丸3年に及ぶ新型コロナウイルスの感染対策に振り回される暮らしも、感染法上の分類が5類になったことでひとつの節目となりました。
私たちの活動は1年間こどもたちが一緒に暮らす「山村留学」を筆頭に、そもそもが「密」です。「人がたくさん集まり」「ご飯を一緒に食べ」「混ざり合って」活動、、、というよりも「暮らし」をしています。「三密を避ける」という言葉は、私たちの活動の一切を止めろといっているようなものでした。
苦しい判断を迫られることも何度もありましたが、村の方やこれまでの応援団に助けられ、この3年を乗り越えられたことに心の底からホッとしています。あの全国一斉休校が出た際は、目の前が真っ暗になり、正直「つぶれてしまうかも」と途方に暮れたこともあります。
そんな暮らしが5月に終わり、大きな対策はなくなりました。喜びもつかの間、次々と事業もはじまって仕事に押し流されていると、あれだけ徹底していたコロナ対策の影も失せ、これが日常であったかのように錯覚してしまいます。せっかく苦しい経験をしたのだから改めて振り返りこの3年で得たもの、失ったもの、今度は間違えてはいけないものをちゃんと考えようと全スタッフで振り返りを行いました。
この3年で「感じたこと、」「自分自身がやってきたこと」「学んだもの得たもの」「こうすべきだったと感じている出来事」を書き出し、グループでシェアしました。
反省すべき点も多々出てきましたが、一方でこのような成果も。
「村のこども対象事業に力を入れたことで大きな成果があった」
村外からの参加者受け入れが困難なこともあり、村の学童に力を入れました。夏冬の長期休みもグリーンウッドが請け負い、2日に1回川遊びに連れて行ったり、村向けの山賊キャンプを実施。そのおかげもあって、こどもたち自ら「キャンプをしたい!」と企画を立てはじめたり、遊びの意欲、仲間とのコミュニケーションも格段に成長しました。
「若手スタッフの成長」
これまで誰も直面したことのない、古参スタッフすら正解がわからない課題の中で、全てのスタッフが主体的、創造的に「できることにチャレンジ」せざるを得ない状況が、若手スタッフを成長させてくれました。団体も30数年続いているとたくさんのトラブルがあり、その過程で乗り越え方を身につけていきます。おかげでそのようなトラブルに出会う機会も減っていくため、若手スタッフは知らないまま働いています。今回は「誰も直面したことがないトラブル」に立ち向かったことが、「若手スタッフの成長」という得難い宝にもなったように感じます。
代表だいちも、「村と向き合う時間を買ってでもさせてやりたかったが、それが思わぬ形で手に入れられた。若いスタッフがちゃんと地域や昔のことを学ぶという、買ってでもしたかったことができた。ここから新しい次の何か物が生まれるんじゃないかと思います。コロナは大変厳しかったが、ありがたかったというのも一方である」と話していました。
コロナ禍の3年を振り返ると、『ピンチはチャンス』『思い通りにならないことを楽しむ』『チャレンジが基本』『地域に根差す』『暮らしから学ぶ』といった、だいだらぼっちやキャンプのこどもたちに日頃から伝えていた言葉が、自分たちに問いかけてくるような気がしていました。つまり私たち自身が問われていたのです。そして大事なことは歴史の中にあるのです。
2度と起きてほしくないと心から願いますが、社会の課題はウイルスだけではありません。きっとこれから見たことも、出会ったこともない出来事がやってくると思います。だからこそ、その時に生きてくるのは、この3年での学びです。
つらいこともちゃんと振り返れば、必ず力になります。あっては欲しくない時間だったからこそ、少しでも学び取ってやろうという貪欲さと強かさが必要なのだと思います。
グリーンウッドの事務局長。2004年よりグリーンウッドスタッフ、そして泰阜村に移住。一男二女の父としては日々反省と勉強の日々。車で1時間でスキーも登山もできて、村内には遊べる川がたくさんあることに毎年のように感動している。