対談:株式会社いろどり 横石社長×グリーンウッド代表 辻

毎年寄付をいただいた方にお送りする報告書には、グリーンウッドと関わりが深く、様々な分野で活躍されている方と代表との対談を掲載しております。今回は徳島県上勝町で地域を巻き込みつまものを販売されている株式会社いろどりの横石社長をお招きして対談いたしました。

 

上勝町と泰阜村。合併しなかったからこそ生き残った

 まずは読んでくださっているみなさんに横石さんの活動と上勝町の状況をお伝えいただければ。

横石 私が住んでいる徳島県上勝町は人口が1400人ちょっとくらいです。 最近は若い人の移住が特に増えて、人口は極端に減ることはありません。やはりゼロウエストという環境問題の取り組みと、私がやっている葉っぱビジネス(株式会社いろどり)が注目されているからだと思います。もう45年地域づくりを行っています。これだけ長く続いているところは日本に他にないのではないかな。だいたい10年続けばいいというぐらいなので。経済を主体とした地域づくりをしたことが、一番の長続きの要因かなと思います。町としては高齢者も含めてほとんどの人がパソコンやスマホを使って情報共有したりと、産業に関わり、日本一のコンピューターを使う町とも呼ばれています。町と現場が常に一緒になってやっていく全国では数少ない事例かなと思っています。

 言葉は悪いですが、コロナ禍があっても生き永らえて45年も続いている肝みたいなものはありますか?

横石  町が合併しなかったことが大きかったでしょうね。もう日本の農村を見渡すと合併した所は壊滅的に消滅している。特に1000人ぐらいの町や村は、出張所には、3、4人行政職員がいるだけになってしまって。地域という舞台がなくなってしまうんですね。住んでいる人にとってはやはり名前だけ残った町ではなくて、ちゃんと上勝町に住んでいることが重要です。それが大きな都市や町に合併してしまうと地域という意識がなくなってしまう。長く続くというのは 地域がちゃんとあるということ。小学校も中学校も1校ずつある。この形が大きいでしょうね。

 町として合併を拒否した?

横石 本来合併しようとおもっていたところが違うところと合併して、残ってしまった(笑)。

 たまたま運が良かった。泰阜村も合併していませんが、タイミングや運はありますね。

横石 人は自分の想いを持って役に立てるということが大事で、大きな組織だとなかなか難しいですね。 小さな地域なら、泰阜村でとか、上勝町でとか、働いている意識を持てますが、大きな市に合併してしまうとその一部の泰阜がどうなろうといいんじゃないと、どうしてもそんな気持ちが生まれてしまいますよね。

 言葉で言うと、顔が見えるとか、役割があるとかね。

 

 

地域を舞台として消費してしまう時代

  横石さんは総務省から地方創生の伝道師という役割をいただいて全国各地に行ってらっしゃいますが、上勝町のような気概を持って取り組んでいる自治体はありますか?

横石  地域おこし協力隊という制度ができて、話題性もあって取り上げられることが非常に多くなってますよね。でも実際にはなかなか事業としては成り立たないというのが現状にありますね。コロナも含めてですが、コミュニティを作るということ自体が難しくなっている。それぞれの価値観が大きくて、ひとつの中にまとめようということが地方でも無理になってきている。何かのプロジェクトをやろうとすると、みんなでっていう言葉自体がもう今の社会の中では相当難しくて。やりたい人を集めてやっていくという形じゃないと進まない。グループでやっているけれど、それが地域全体で進めているのはまずないでしょうね。
素晴らしい地域づくりをやっていると聞いて現場に行くと、住民の感覚は全然違う。例えばメディアも取り上げてたくさんのお金を集めている地域もありますが、じゃあ地域の人と関わってやっているかというと、企業と町だけでやっていたり。言い換えれば沖縄旅行にはヤギ料理とか特徴的な料理もたくさんあるけど、来た人が沖縄の料理を食べるかというとそうではなくて、美味しいけどどこにでもあるものを沖縄という風景で食べて満足感を得たいというだけのような形です。

 地域にいながらも 実は地域に根付いていない。

横石 根付いていないというより、地域という舞台を利用して自分の価値観を実現したいということでしょうね。 みんなでやるということ自体もハードルが高いのに、年代や元々いる住民、外から来た人という異質なものをひとつにまとめて実現するのは異次元に近い世界だからね。

 我々がアウトドアや環境教育の業界でやりはじめた90年代後半に、「地域」なんていう言葉を使う団体はほとんどなくて。どちらかと言うと、いつでもどこでも誰でもできる金太郎あめのようなプログラムをみんなやっていた。それは青森でやっても沖縄でやっても一緒です。地域の人の顔も見えない、息遣いもわからないようなプログラムをその地域でやっている意味はあるのかと問うていました。その時は相手にされませんでしたが、10年 15年経つと今や地域という言葉を言わないと賛同を得られないという雰囲気にもなりつつある。でも一方で 横石さんがおっしゃるように本当に地域とちゃんとコミットして、そこでこそやれるような教育をしているのかというと疑問がわく団体も多い。結局舞台として使って、宣伝や消費として使っている。本物が試されているなと感じます。

継続は力なりを体現しているグリーンウッド

 地域創生や関係人口と語られてきていますが、グリーンウッドが同じような1500人規模の僻地山村でやり続けてきていることをどのように捉えられていますか。

横石 教育事業は私たちもやりたかったけどやれなかった。 教育事業はものすごく難しい。素人では意味がなくて専門家が必要ですよね。地域の人だけでは難しい。グリーンウッドのすごいところはプロデュースできる人材がいること。実際にあれだけの規模で継続し、収益を上げてやっていくのは非常に難しいことです。よく続けているなと思っています。ニーズはますますこれから出てくるでしょうね。日本は教育に力を入れないとダメな国になってしまうとすごく思います。極端な話、こどもたちはみんな田舎に行かせたらいいんじゃないかって思います。小学校出るまでは山の中で暮らすとかそういうのがあっていいのかもしれない。

 20数年前は 文科省や農水省が旗を振って全国のこどもたちを農山漁村で体験させるプロジェクトがありました。でも本当にこどものことを考えた政策かと言うとどこかの企業が儲かる仕組みだったりして結局続かないわけですよ。翻弄されるのもどうかなと考えると、自分たちで頑張ります、となってしまう。 本当はどんどんどんどん国と組んでやりたいなと思いますけど。

横石 グリーンウッドは本当に長く続いていて継続は力なりを体現しています。今はとっかえひっかえ変えることが当たり前で就職しても3年ほどでやめてしまう時代です。でもそれを否定するのもダメで、今の時代背景にあった取り組みをどうやっていくかが大切です。

  38年続けていると、一番初めに山村留学に来ていたこどものお子さんが参加するという事例も出てきています。また移住するなんてことも。継続する中で新しい化学変化を起こして未来を創り出しているのだなと感じています。ここからが面白くなるんじゃないかなという予感があります。

コロナ禍を超え変化する時代

横石 (コロナの影響で)売上は3割落ちましたが、業務用の産地には国の政策で応援してもらうことができました。個人的にはよく3割で持ちこたえたなと。

 私たちもとにかく雇用は絶対守らなければいけないと思っていました。若いスタッフを手放すと団体としてだけでなく、村から人が出て行くことを意味して村の活力が失われてしまう。ここが踏ん張りどころだとスタッフには最低限の賃金に同意してもらいました。落ちなければいい。低空飛行で行くぞ。いつか浮上するんだって言い続けてきました。
コロナウイルス以前にもこれまで何度も見通しが立たず、苦しい局面はありました。そんな中で状況に応じて動く力や考える力でどうにか乗り越えてこられた。実はグリーンウッドが頑張って身につけた力ではなくて、村の人にずいぶん育てられたという感覚も持っています。だから低空飛行の時期は若いスタッフを育てた時間にもなりました。外からこどもを受け入れられないことと、学校の休校などもあって村の学童に力をいれてきました。3年間 がっちりと村のこどもや地域や文化と向き合い見つめる時間を作って、地域のことをちゃんと知る場面が3年もあったことがとてもよかった。僕ら昔からのスタッフは作り上げる時に散々向き合ってきているけれど、そうではない若いスタッフがちゃんと地域や昔のことを学ぶという、買ってでもしたかったことができた。ここから新しい次の何か物が生まれるんじゃないかと思います。コロナは大変きつかったのですが、むしろありがたかったというのが一方であります。

横石 若者がこういうことをやりたがる時代がきましたよね。今では若い子の職業選択する基準は社会貢献できる仕事かどうかが重要になってきています。僕らの時代はそんなこと考えたこともなかった。むしろ時代背景としても稼ぐことが社会貢献だったから。今は自分の仕事が社会に貢献しているかをちゃんと自分で確認できるかどうかが大事になってきている。ここは変わりましたね。だからゼロウェイストを希望する子がどんどん増えてきている。

 上勝町が生み出した葉っぱビジネスも社会に必要なものが事業化されたのだと思います。我々に先見の明があったかどうかわからないけれど 結果的には時代が追いついてきたということですかね。

横石 教育はそうなってますよね。昔だったら徳島県内でも学力が高いところに人が集まっていたけど、今は高専や科学技術高校を選びます。これまではいかに枠にはめようかということをやり続けてきたけれど、型にはまったような形を求めない教育になりつつあるんでしょうね。個性をどうやって活かせるかに向かっている。逆にグリーンウッドのような場所で体験してきた方がいいとか、違うことやってみたらいいという時代になってきていますね。経験がない学校の先生ではできないことをやっている。自分のものになっていなければ、教えることはできない。自分の中にないものを相手に教えるということはものすごく難しいから。

 

原動力となるのは楽しいということ

 泰阜村を含めた日本社会や、これからの時代に我々が果たす役割や期待するものなど横石さんからの視点でご意見いただければ。

横石 上勝町は高齢者を元気するということが非常に注目されてきて長い間続いてきました。 その秘訣は地域で生活する中で個々人がそれぞれに楽しさを持つことです。WBC を見て思ったんだけど、やっぱり大谷君のすごいところはあの子供のような無邪気さ。ごく自然な子供心であったり生き様であったりがこれから地域、若者にものすごく求められる時代なんだろうなと思う。喜びを表に出すとか、周りも一緒に喜ぶとか、純粋な疑問をぶつけるとか、思っていることを話すとか、そういったことが今の教育の中になくなってしまった。見栄を張ったり、格好をつけようとする若者が多く感じる。そんな中で世界の一流選手が身体で表現して伝えようとしている。すごく大事だと思う。こんなに楽しいんだ!というような、原動力となるものは大人もこどもも高齢者も一緒なんですよ。田舎に住んでお金をたくさんもらえないけど、こんなに楽しんだ!と 感じてくれるのがいいな。泥臭いことを続けて行って、人間の本当に持っている姿が醸し出すような活動をしてもらいたい。

  考えてみれば当たり前のことですよね。僕らもいろんなこと考えすぎて、楽しむことがだんだんと失せていく姿をこどもに見せてしまっているかもしれない。そもそも今やっていること自体が面白いものだし、もっと楽しもうよという純粋なものを改めて追い求めたいと思います。