2021年の年頭に ~磨かれた”希望の言葉”のチカラが試される~

昨日「いやあ、久しぶりだね~」と元気な声で電話がかかってきた。
なんでも“泰阜村で蚕をまだ飼っている人がいるかどうかを聞きたくて”ということだ。
ひとしきりとりとめもない話をして「じゃ、元気で!」と激励の言葉を残して電話が切れた。
きっと、コロナで厳しい状況にある私たちを慮っての電話だろう。
相変わらずマシンガンのような口調だったけれど、やさしさ溢れる言葉の数々に、ちょっぴり涙が出た。

「―言葉を磨け―」
もうずいぶんと前に人に言われたことがある。
15年くらい前かなあ。
「だいち、君には“想い”があるけど、“言葉”が足らない」
(※“だいち”というのは私のニックネーム)
その人はきっともう覚えていないだろう。
でも、私はなんというのかもう、叩きのめされたよう想いだった。
その人が、今回の電話の主である。

自然や身体と向き合うことが多いこの仕事は、とかく文章を書くことは遠ざけがちになる。
ましてや相手にきちんと伝わる文章を書くとなると、まるで歯が立たない、途方に暮れる、立ち往生する、というのは、この仕事ならずともよく見られる光景だろう。

「『ことばの森』を育てなさい」
私が尊敬する人の一人、赤羽博之さん(フリー編集者&ライター)にこう教わった。
(※電話の主は赤羽さんではない)
推敲技術や校正技術のテクニック、それは言葉や文を自在に扱うための「言葉の基礎体力」ともいうべきものだ。
しかし、赤羽さんは「それだけではない」という。
「基礎体力」をいかすも殺すも、「ことばの森」の質次第だ、というのである。
ことばの森とは、体内にある日本語データベースでありそれは日々育てることができるものだそうだ。

10年前に、私は本を出版した。
「奇跡のむらの物語 ~1000人の子どもが限界集落をすくう!」(農文協)という本だ。
人口1600人の泰阜村の風土や文化から導き出した教育力によって事業を行い、支え合いの地域作りに挑戦する。
そんなNPOグリーンウッドの25年の歴史と実践をまとめたノンフィクションである。
「山村」「教育」「NPO」という、誰がどう考えても食えない活動を、ソーシャルビジネスとして成立させた軌跡も綴られている。

それが、1万数千を超える人の手に渡ったという。
読んだ人からの読みうつし、口うつし、手うつしで、日本全国はもちろん韓国(ハングルに翻訳されている)にも広がっていっているというから驚きである。
10年もたつ今もなお「読みやすい、面白い」という感想がたくさん寄せられる。
しかしお世辞にも私にはテクニックや「言葉の基礎体力」はない。
では、なぜそう言っていただけるのだろうか。

もしかすると、私の体内には「ことばの森」が少々育っていたのかもしれない。
泰阜村で展開されるすったもんだの教育活動を、文章にしたため始めたのが25年くらい前、まだ20代前半の頃だ。
それ以降、新聞の連載、雑誌への寄稿、論文執筆…たどたどしくありながらも書き続けてきた。
HPのコラムは1999年から、このブログも2011年から(前身のブログ)続けている。

赤羽さんは、「ことばの森を育てるには“栄養”が必要。“それ”は、聞く、読む、話す、書くことの質を深めること」と言っている。
私は自分のことばの森に、四半世紀かけて栄養を送り続けていたのかもしれない。
ただ、私の場合は、栄養だけではないだろう。
私の中にあることばの森を育てるのは、栄養と同時に「土」だ。
それはつまり泰阜村である。
自然、文化、歴史、人々の営み、暮らし、それらが重層的に絡み合う「土壌」にほかならない。

一文字一文字の小さな力を侮るなかれ。
私が渾身の力を振り絞って書き続けてきた言葉は、泰阜村の土壌から産み出されたものだ。
それらには拙著の題材にもなる泰阜村の壮絶な暮らしの営みと、私の人生を支えてくれる多くの人びとの歴史が流れている。

「―言葉を磨け―」
それはつまり、土壌を創れ、栄養を送れ、森を育てろ、ということだったのだろう。
それがようやく腑に落ちる若輩者であることを痛感する。

10年前の本の執筆の時には、言葉を産み出す苦しさに直面した。
執筆中に迎えた2011年3月11日の危機(東日本大震災)。
これを機に、あふれるように、わきあがるように希望の言葉が産まれ出た。
今また、世界的な危機状況が続く。
「この想い、きっと理解してもらえる」だけではいけない。
その感覚や想いを、丁寧に言葉に紡ぐことをあきらめてはいけない。
書き続けなければ。
発信しなければ。

昨年、言葉と責任の軽さが際立った。
いや、政治の劣化が激しいここ10年くらいか。
この社会の風潮は、本当に危うい。
このような時だからこそ、改めて試される。
揺るぎない強い意志と磨かれた”希望の言葉”の力が。

2021年を希望の年に。

今年もよろしくお願い申し上げます。

代表 辻だいち