「話し合い」は17人のこどもと相談員の暮らしの土台|2024長期インターン(のいびー)

 だいだらぼっちに来て一ヶ月が経ちました。
 田んぼや畑、薪割りなどの作業も始まり、自分の手にもまめができはじめて、少しずつこの暮らしが自分にも馴染んできたのではないかと少しうれしく感じているところです。

 こどもたちと同じことのない毎日を過ごす中で、この場所で「話し合い」という時間がこどもたちの暮らしを形作っていることに気づき始めました。
 スケジュールをたてたり、作業の段取りを行うだけでなく、暮らしの中で揉め事や問題が生じたときも、日々の暮らしを良くしていきたいときも、ここでは常に「話し合い」が開かれています。毎日の夕食後の連絡と、就寝までの時間を使って、話し合い続けながらルールや役割を決めました。

 時には、意見や思いがぶつかったり、自分の思うようには話が進まなかったり、話し合いが停滞してしまったりすることもあります。泣いたり、ふざけて怒られたりの繰り返しもありました。

 それでも、トイレや用事などで一人でも欠ければ、話し合いは中断され、またみんなが揃うまで再開はされません。全員の意見と承諾がなければ決定できないという前提が、このだいだらぼっちの話し合いにはあることに本当に驚きました。そして、全員が納得するまで話し合いをする大変さ、多数決では得られない、みんなで決める喜びをはじめて実感しました。

 私が感じた「だいだらぼっちでの話し合い」を図に表すとこんな感じです(上記の図)。
 今までの私が経験してきた話し合いは、意見を持ち寄って誰の意見を答えにするかを決める話し合いでした。答えははじめから決まっていて、「誰か」の意見が答えになるのです。しかし、ここでは全員の暮らしであるからこそ、全員が承諾する必要があるため、互いに意見を持ち寄ってその落とし所を答えとして見つけたり、新たに答えを導き出す話し合いがされていました。
 手の挙がった数で決めたり、正解と不正解として区別したりするのではなく、よりよい答えをみんなで作っていこう!という姿勢が全員の中で次第に身についていくように感じました。

 4月当初は二年目、三年目の子どもたちが中心となって話し合い、その内容がわからない私も含めた一年目の子どもたちはポカンと聞いている状態でした。田んぼや畑、ゴールデンウィーク合宿や通信など、決めることは多いのに、話について行くのが必死で、「段取り」ってなに?「代かき」ってなに?と、言葉の意味も理解出来ておらず、不安もありました。そもそも、みんなで1年間の暮らしについて全てを話し合って決めるということ自体が新鮮で、輪になって時間をかけて話し合うことも経験がありませんでした。

 それでも、次第に1週間、1ヶ月が経つとわからないことを「わからない」と伝えられるこどもたちが増え、そして気軽に意見できる雰囲気が作り上げられてくるように感じました。自分の考えを話すこと自体が楽しくなっているようにも見え、連絡の時間も一時間以上伸びてしまうことも多々。
 一人一人、思ったことをすぐに発言する子もいれば、じっくり考えてから言葉にする子もいます。でもどれも一意見として取り入れられ、誰かが話している時は最後まで聞くという姿勢を注意しあって大切にしていました。
 最初は話すテーマがわからずに、どの方向へ行くのかわからなかった話し合いも、少しずつ、順を追って話し合いが進むことに毎日驚かされています。

 話し合いが滞った時、相談員が意見をまとめて集約したり、流れを円滑に進めるために口を出すことはありません。実際に話し合いの難しさを実感し、ではどうしたらよりよい話し合いに繋がるのかを自分たちで考えるきっかけが、そこにはあるからだと思いました。実際に、4月からはじまって2週間後には、互いに話し合いへの姿勢を注意し合ったり、意見が活発になり始めました。相談員はあくまで共に暮らす1人の人間であり、一緒に答えを導き出す仲間である。だからこそ話し合い中は、同じように意見を伝えたり、話の幅を広げたりする役割を担っているように感じました。
 その分、話し合いが何時間もかかったり、半数が眠気に襲われてしまうこともあります。それでも、関係づくり、暮らしづくりは話し合いから。何度も何度も言葉で伝え合って仲間になっていくのだと思いました。

 そんな中、私の課題は、「話し合いの中でこどもたちとともに、自分の意見を伝えること」です。
 話し合い以外では、対等に自分の意見を伝えられたり、対話することを楽しんでいますが、話し合いの時間はいつも真新しくて、こどもたちの話し合いの流れやスピードに圧倒され、受け身で終わってしまっているという現状です。普段からこどもたちに暮らしについて教わっているため、「私はわからないから間違ったことは言えない」と思って自信がなかったり、言おうとしてもどう伝えるか、どう発し始めたらいいのかばかりが気になって自分の意見を伝える機会を逃してしまっていました。もともと、大人数で話すことが苦手な私は、自分の意見が受け止められるのかが気になってしまう癖も原因になっているのだと思います。こどもたちに、「あれ、のいびー話し合いに居たっけ?」と言われた時は、衝撃と自分の情けなさを感じるばかりでした。
 だからこそ、真っ直ぐに自分の意見や思いを伝え、みんなの正解を導き出すこどもたちに毎日尊敬と羨ましさを感じています。もちろん、発言回数が大事なわけではないと思いますが、自分が参加しているという姿勢を忘れてはいけないと思います。自分がいる意味を考える以前に、自分がいるという主張をしなければ、暮らしの基本となる話し合いについていけず、本当の仲間、本当の暮らしが作り上げられないと感じました。
 わからないから参加できないのではなく、わからないからこそ発言しないと伝わらないし、参加していかなければならない。「話し合いの一員になること」を目標に頑張っていきたいです。

 17人のこどもたちと相談員というこの大家族の暮らしの土台が「話し合い」であり、多様な考えと思いを持つ人同士を繋ぐ役割があることを学ぶことができました。それぞれの「あたりまえ」を話し合いを通してすり合わせながら過ごした1ヶ月でした。