「暮らしの積み重ねから学ぶこと」|2022教師・指導者育成プロジェクト~ふーみん1月の研修報告~

だいだらぼっちのこどもたちは、年末に「だいだらぼっち祭り」をやり終え、冬休み期間に入りました。私は、その期間中に「冬の山賊キャンプ」に携わりました。

だいだらぼっちは、1月9日から3学期のスタートでしたので、正直、ひと息つく間もなく、あっという間にスタートした2023年ですが、育プロとしての残り日数を、一日一日噛みしめながら過ごしています。

今月の振り返りでは、冬の山賊キャンプでの気づきを中心に振り返ります。

冬の山賊キャンプの中で、2つの気づきがありました。

1つ目は、「(キャンプの参加者たちと)仲間になれるかは自分次第」という気づきです。

私は夏の山賊キャンプで「本部」というこどもたちの活動を全体から見る役割を担い、その中でもF(フード:食事や衛生に関わる仕事)という役割でした。夏キャンプと同様、長老(キャンプのリーダー)とキャンプのスケジュールを共有しながらFの仕事をこなすことが私の仕事でした。しかし、今回は、本部の体制が2人ということもあり、1人で自分の役割をこなし、キャンプを運営しなければいけないという焦りや責任感を感じていました。そんな中で、キャンプの参加者たちとの輪に入れないことを悔しく思いながらも、自分の役割をこなすために、みんなと過ごす時間を諦める場面がありました。例えば、こどもたちや相談員さんたちが集合する時、私は裏でみんなのお皿を消毒したり、施設の消毒をしたりしていました。また、Fの仕事が間に合わず、こどもたちが企画したアクティビティに参加できないこともありました。

参加者たちとの関わりの薄さにがっかりしている時、相談員のおらふから、「ご飯前にいただきますをする時や、みんなが集合する時は、ふーみんも一緒にキャンプをしている一員として、その場にいた方が良いと思う」という言葉をかけてもらいました。おらふからの言葉を受けて、自分の行動次第でキャンプの参加者との関りを深められると考え直し、自分の仕事が途中でも一度手を止めて、みんなの輪に入ること、みんなとの時間を大切にすることを意識するようになりました。

山賊キャンプは、だいだらぼっちと違ってとても短い時間での関わりです。それでも、その短い時間の中であえて「仲間になること」を選択しようと思えた理由は、今までのだいだらぼっちの暮らしから、「自分から暮らしの一員になることの大切さ」を感じる経験を積み重ねてきたからだと思います。

私はだいだらぼっちの暮らしを通して、自分から、輪に入ることで、暮らしを共にするメンバーのことを徐々に知り、関係性ができる面白さ、協力したり、考えたりすることを同じ土俵でできる面白さを感じてきました。だいだらぼっちで「見守る」という立場より、共に暮らす家族の一員として行動してきたからこそ、山賊キャンプの参加者たちとの関りも、なんとなくで終わらせず、私も関わりたいという気持ちが強くなったのだと思います。

本部2人という体制から「自分一人だ」というマイナスなことを感じていた私ですが、実は全ては「自分次第だ」という、だいだらぼっちの暮らしの中から得た、自分の行動の指針の大切さに改めて気づかされる経験になりました。

2つ目は、キャンプに参加するこどもたちにも、キャンプの中で「暮らし」を体験してほしいという想いをもって行動する自分に気づきました。

山賊キャンプでは、だいだらぼっちのこどもたちが行うご飯作りや朝作り(朝飯前の仕事として、掃除や整理整頓を行うこと)を体験します。キャンプに参加するこどもたちにとっては、ご飯作りや朝作りは、非日常の活動のため、興味をもって積極的に楽しんで取り組んでくれます。

私は、そんなこどもたちに、普段の生活とは異なる暮らしから、新しい気づきがあってほしいと考えていました。なぜなら、私自身がだいだらぼっちでの暮らしの中で出会った気づきは、感動したり、もっと学びたいと思ったりする、心が動かされることばかりだからです。こどもたちがキャンプの中で、暮らしを体験することにつながるように、私は何を伝えられるかを考えながら行動していました。

例えば、鶏のえさやりをこどもたちと一緒に行う際に、だいだらぼっちのみんなで、鶏を絞めてお肉としていただいた経験を話しました。話を聞いたこどもたちは、かわいそうだ…と反応していたけれど、だいだらぼっちでは、卵やお肉としていただき、新たな命を生み出しながら暮らしをつくっていることを伝えました。また、鶏も暮らしの仲間だということも伝えました。えさやお水を毎日やることや小屋の掃除は大変だけれど、鶏たちが気持ちよく暮らすために、私たちが責任を持ってやっているという話をしました。

最初は、こどもたちは、鶏をかわいがり、触りたがったり、抱っこしたがったりするだけでした。しかし、私の話を聞いた後は、鶏により興味を持ってくれた様子で、鶏をずっと観察したり、鶏を紹介するボードの情報を書き写したりしていました。

だいだらぼっちで暮らしている私にとって、今では暮らしの一部として沁みついている鶏の世話も、最初は、動物と共にある暮らし、命をいただくことなどを学び、考えるきっかけでした。

私と同じように、キャンプに参加するこどもたちにとっても、初めて出会う価値観や学びのきっかけになっていれば嬉しいです。

冬キャンプを終え、3学期のだいだらぼっちが始まりました。2月に行う登り窯に向けての準備も早速始まっています。例年1年に2回行う登り窯ですが、今年は1回きりです。登り窯の技術は、だいだらぼっちのこどもたちが引き継いで今があります。

回数が減ったとしても登り窯を引き継げるように、だいだらぼっち2年目以上の継続メンバーたちが、「ワクワクレクチャー」というものをしてくれました。このレクチャーでは、登り窯の好きなポイントを一人ひとりが語ってくれました。「登り窯を焚いている最中に、窯の中の様子を小さな窓から見た時の作品の色が好き」、「薪をくべることが楽しい」、「火を焚いている時の、音や匂いなど、五感をフルに使う作業」。こどもたちの言葉を聴いて、登り窯が好きだという強い気持ちと、緊張感が伝わってきました。

継続メンバーから伝わってきた想いを受けて、今回の登り窯では、体験ではなく経験まで落とし込むことを目標にしたいと考えました。なぜなら、私も、登り窯の面白さを言葉で語れるくらい、登り窯でたくさんのことを感じたいと思ったからです。ただ、見守るだけ、指示されたことをやるだけでは、「体験」で終ってしまいます。窯焚きの当番に入る際には、こどもたちと一緒によく考えること、窯をよく観察し、色んな感覚を研ぎ澄ませることを意識して、登り窯の仕組みを腑に落としながら理解することで、「経験」まで落とし込みたいです。

継続メンバーが、登り窯について語ったり、1年目のこどもたちに教えるために、登り窯の仕組みを復習したりする姿を見て、これが、自然と共にある暮らしから学ぶ姿だと感じました。こどもたちは、五感を使って自然の現象に意識を傾けること、自然の現象の原因やつながりを理解しようとすることに意欲的です。そして、登り窯を引き継ぐために、理解したことを言葉にして伝える努力をします。こどもたちが経験する「暮らしから学ぶこと」を、私も同じ土俵に立って経験することで、暮らしから得る学びを見つめ直す2月にしたいです。

1月担当スタッフ のりのコメント

9ヶ月間いつも子どもたちに寄り添い、子どもたちと同じように悩み、苦しみ、感動し、心を動かされながら暮らしを創り続けてきたふーみん。
「暮らしの学校だいだらぼっち」という日常の場で丁寧に暮らした中で得た自分の感動や考え方を「冬の山賊キャンプ」という3泊から4泊の短時間かつ非日常の場を体験する子どもたちへ伝えようとすることで改めて自分自身が何を大切に暮らしてきたのか、そして今後何を伝えていきたいのかに気づいた1月だったようです。
どんな場面においても「自分から暮らしの一員になるために行動すること」の先にあるもの。それは、自分の行動が社会を創り、社会を動かすということでしょう。また、「自分自身が心動かされた体験を伝えること」は同じく社会に新しい価値観を生み出すきっかけづくりになっていくことでしょう。

3学期はものづくりの集大成でもある焼き物の窯たきがあります。その窯たきを通してこどもたちと色々なことを考え、試行錯誤することと思います。次世代に伝えるべき社会を動かす新たな学びや価値観はきっと身近なところに転がっています。
残り2か月ここだいだらぼっちや泰阜村でしか感じられない「自然とともにある暮らし」から得る学びを見つめ直すためにも、常にアグレッシブに行動していってください。

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