の木は…と探してみると、風景の一部になりかけている間伐材も視点を変えると土留めとしてちょうど良い材料になります。たった30分くらいの作業でしたが、いつも使わない筋肉を働かせたり、森の斜面を歩くだけでも筋肉痛になる学生も。翌日の本番作業に向けて不安な学生もいました。

学生が中心になって2日目の段取りを取ります。目的は?どんな作業工程で?作業を行うための役割分担どうする?初めての作業でイメージも難しいですが、50mの林道整備の段取りを取り終え早めに寝床へ。

薄暗い時間から集まって朝食を済ませたら、早速森へ。到着してまず初めに行ったのは道の上や拡幅するために邪魔になる間伐材を移動させたり、地面を均す作業。実は前日夜の段取りの際にはやることになっていなかった作業でしたが、現場をもう一度見てみたら、「これをやらないと始められない」という事で急遽予定変更で下地作業からスタートです。50mの林道整備。果たして1日で終わるのでしょうか?

こちらでは下地作業と同時並行で土留め用の杭づくり。腐りにくい栗の材を杭の形に加工します。クサビやナタを使い、この時点で「昨日よりも筋肉痛になってる!」と叫ぶ学生も。

杭が出来たら拡幅する幅に重い鉄のハンマーを使って打ち込みます。はじめのうちは手打ちになってなかなか進みませんが、慣れてくると全身の力とハンマーの重さを利用して深く刺さりはじめます。

 

初日に集めておいた土留め材を設置。道を均して先へ進みます。午前午後とたっぷり作業を続け、出来上がった、努力の結晶をご覧あれ。みんなの知恵と力で勝ち取り目標の50mの林道整備を達成しました。

人生で一番重いものを持ったり、初めての作業で身体はバキバキに疲れますが、なんだか心は達成感に満ちてスッキリと。1日を通して、作業内容や役割分担の変更を行って予定通りにはいきませんでしたが、何とか最終目標までたどり着きました。

最終日はこの3日間で吸収したあらゆることをアウトプットする時間。体験を言葉にすることを通して、改めて学ぶとは何かに迫ります。

 

作業だけでなく、3日間の暮らしそのものから得たものを言葉にしていきます。「ありがとうという言葉が嬉しかった」「うまくいかないことも話し合いながら考え続けた」「小さな作業の積み重ねが大事」「大変だけど楽しい」…

「学んだこと」「発見したこと」「感じたこと」…9人のたくさんの言葉が溢れ続けます。

この合宿では、起床時間から食事作りや掃除、作業の段取りや進め方など、学生が主体者となって活動します。作業だけでなくそれらを含めた暮らしの全てが学びとなります。

印象的だったのは、「自分の意見を受け止めてもらえるのが心地よかった」「仲間」という、学生の言葉です。作業が始まってすぐに予想していなかった別の動きになったり、お昼に全員で集まった際に話し合い作業を追加し午後の作業に向かったりと新たな動きが起こりました。どちらも学生の声によって変化したものです。

「自分の意見を言ってもいいものか」「それで失敗したらどうしよう」…皆で決めた段取りを変えるという事にハードルを感じつつも、暮らしの中で生まれた安心感が背中を押しました。他の学生も新たな意見が出ても、「とりあえずやってみよう」という柔軟な動きでした。

同じものを食べ、お風呂に入り、一緒に寝る。同じ体験をしていても受け取るものが様々であったり、共感したり、暮らしを共にする中で見えてくる人となりが、よりその人の輪郭をはっきりと際立たせ、それによってもたらされる安心感が「仲間」をつくり、気持ちを寄せていくのです。

はみ出したって大丈夫と思える仲間ができたことが学びを促進させたと感じる合宿でした。