だいだらぼっちの卒業生にインタビュー ビーバー(1991・1992年度参加)

19の迷ってた時に立ち寄らせてもらえる場所があったことはありがたかった。みんな真面目に生きている場所だから。

だいだらぼっちの卒業生・保護者にインタビューするこの企画、今回はだいだらぼっち6期生のOBビーバーです。ビーバーは、だいだらぼっち6年目~7年目(1991~1992年度)に、小学3年生~4年生のニ年間をだいだらぼっちで過ごしました。一番年下だったけど、人の話していることの理解が早く、当時高校生までいただいだらぼっちの話し合いの司会ができた賢い小3の男の子、というイメージですが、もう「子」ではありませんね(笑)。それではインタビュースタート!

ービーバーこんにちは。前にあったのは2・3年位前に、ビーバーが家族を連れてだいだらぼっちに遊びに来てくれた時だったかと思いますが、みんな元気にしてますか?早速ですが、先ずは簡単に自己紹介をお願いします。

91年〜92年度、小学3年〜4年の時に参加していたビーバーです。38歳になりました。妻と娘2人、息子1人の5人家族。仕事は自動車部品の製造工場で、不良品の数を減らすための品質管理の仕事をしています。

ーもう38歳になったんですね!初めてだいだらぼっちに見学に来てから30年も経ったとは、びっくりです!ところで、ビーバーが今のお仕事に就こうと思った理由を教えてもらえますか?

車に興味を持って専門学校に行き、自動車整備を学びました。でも就活は上手く行かなくて、自動車部品を作る工場に就職しました。ただ、給料が安くて(笑)。いつまでもこのままだと未来がないなって思って、転職を決意。仕事の内容自体は嫌いじゃなかったので、同業種で探して今の仕事に就きました。

ーお金も大事ですよね。先立つものがないことには踏み出せる一歩も引っ込んじゃうこともありますから。
今までお仕事で大変だったことや困ったことはありますか?また、それらをどう乗り越えてきましたか?

まさに今困ってる!推進する仕事の規模が大きくなると、関わる人も増えるし、意見も多角的になって、話について行くのが大変。コロナ禍で、業績も厳しい中、効率も当然求められるので、どうすれば上手くこなせるか・・・日々悪戦苦闘中。前まではそれぞれの部品単体の品質を見ていればよかったんだけど、今は同じ品質管理でも、部品を作って、それらを組み立てて製品にするところまでやってて、部品全部が組み合わさって製品になったときの品質は大丈夫か、量産に向けて、安定生産していくためにはどうしたらいいのか、こっちを立てればあっちが立たず、みたいになることもあって、それぞれの言い分を聞きながらいい塩梅のところに落としどころを持っていったりするのは大変かな。ただ、前に一緒に仕事をしていた人たちとのやり取りだから、助けられてる面もたくさんあって、そういった意味では恵まれてるかな。

ーなるほど、なかなか大変ですね。今の仕事は楽しいですか?面白おかしく楽しいっていうのではなくて、やりがいがある?っていう意味の楽しい?です。

やりがいはあるよ。達成感も得られるし。でもたどり着きたいところにたどり着くまではやっぱり大変かな。

ーお仕事をしていてよかったと思うことや一番の思い出などあれば教えてください。

コロナ騒ぎになる前は、まだ個々の部品を見ていた時にね、年に一回くらい、海外に出張に行ってたんだけど、特にメキシコに3ヶ月滞在した時の事は、今になれば良い思い出。異文化に触れるっていうのは色々刺激をもらえるので。日本語は当然、英語も通じないので、仕事も当然ながら、日々の生活も大変だった。海外に行くと改めて感じます、日本が恵まれている事に。このメキシコの出張に一緒に行ったのが部品作りをしてた人たちで、それぞれの担当部署の人が集まって行ったんだよね。今自分はそれぞれの部品をトータルして品質管理をしてるんだけど、その時一緒に行ったメンバーが各部署にいるから。さっき言ってた助けられてる人たちっていうのはその時のメンバーなんだよね。

ーなるほど、海外での苦楽を共にしているんですね。言葉が通じないって大変だけど、何とかして伝えようとすることで言葉を超えたところでのコミュニケーションが図れておもしろいですよね。しかもそれで何か成果を得られたのだとしたら、チームとしての一体感もより一層生まれますし。今の仕事に就く前はどんなことをしていたのですか?

高校で勉強が嫌になっちゃって。中学まではまじめにやってたし、そこそこ成績もよかったんだけどね。大学受験はしたけど受からず、浪人生活がスタート。予備校に行くもわずか一か月で断念。プータローになった。私の底辺ですね(笑)。居酒屋でバイトして、夜遊びして、適当な時間を日々過ごして、はっきり言って病んでた時に、ふと、夏の山賊キャンプの情報を入手。だいだらぼっちで一緒だったイッペイとかとーちゃんとかが手伝いに行ったとかっていう情報も何となくあって。とりあえずキャンプ相談員の研修会に参加したら、ひと夏通しで参加する事を快諾してくれました。しかも「いつから行っていいの?」って聞いたら「来週から来れるか?」って(笑)。むさしかだいちだったと思うけど。キャンプ中は、色々な出会いがあった。教育関係の仕事を志す人が多かったかな。みんな将来のビジョンをちゃんと持っていて、ちゃんと生きてる人ばかりだった。そんな人達と約1ヶ月半過ごす事で、自分の生き方を見直すきっかけになった。どこかに「このままじゃいけない」っていう思いがあったのかな。キャンプが終わって、色々考えた末、自動車整備の専門学校に行く事を決意したのが19歳。ホント、山賊キャンプに参加していなかったらと思うと、ゾッとします(笑)。

ー19歳で気づいたのだから早いと思いますけどね。何で自動車整備の専門学校に行ったのですか?

それまでは何にも考えてなかったんだけど、メカ好きだったこともあるし、車関係だったらきっと仕事がなくなることもないだろうし、って、そんなに深く考えたわけでも夢だったわけでもないんだけどね。文系か理系かといえば、理系だし、実は行った学校も会社もホンダ系なんだけど、出身が狭山で、ホンダの工場があったんだよね。だから実は小さいときから身近だったのかも。

ービーバーは結婚もしてお父さんでもあるわけなんだけど、家庭を持って自分の中で何か変わったことや気づいたことはありますか?

父親をしてる、と言うよりは、父親をさせてもらってる、が正しいかも。38になったけど、自分の中身はまだまだこどものままな気がするし(笑)。こどもがパパって呼んでくれているから、親してます(笑)。何ていうのかな、奮い立たされるっていうか、ちゃんとしなきゃなって思う。心がけているのは、親も人生楽しんでる事を見せる事。自分はゴルフ、妻はバレーボールをやっています。土日が両方つぶれる事もしばしば。でも、親が人生楽しんでないと、こどもも明るい未来を描けないもんね、なんて。親が遊びに行く口実かな(笑)。

ーこどもが生まれる前と生まれてからとで何か変わったことはありますか?

お金を好き勝手使わなくなったかな。例えばアウトレットに行ったりしても、自分の好きなものも見るけど、最終的にはこどものものを見たり買ったりしてる。ブランドものとかも、前は買ったけど、今は別にいいかなって思ってる。

ービーバー一家はどんな家族ですか?PR含めて教えてください!

一言で言えばアクティブかな。休みの日、家から一歩も出ないって日はほぼ無い。最近は5人でドッヂボールしたりバドミントンしたり。自分も妻も体を動かす事が好きなので、一緒に楽しんでます。いつこどもに負けるのかな。スタミナはもう勝てないけど。結構マジでやってるよ。2対3でドッヂとか。鬼ごっこはもうできない。こどもは永遠のスタミナを持ってる(笑)。

ー2・3年位前に家族みんなでだいだらぼっちに遊びに来てくれましたが、その時の家族の反応はいかがでしたか?

こども主体でのミーティングにこどもたちが圧倒されていたのを覚えてる。でも、最終的に馴染んでた。一緒にお風呂に入ったり、野菜の切り方教えてもらったりしたって言ってた。今でも我が家の食卓の会話にダイダラボッチに行った時の事が出てくるよ、楽しかった、また行きたいって。長女が今年6年なんだけど、小学生のうちにもう一度連れてきたかったな。

ーなんでだいだらぼっちにこどもたちを連れてこようと思ったのですか?

こどもの世界を広げてあげたいって思いもあるし、自分のルーツの一つを見せたいっていう気持ちもどこかにあったのかな。こんなとこで育ったんだよ、こんなとこもあるんだよって。あとはアウトドア好きっていうのもあったかな。

ービーバーがいたときのだいだらぼっちはどんな感じでしたか?

話し合いのイメージが強いなぁ。ずっと話し合いばっかしてた感じ。今でもしてるの?

ーもちろん、してますよ。ビーバーは一番小さかったけど話し合いについてこれてたし、司会もよくしてましたよね。

本人はそこまでのつもりはなかったけどね。っていうか、そこまで覚えているわけでもないんだけど。意見を言っていたかもしれないけど、押し通すことまではしてなかったんじゃないかなぁ。でもきっと当時のメンバーからしたら生意気だったんだろうなって思う。

ー当時の出来事で一番印象に残っていることは何ですか?

登り窯かなぁ。なんか不思議な感じだったな。焼き物もすごく進化した年なんじゃないかなぁ。2年目残るって決めた理由の大きなものは登り窯を焚きたいって思ったからだったこともすごく覚えてる。楽しかったなぁ。よく燃えるっていうか、火ってあんなに伸びるんだって思った。焼き物つくるのも好きだった。今でもうちに花瓶があるよ。たぶん登り窯で焼いたやつ。

ー素敵ですね。小学生がつくった花瓶だとはだれも思わないかもしれませんね。そんなだいだらぼっちの暮らしは、今のビーバーにどんなふうにつながっていますか?

19の迷ってた時に立ち寄らせてもらえる場所があったことはありがたかった。みんな真面目に生きている場所だから。選択肢の一つとしてだいだらぼっちがあったのはすごくありがたかったなぁ。今回もこのインタビューの話をもらった時に、そんな特別なことありませんよ、って思ってたけど、自分の歩んできた道を振り返る機会をもらえたことはありがたかった。言えば面倒くさいことをしてるからね。でも、いまでもご飯作ることに抵抗ないし、むしろ好きだし、包丁もたまに砥石で研ぐんだよ。だいだらぼっちに行ってなかったらきっとそんなことしてないと思う。

ーだいだらぼっちに来てなかったらどうだったと思いますか?

生き方を真面目にしようと思ったきっかけもだいだらぼっちだし、さきちゃん(奥様)と出会ったのもキャンプに行ったからだし…。考えられないなぁ。

ーそれはそれは、ごちそうさま(笑)。ビーバーが今夢中になっていることは何ですか?

ゴルフ。しかもガチゴルフ。昔っから勝負事好きだったから。サッカーがずっと好きでやってたけど、人数集めないとできないし…。でもゴルフは一人でもできて極められるから。それと、サッカーはやっぱり若くて体力のある人と年配の人とでは勝負にならないけど、ゴルフは年配の方から若い人まで同じ土俵で勝負できるのも魅力の一つかな。

ーゴルフって一人でもできるんですね。みけはやったことないからちっとも知りませんでした。そんなビーバーの夢を教えてください。

船で世界一周 半年位かけて 嫁と回りたい。こどもと酒飲みたいっていうのもあるけどね。ゆっくり慌てないで回れたらいいなって、漠然と思ってる。

ー実現できたらいいですね!叶ったら教えてくださいね。
最後にだいだらぼっちのこどもたちにメッセージをお願いします。

将来の生き方を決めるっていうと大げさかもしれないけど、こうなりたい、ああなりたいっていうのを見つけられる人生を送ってほしいなって思う。自分はできなかったから。今の人生が幸せじゃないとか後悔してるっていうことじゃなくて、こうなりたい、このために頑張るっていうのもやってみたかった。違う楽しみ方もあったんじゃないかなって。

ーいろいろ迷ったビーバーだからこその言葉ですね。ありがとうございました!

初めてだいだらぼっちに見学に来た時、ちょうど畑に肥え撒きをしていたのですが、来て早々に嬉々として肥え撒きをしていたビーバーの姿が忘れられません(笑)。その時8歳だったビーバーが3児のパパ。送られてきた写真はどれも家族との写真。ビーバーの家族への愛が感じられてとても温かい気持ちになりました。今はまだ難しいけれど、社会が落ち着いたらぜひまた家族みんなで遊びに来てね!いつでも待ってます!