信頼による学びあい

「“信頼による学び”ってこうして丁寧に築き上げていけるのかな。こんなの初めてです!」

学生がつぶやいた。

今年も立教大学で受け持ったゼミ。
この科目は、立教大学が力を入れてる仕組みのひとつ。
企画提案型のチャレンジングな授業だ。
詳しく話すと長くなるので割愛するが、テーマに共鳴した様々な学部・学年の学生14人が集まり、多くのゲストを迎えて徹底的にダイアログを重ねる他流試合。
春学期(前期)は「リスクマネジメントの令和的意義を探る」というテーマ。
秋学期(後期)は「学びを通した地方創生の超学際的アプローチ」というテーマだ。
ひと呼んで「辻ゼミ」。
そのまんまか(笑)

私に求められているのは「アクティブラーニング」型の授業運営。
当然ながら、学生と一緒に創り上げる運営を重視する。
大事なことは、「何を」学生と一緒に創りあげたのか?ということだ。

もちろんリスクマネジメントや地域創生についても十分学んだはず。
私たちの35年の実践や、国内外のネットワークの蓄積から呼ぶ多彩なゲストの話は、きっとこの2つのテーマに沿った質の高い学びを提供できていたと自負する。

しかし、ここでフォーカスしておきたいのは、学生同士の「学び合いのチカラ」だ。

冒頭の学生のつぶやきをもう少し詳しく紹介するとこうだ。
「発表に対するコメントで、みんながそれぞれの学びや考えをオープンに、共有し合っているのを感じました。自分でなく他の人へ向けてのコメントにも興味が湧き、よく伝わってきました。こんなの初めてです!「信頼による学び」ってこうして丁寧に築き上げていけるのかと思いました」
ゼミ最終回の“学び”を自由につぶやいてもらったものだ。

つぶやいた学生は、昨年度の冬にインターンに来ていた

当然のことながら、初回のゼミでこんなつぶやきが出てくるわけがない。
ただでさえ、様々な学部の学生が集まる他流試合のゼミだ。
最初は緊張もしているし、様子見を決め込む学生も多い。
しかも今年度は、完全オンライン。
画面越しの対話は物理的には可能だが、ゼミ生同士の息づかいやぬくもりなど、雰囲気を体感できない状況。
そもそも「学び合い」自体が難しいのではないかという不安がつきまとう。
初回のゼミでの学生の固い表情からは、それが手に取るようにわかる。
逆にいえば、私もまた不安な顔と様子を、学生から察知されていたのだろう。

心が不安定(と学生自身がカミングアウトした)な学生もいる。
「ZOOMで、パソコンの画面越しの授業は私にとってとても苦しいものでした。話している人との視線が合わない、話を聞いてもらえている気がしない、何より心で繋がれている気がしない。そういった理由もあり、学科のゼミを辞めてしまった私にとって、このゼミでやっていけるかどうかとても不安でしたが…」

「実はコミュニケーション障害で・・・」と吐露する学生もいた。
きっとカメラをオンにするだけでも勇気が必要なことだったろう。
自分という存在が受け入れられるのか、ボタンを押せば関係性が途切れる手軽さと恐怖…
きっと不安だっただろうと心を推し量る。

それら不安や緊張のひとつひとつを、丁寧に溶かしていくのに、前半の4コマほど時間を費やした。
そこはある意味、私の腕の見せどころだ。
ゼミの最初に「チェックイン」の時間を設けて、今の心と身体の調子を自己申告してもらう。
それ一つだけでも、ずいぶんと場があたたまるものだ。
「昨日、とあることで落ち込み、さらに授業前に落ち込むことが起きて正直すごくしんどい気持ちで授業に参加したのですが、授業前の気持ちチェックで20%と書いたら先生が「無理するな」とやさしい言葉をかけてくださったり、グループのみんなが「それはしんどいわ、」と共感してくれたりと心が落ち着きました。今までチェックテストは必要なのかと疑問でしたが、あれ一つでここまで心の持ちよう、授業への姿勢が変わるとは思っていませんでした。今まではやるだけで他の人の結果に目を向けていなかったのですが、点数が低い人を見つけたら私にできることはあるのか、どのようにアプローチするのが良いのか、考えてみたいと思います」

「チェックインでちょっと調子悪いよ!ってあらかじめ言っておける空間、助け合える空間、すごくいいなと改めて思いました!」

ゼミが5限目なことをいいことに、ゼミ後の自由な「おしゃべりタイム」、つまりはゆるやかな懇親の場も設けた。

「5限だからこそ開催できるおしゃべりタイムが授業にも良い影響をもたらしているのではないかと思う。実際に会えないことによるマイナスな面も多いが、オンラインだからこそできるこのような場がゼミ生間の潤滑剤になっているように感じる」

「一度もあったことがないというのが信じられないくらい温かい雰囲気で、居心地の良いゼミでした。このメンバーで授業ができて本当に良かったなと思います。落ち着いたら必ずみんなで会いましょう!!お世話になりました! p.s.またおしゃべりタイムでお絵かきでもしましょうね(笑)」

前半のゼミを通して場があたたまり、「ここでは自分の本音を語っていいんだ」「ここでは自分のココロの言葉をみんなが聞いてくれるんだ」という“安心感”が漂うようになる。
そうして初めて、ポツリポツリと学生が語り出した。

「実はかなりのコミュ障なのですが、それでもここでは皆と話せてとても楽しいです!実際に対面するのは勇気が入りますが、それでも皆と会ってみたいなと思いました」

「同じ授業を受けてきて、それぞれ受け取るものが違うにもかかわらず誰もそれを否定しないと分かっているからのびのびと自分の考えを深めることができているのだろうと感じた」

「どの学年でも分け隔てなく意見を言い、またどの意見も周りがしっかり聞いてリアクションをくれる、そんな環境を初回授業からしっかり整えてくださったおかげで、実りのある学びができていると思います」

皆、自分の小さな想いや、小さな勇気が、社会に何の変容ももたらすはずがない、と、なかば自虐的に想っている。
ところが、たどたどしい「自分のひとこと」が、目の前のひとの学びに貢献したり、そのひとのココロを救うチカラがある。
そのことを、自らの物語や、地域や日本の未来の物語を語り合う中で、学生たちは実感した。
目の前のひとの「かすかな学び」を全力で聴くことで、自分の学びが湧き出るように増幅されていく。

「同じ話を聴いても、ひとりひとり考えることは違う。私は言葉にして共有することが苦手で、話すのが面倒だと考えてしまうけれど、自分の頭の中のもやもやを自分の言葉で表すことで、自分も相手も学びが何倍にもなる。相手から話を聴くのもまた自分の世界がグッと広がる。そのことを、このゼミを受けて肌で感じました」

「人見知りな私ですが、本当にこの授業は楽しかったです!それは、みんなの真剣さと温かさのおかげだと思います。対面で会えたら、私もたぶんもっと話せるのにって思っていたので(笑)、いつか直接会える日を楽しみにしています!」

「本当にコミュニケーションを取るのが苦手なのでありえんくらい楽しかったです!少し自信がついた気がします!ありがとうございました!!」

「他の立教ゼミナールでの発表はやったままで終わりでしたが、仲間とのコミュニケーションが密に取れるこのゼミでは、発表もがんばろう!と思え、いい循環が生まれていました。他の先生方にも、まずこのゼミのやり方を見てほしいです!笑」

この学生とは、わけあって、今年度2回目のプチ出会い

「どうせ…」と斜に構えたり、一種のあきらめ感を纏っていた学生たち。
彼らが、わずかなきっかけから産み出される「学びの可能性」を、今まさに手にし始めている。
学生の顔の変化、ココロの変化、そして場の空気感の変容は、その場にいて感じると本当に気持ちの良いものだった。

「このゼミはすごくすごく楽しかったです!!毎週一番楽しみにしている授業でした。(笑)オンラインでもこんなに人とつながることができるんだと感じました。そう感じることができたのは、授業で、まず相手のことをよく知り、「対話」の方法を学んで、「LOVE」を持って対話できたからだと思います。また、この授業を通して、言葉の大切さにも気づくことができました。私も辻先生やみんなのように温かい言葉を使えるように日々意識していきたいです。正直、ゼミが終わってしまうのはすごく残念ですが、みんなに直接会える日を楽しみにして、このつながりを大切にしていきたいと思います」

「先生の「話し合いはLOVEで行こう」「聴く力」などの言葉、そして同じゼミの仲間たちが私の意見や分からないことを共感して聞いてくれ、一緒に考えてくれる、誰もお互いのことを馬鹿にしたり無視したりしないこの空間は私にとってすごく居心地がよく、そのおかげで地域創生という今まで自分が触れ合ったことない大きなテーマについて真剣に考え、毎回の授業を有意義なものにすることができました。一度も面であったことのないメンバーと会話するのが楽しみで仕方ありません。人と触れ合うことの楽しさを知って、そこから学びに興味を持てたこと、ほんとうに嬉しかったです」

「対話することの大切さ、人の話を聞くことの大切さを改めて感じました。このゼミを通して学んだこと、感じたことは人それぞれで、自分にない見方をしている人もいて、その人の話を聞くと新たな学びも生まれる。自分一人だと自分が感じたことが全てでそれ以上のものは生まれないけれど、人の学びを学ぶことで自分の学びがさらに深まるといった良い循環が生まれると感じました。またその循環には信頼があってこそであり、このゼミのメンバーは回数重なるごとに居心地が良くなって、それが良い学びに繋がっているんだと感じました」

方向性の知という言葉がある。
チェルノブイリ原発事故や福島原発事故の後など政府が大混乱の時に、市民が自ら“これからどっちの方向に進めばいいのかと”いう「方向性の知」を生み出した。
その時の重要なアクションが「信頼による学びあいの連続」だという。
この場合の「信頼」とは、“政府などの権威への信頼”ではなく、自律的に意思決定をしようとする“市民のつながり”のようなものだろう。
※ちょっと難しくなるので、詳しくはこちらを

「方向性の知」 3月にこのブログで紹介した。 読み返すと、5ヵ月たった今も通用する。 というか、今こそ問われる「知」だろう。 それは...

今、コロナ禍。
直接会えない1年のもどかしさの中で、学生たちはこの「方向性の知」を獲得する学びを手にしてきた。
私はきっかけと場を与えたに過ぎない。
学生たち自らが、画面上とはいえ、お互いに安心感を出し合い、その安心を実感し合った。
学生同士が学びを支えあい続けた。
まさに「信頼による学びあい」だ。
その学びのうねりが、方向性を伴って豊かな未来を創っていく。
それを確信したゼミだった。

学生諸君は今後、社会に出ていく。
その際、「学びの可能性」を小さく見積もって出ていってほしくない。
ひとりひとりの小さな学びは、共鳴し、響き合って、大きなうねりとなって、学びの可能性を拓いていく。
学びの可能性は、かくも大きく深いものなのだ。
そのことを、少し実感できる授業だったのではないかと想う。
そして、それを一番実感したのは、私だったのだろう。

さらば2020年度の「辻ゼミ」の学生たち。
君たちに逢えて、ほんとうによかった。
ゼミの「打ち上げ」は、直接会える時までの楽しみにとっておこう。
必ず、やろうな。
「いつか会いたいよなー」ではだめだ。
「絶対に会う」という強い意志を持ち続けよう。
そうすれば必ず叶う。
春以降、キャンパスで、そして社会で会おう。
君たちが選ぶ人生の方向を、信州の山奥から心の底より応援する。

代表 辻だいち