今、私たちは、無力感に陥っていないか

「方向性の知」
3月にこのブログで紹介した。
読み返すと、5ヵ月たった今も通用する。
というか、今こそ問われる「知」だろう。
それはつまり、日本社会が「どこに向かえばいいのか?」という状況を、5ヵ月以上続けていることに他ならない。
いや、3月よりさらに視界不良な、いわば闇に近い状況で“方向感覚”を失っているのかもしれない。
この状況に際して、改めて「方向性の知」について私の考えを示したい。

まず、改めて「方向性の知」を紹介する。
方向性の知(※1)とは、「不完全で不確実な状況においても無力感に陥らず、そこから問題解決に向けて最大限の有効な情報を引き出し方向感覚の様に次の行動指針を自ら作り出すことのできる能力」を指す。
少々難しい言葉だが、よく読めば「そうそう、それ大事!」と納得できる内容だろう。

チェルノブイリ原発事故が起こった1986年のドイツ。
原発事故後に正しい放射能情報が政府から出されず、何を信じていいのか国民が混乱していた。
ようやく政府から出された情報の真偽を国民が疑い、そんな国民に対して政府が「なぜ信じないのだ」と言い放つ悪循環。
「不確実性」とは、「これまで信頼されてきた外部システム(権威など)の崩壊」を指す。
「政府の権威」が崩壊する「不完全で不確実な状況」だった。

しかし市井のひとびとはこのような状況の時、ただ茫然と立ち尽くしているわけではない。
市民は不確実性が増すとき、つまり「これまで信頼されてきた外部システムが崩壊」したとき、「内部の確実性」を創る動きを起こす(※2)。
それは本能的なまでに。
内部とは「地域」であったり、「仲間」であったり、「正しい情報で判断するネットワーク」であったりする。
そしてその確実性とは「信頼による学習活動の連続」なのだ。

この場合の「信頼」とは、“権威への信頼”ではなく、自律的に意思決定をしようとする“市民のつながり”のようなものだろう。
市民による「自律的な学びの連続」が、これからどっちの方向に進めばいいのかという「方向性の知」を生み出す。

ドイツにおいては、市民は放射能を測定し分析する学習プロセスを通して「方向性の知」を獲得し、時の政権を動かした。(※3)
これが「方向性の知」の考え方だ。

話を日本の今に戻そう。
新型コロナウィルスの感染が止まらない。
日本中が右往左往するまさに“ハイリスク”な事態である。
元来、“リスク”を高く認知する傾向があるのは、小さいこども母親や妊婦などの脆弱性の高いグループ(社会的弱者層)だ。
しかし、そのようなひとびとは、残念ながら正確な情報を得る機会が少なく、政策の意思決定から疎外される割合が高い。
その疎外された状況から方向感覚を失い、再びリスク感知が高まるという悪循環が起こる。

この数か月の日本は、まさにこのハイリスクな悪循環に陥り、まったく抜け出せないでいる。
社会的弱者だけではなく、国民が総出で方向感覚を失っているように感じる。
オールジャパンで「どこに行けばいいの?」状態だ。

感染拡大を放置しているかのような為政者たちの立ち居振る舞い。
不思議でならない。
むしろ感染を拡大させているのではないかと怒りの感情すら覚える。
無策、無能どころか、無政府状態にも思えるこの状況。

日本政府もまた、正確な情報を出さないから対応が後手後手になり続けている。
情報を出したとしても「それ本当なの?」と国民から疑われてしまう政府。
国民の想う方向にことごとく逆行する政策を場当たり的に打ち出し、すぐに撤回に追い込まれる政府。
何を恐れているのか、この危機的状況に国民の前に出てこない首相。
すでに崩壊している。
国民は、「政府の権威」をとっくに見限っているのだ。
国民を守るよりも政権を守ることを優先するためにあらゆる手段を駆使する政治家や官僚の姿を、この数年間目の当たりにすればそれは当然の帰結だ。

自戒を込めて世に問いたい。
今、私たちは、無力感に陥っていないか。
今、最大限の有効な情報を、正しく集めているか。
今、次の行動指針を、自ら創りだしているか。

今後、どうなるかわからない「不確実な状況」。
今こそ、内部の確実性を自ら創る時だ。
今こそ、“信頼による学び”の連続を起こそう。
今こそ、自ら責任ある行動をとろう。
心の底からそう想う。

「自律的な学びの連続」が、これからどっちの方向に進めばいいのかという「方向性の知」を生み出すのだ。

暮らしの学校「だいだらぼっち」の1学期が終わったのは先の記事で伝えた。
感染のリスクと戦う共同生活は、薄氷を踏む想いの日々だった。
それを承知のうえで、4か月間続けたのは、こどもたちに「方向性の知」を培ってほしいと強く願ったからだ。

信州こども山賊キャンプは、こどもの安全を守れないと判断し、5月初旬に早々と全面中止を決断した。
直接会うことは叶わなかったが、違う形でこどもたちに「方向性の知」を培ってもらうことはできる。
若いスタッフたちは、切り替えて新たなチャレンジを続けている。

私が受け持つ大学のオンライン授業もまた同じだ。
立教大学の「リスクマネジメント」のゼミ。
最後の授業で学生たちに「方向性の知」を伝えた。
いや、直接会えない4か月のもどかしさの中で、学生たちはこの「知」を獲得する学びを手にしてきたはずだ。
だからこそ学生たちは、この感染拡大の状況でも、前向きに生きようと必死にもがいているではないか。

こどもたちと共に、学生たちと共に、改めて世に問う。
今、私たちは、無力感に陥っていないか。
今、最大限の有効な情報を、正しく集めているか。
今、次の行動指針を、自ら創りだしているか。

今後、どうなるかわからない「不確実な状況」。
今こそ、内部の確実性を自ら創る時だ。
今こそ、“信頼による学び”の連続を起こそう。
今こそ、自ら責任ある行動をとろう。

方向感覚を研ぎ澄ませ。
「方向性の知」を生み出すときは、今、なのだ。

代表 辻だいち

※1)Evers.A and H.Nowtony. Uber den Umgang mit Unsicherhrit. Die Entdeckung der Gestaltbarkeit von Geselschft.Erankfurt: Suhrkamp,1987.
※2)理論社会学者:ニクラス・ルーマン
※3)教育学者:ゲルハルト・デ・ハーン