だいだらぼっちの卒業生にインタビュー おやかた(1989-1991年度参加)

考える余地があるほうが面白いんだよね。不便であるが故の面白さって言うか。そこらへんが好きなんだな、きっと。

だいだらぼっちの卒業生・保護者にインタビューするこの企画、今回はだいだらぼっち4期生のOBおやかた(はじめ・はーちゃんと呼ばれることも多)です。おやかたは、だいだらぼっち4年目~6年目(1989~1991年度)に、中学1年生~中学3年生の三年間をだいだらぼっちで過ごしました。それではインタビュースタート!

ーこんにちは、さっそくですが、簡単に自己紹介をお願いします。

1989~1991年(中学校一~三年生)の三年間だいだらぼっちにいた、四~六期生のおやかたです。はじめって呼ばれることの方が圧倒的に多いけどね。現在は愛知県小牧市の総合リサイクルショップで働いています。

ーはじめちゃんが、今のお仕事に就こうと思った理由を教えていただけますか?

うちの礼子さん(お母さんのことです)が交流ひろばっていう学校に行かないこどもたちのためのフリースペースを開いたときに、そこに事務機器を搬入していたのが今の職場の社長なんだよね。
その時に話の流れでじゃあうちでバイトしてみるかって話になり、そこからちょこちょこバイトで入るようになって。確か2000年前後くらいに大阪店をOPENするときに、大阪店のスタッフとして正式に入社しました。

ーそういえば最初は大阪でしたね。
お仕事で大変だったことや困ったことはありますか?また、それらをどう乗り越えてきましたか?

いろいろあるけど、物的・状況的なことで大変なことについてはだいたい現場で何とかしてきた自負はあるけどね。物が出ない、入らないとか車にのらないとか。

ーそれって何とかなるのですか?(驚き)

まぁ、たいてい何とかなるよ(笑)。それより人的というか、交渉事みたいなのはみんなほかの人にぶん投げてます(笑)。基本対人交渉は苦手なんで。

ーなるほど。そこは昔から変わらないんですね。対人に関していえば乗り越えたというよりは人に回してきたってことですね(笑)。対物の部分でなんとかするっていうのも納得です(笑)。お仕事をしていてよかったと思うことや一番の思い出などあれば教えてください。

今いる部署は機械工具も扱ってるんだけど、非常にいろんなもの、普段そうそう目にするようなことのないものとかも扱うし。でっかい機械とか。

ーリサイクルショップだから、誰かが要らないって言ったものとか、壊れたものも来ると思いますが。

要らないって言うか、もう使わなくなったとかね。扱わなくなったとか。

ー中には直さないと使えないものもあると思いますが、見たこともないものとかってどうやって直すのですか?

要は何に使うかってところから探ってどういう動きをするのかを割り出して、本来この動きをするはずなんだけどしない原因を割り出していって…。

ー常に未知との戦いですね。

っていうのが楽しいですよ。わからないところはメーカーに聞くこともあって。

ーなるほど!そういうことですね!はじめちゃん、マニアックで機械系好きだから楽しいのでは?

楽しいよ。もう20年以上働いてるけど、いまだに見たことあるけどいじったことのないものがいっぱいある。きっとまだまだたくさん新しいチャレンジがやってくるんだよね。

ーなかなか奥深いですね。正社員として働くようになるまで、ほかにもいろんなことをしてると思うのですが、どんなことしてましたか?

オフシーズンにバイトして、キャンプの手伝いにいったりとか、てっちゃん(前回のインタビュー参照)とキャンプしながら遊んだりとか、沖縄の方で一か月くらいバイトしたりとか。長期の時は畑でバイトしたり、波照間島で1か月くらいキャンプしてた。食べ物は島の商店で買ったりその辺に生えてるパパイヤ取ってきたりとかね、沖縄だから。波照間島は今はだめだけど昔はキャンプはグレーだったから。マナーの悪い人がいてだんだんできなくなっていっちゃうんだよね。

ーそれは残念ですよね。キャンプをする人がみんなマナーが悪いわけではないのですけどね。
はじめちゃんがいたころのだいだらぼっちはどんな感じでしたか?三年以上継続した人第1号がはじめちゃんですからね。

年ごと、メンバーごとの違いはあるけどね。今でもそうだと思うけど、わちゃわちゃしてたなって思う。自分はかなり好き勝手にやってたから。

ーヘルメットをいつもかぶってたのは2年目くらいまででしたでしょうか?はじめちゃんにとってあのヘルメットは、今思うとなんだったと思いますか?

何だったんでしょうね。こだわるところって言うか。深い意味はないけど俺はこうなの、っていうスタイルっていうか、自己主張だったのかな。

ーだいだらぼっちに来る前は敢えて学校へ行かない方を選んでいたと思いますが、だいだらぼっちに来たきっかけは新聞の連載でしたっけ?

中日新聞の連載を礼子さんに教えてもらって、面白そうだなと思って来てみた。

ーたぶん面接とかで「学校には行くんだよ」って言われていたと思いますが、それって言えばあえて学校へ行かなかった自分を曲げることだったのではと思うのですが、それでもだいだらぼっちを選んだのは何がポイントだったのでしょう?

学校っていう集団生活になじめなかったのは、強制されるところが嫌だったんだとは思うんだけど、だいだらぼっちに参加するためには学校へ行くことが条件だったから仕方ないって言うか…。だいだらぼっちには来たかったからね。三年間だいだらぼっちにいたのは、居心地がよかったっていうのもあるけど、環境は大きいかな。泰阜の自然と、毎年違うとは言っても気心の知れた同年代の仲間がいて、喧嘩もよくしたけどね。

ーとはいえ、学校へ行くのは大変だったのではないかと思うのですが、一日も休んでないんですよね。(出席停止以外)それってすごいことだと思うのですが。

そこまでいやじゃなかったんじゃないかな。人数が圧倒的に少なくてやりやすいっていうのはあったかな。自分のままでいてもそこまで生きにくくないってことだったのかな。勉強や学校行事、部活なんかはかなりさぼってはいたけどね。(笑)

ー素でいても大丈夫だったってことなのかな?そもそも偏屈じゃないですもんね。マニアックではあるけど。なれたら逆に人懐っこいですもんね。

小学生の時に学校に行かなかったのは結局のところつまらなかったからだと思うんだけどね。

ー居心地の良さって何だったんでしょうね。

あの日常がすごく好きだった感がある。なんてことのない日々の暮らし。生活を作っていくところの部分かな。作業単位での好き嫌いはあったけど(笑)。風呂関係が好きだったけどね。「火」だね(笑)。こどもでも常に火が扱えるっていう魅力はあったと思う。とにかく一番思い出に残っているのはやっぱり他愛ない日常なんだよね。夜静かな中でストーブの脇で本を読んでたり、ご飯食べながら風呂焚いてたり、そういうのが結構大きかったのかもしれない。

ーだいだらぼっちにいたときのことで、何か印象に残っているエピソードはありますか?

わりと大きなものとしては鶏を絞めて食べたことは大きかったな。養鶏所の廃鶏をもらってきてさばいたのが一番最初だったけど、それがすごく硬くて。小中学生あたりの教育には取り入れたほうがいいんじゃないかと今でも思う。いのちをいただくっていうことがどういうことなのかってすごく目の当たりに考えられるし、自分がやらなくても必ず誰かが代わりにやってくれてるわけだしね。その結果として食べられなくなるんだったらそれはそれで構わないんじゃないかと思う。食に対しての考え方のかなり根本のところに座してる感じはしてます。あと畑でそばを育ててそばを挽いて食べたことかな。3年目だったかな。実を採って挽くのが大変で。お勝手にあった石うすで挽いたと思う。

ー今もだいだらぼっちのお勝手にその石臼ありますよ。
食に対する考え方の根本となった部分というのは、鶏と畑と、自分で育てて食べる、生き物の命をいただいて食べるっていうことでどんな風に自分の中に残ったのですか?

直接的だろうと間接的だろうと生き物を殺していただくっていうのは大きいなぁと。だからこそ食べ物を残さないというのはかなり徹底してやっているので。もちろん今もね。

ー他にだいだらぼっちに来てはじめちゃんに大きく影響を与えたことってありますか?

いろんな物事に対しての構え方って言うか、さっき話した仕事上の大変だったことに関してもそうなんだけど、手段さえ選ばなければたいていのことは何とかなるな、と。(笑)
いい意味で開き直っているっていうのかな。当時やっていたかなり無茶なキャンプとかいろいろ吸収したものは自分の中に根付いてる感じ。

ー話は変わりますが、だいだらぼっちでやった楽しい遊びで今でもずっと好きな遊びとかありますか?

やっぱり沢遊びだよね。今だに姉とそのこどもたちと一緒にキャンプに行ったりはするよ。

ーキャンプって本当はそれこそ手段を択ばなければって言うか、今流行りの道具をいろいろ揃えなくっても自分の手のうちでできますよね?

そうそう、どちらかというといかにあるものでやるかって言うかミニマムにいかに切り詰めて行って、少ないもので勝負していくかっていう方が好きなので。今流行っているキャンプとはちょっと方向性が違うというか。考える余地があるほうが面白いんだよね。不便であるが故の面白さって言うか。そこらへんが好きなんだな、きっと。

ー今の仕事が長く続いているのもそこらへんなのかもしれないですね。なんとなく漠然と今のお仕事ははじめちゃんっぽいって思っていたのですが、こうして話しているとなんとなくつながっているんだなって思いました。
だいだらぼっちでの何か面白いエピソードってありますか?言い方悪いんですけど、はじめちゃん自身がだいぶ面白いので(笑)。

自分のことでいえば、それぞれ3人ずつくらいで部屋が割り当てられているんだけど、一時期当時の図書館の一角の机の下で寝ていたなぁ。机の下に布団敷いて寝起きしてた(笑)。そういえば一年目も純也、けーすけ、俺の部屋だったんだけど、隣がわたるとてっちゃんの部屋で、そこに居候してたっていうのもある(笑)。本来割り当てられた部屋はあったんだけど違うところで寝起きしてた。

ーありましたね!そんなことも。今じゃありえないですけどね(笑)。
今まで話したことと被るかもしれないけど、だいだらぼっちでの暮らしが今のはじめちゃんにどんな風につながっているのかな、っていうところを聞かせてください。

ナチュラルに今の自分ができたのはだいだらぼっちっていうイメージはある。さっきも話したけどだいたいの物事は手段さえ選ばなければ何とかなるっていう捉え方だったり、とりあえずやってみる、チャレンジしてみるっていうこともそうだけど、何とかしなきゃならないしっていう、ある意味あきらめ方っていうか、騒いだところでしょうがないって言うか。いい意味でね。

ーあきらめ方でもあるけど、そこにエイ!っていくことで楽しめちゃうこともあるじゃない?新しいことに出会ったり。未知のものだろうと何だろうとたいていのことは何とかなると思っているから、得るものはずっとあるんでしょうね。出会ったことのないものと出会うとか、モノであろうと感覚であろうと。この構えで行くと相当ずっとあるんでしょうね。

まぁそうだよね(笑)。

ーはじめちゃんが好きだっただいだらぼっちの作業は何ですか?

やっぱり薪割りですよね。すごい量割ってたわけだから、ブランクあっても体に動きがしみついてるっていうか。

ーだいだらぼっちを出てからも一年に一回くらいよくてっちゃんと作業しに来てくれてましたよね。二人はチェーンソーも使えたので、切ったり割ったり仕訳けたり…。

あの頃になるともう薪割りはレジャー的な(笑)。

ーでもその二人の姿を見てああやって割れるようになりたいって思うこどもたちがいましたよね。すげぇー!って。二人とも体格がいい方じゃないんだけど、それでもがつがつ割っていくその姿を見せてもらうことが、すごくいい刺激になっていたと思います。

その片手間に風呂焚きで困っている子がいたら薪の組み方教えたりっていうのもしてたし。

ーみけの中でははじめちゃん=作業なんですよね。黄色いヘルメットかぶって白いTシャツきて、ちょっとゆるっとしたズボンはいてビーサンはいて、外でなんかしてるっていうイメージ。ごはんってどうだったっけ?作ってなくはないと思うのですが。

作業としては風呂焚きますっていう方が多かったと思うんだけど、ご飯を作るっていうことに関してはだいだらぼっちに来る前からずっとしてたから。うちは割と家族全員料理できますっていう。

ー礼子さん(お母さん)に感謝ですね。でも和雄さん(お父さん)も作ってた気がする!

そうそう、なぜか「なっとうチャーハン」っていうイメージがあると思うんだけど、あの人ワンゲル部だったから、キャンプ料理もできたし。
自転車に関しても和雄さんの方が先。そんなに変速機もついてないような学生用の自転車で名古屋からだいだらぼっちまで来たのも和雄さんが先。俺が行ったのはそれより後だから(笑)。そのあたりもかなり影響は受けているかな。

ーはじめちゃんって常にお家でも受け止めてきてもらってますよね。学校へ行かないこともだいだらぼっちへ来ることも。そういうことをさせてくれたお父さんお母さんにどんな思いをもっていますか?

かなり感謝してる。

ーそういうことって面と向かって言わないですよね?

まあね(笑)。

ーでもそういうことをさせてもらえたことって大きいですよね。はじめちゃんは今の自分ができたのはだいだらぼっちってさっき言ってくれてたけどそれをさせてくれたお父さんお母さんっていうのは大きいですよね。素敵なご両親に育ててもらいましたね。
そんなはじめちゃんが今夢中になっていることはありますか?

電車旅であちこちのローカル線を乗るっていうのが…いわゆる乗り鉄っていうやつ。特急よりも単線ローカルが好きっていう(笑)。休みがそんなにとれるわけではないけど、取れたら行く感じ。

ー乗り鉄の魅力ってなんですか?

旅情って言うか。あの雰囲気がすごく好きなんだよね。特急とかじゃなくて、単線ローカル線。車窓を眺めながらぼんやり時間を過ごすのがいいんだよね。飯田線とかね。昼間っから飲んだりもするけどね。最近は厳しくなって困ったりもするけど。

ーはじめちゃんの夢はなんですか?

夢というか…ですけど。放浪したいな・・・と。

ーやっぱり!定位置にいられない人か…!(笑)それはきっと一生そうですね(笑)。

奥田民生の「さすらい」は、永遠のテーマソングだと思っているから(笑)。

ーどこを放浪したいですか?

行きたいところはいっぱいあるけど。国内もまだまだ行きたいところはある。小笠原とか、東北とか。北海道はそれなりに行ってるけど。九州も行ったよ。バイクで一周した。てっちゃんが日之影で修業始めたころだったかな。あの時は、ほぼ全泊野宿だったから。なかなか面白かったよ。

ーとにかく放浪するためにはお金を貯めないとですね。国内だけでなく国外も放浪するのであればなおさらですね。でも、はじめちゃんもだいぶいい年になってましたよね。

40代半ばになりつつあります。その割には落ち着いてない感じもあるけど(笑)。

ー身軽ですもんね。独り身だから。そういえば、はじめちゃんって結婚したいとかありますか?

どうだろう。合う相手がいれば。その気がないわけじゃあないんだけどね。

ーそうなんですね。でもこのはじめちゃんを許容してくれる人じゃないとだめですもんね、放浪してもいいよって言ってくれる人(笑)。

そうだね、あるいは一緒に放浪する人か。

ーこれは結構探し甲斐がありますね(笑)。出会えるといいですね。
それではそんなはじめちゃんからだいだらぼっちのこどもたちにメッセージをお願いします。

昔とはだいぶ違うから体験できることも違うかもしれないけど、おまけに今コロナでOB・OGが顔を出せないから中々出会えなくて途切れるところも多いかもしれないけど。昔を知っている人たちはいるから、いろんな話を聞いて楽しく過ごしてください。非日常の日常って言うか、都会ではできない、ここでしかできないことをたくさん楽しんでください!

ーありがとうございました!

いつも薪を割っているか、火をいじっているか、機械をいじっているか、というイメージのはじめちゃん。その佇まいは中学生だった時も40半ばの今も変わりません。程よい距離感でまわりと関わらないでもなく、入り込みすぎることもなく、やさしいまなざしでそこにいてくれる。意外とおしゃべり好きで、自分の好きなものの話になると結構止まらない(笑)。またいつか、小さな火を囲んでしみじみとした時間を一緒に過ごしたいですね。