山賊キャンプの出番は続く ~熊本地震被災地のソコヂカラを胸に~

「信州こども山賊キャンプ」真っ最中。
8月30日まで、約1000人のこどもたちと、約300人の青年ボランティアが、人口1600人の泰阜村を駆け抜けている。
そして今年もまた、熊本地震で傷ついたこどもたちが、山賊キャンプにやってきた。
山賊キャンプを通した被災地支援は、今年で4年目になる。
ただ、今年は、これまで3年間(2016年~2018年)と支援のカタチ・仕組みが違う。

NPOグリーンウッドは、これまで度重なる自然災害時に、傷ついた被災児童を山賊キャンプに招待や暮らしの学校「だいだらぼっち」に招待してきた。
阪神大震災の時は、暮らしの学校に3年間でのべ4名、山賊キャンプに30名。
中越地震の時は、山賊キャンプに30名(福井集中豪雨のこどもたち15人も同時招待)
東日本大震災の時は、山賊キャンプに5年間で250名、暮らしの学校に5年間でのべ9名。
私たちアウトドア・自然体験教育に携わるひとびとは、おしなべて災害時に強い。
野外で飯を作れるし、どこでも寝れる。
むしろそんな状況を楽しもうとする特殊な技能と思考回路を持っている。
だから、すぐに支える側になれる。
それは、アウトドアの全国ネットワークの仲間たちも同じである。
これまでの支援は、泰阜村行政と村民、NPOグリーンウッド、そして村外のファンやネットワークとの協働だった。
とりわけ、泰阜村民が発揮するソコヂカラは特筆すべきものだった。
信州の小さな村が、全国の被災地を支える。
しかも長期的に。
「支え合い」の泰阜村の本領発揮だ。

熊本支援4年目になる今年は、泰阜村だけではなく“被災地のソコヂカラ”が発揮された。
震度7を二度経験した熊本県益城町。
東無田という地区で、実に9割以上の家が倒壊するという壊滅的な被害を受けた。
この3年間、何度も通っている地区だ。
昨年もこの地区からこどもが6人、山賊キャンプに参加した。
もちろん招待で。
昨年10月にはこの地区の皆さんとNPOグリーンウッドの共催で、参加したこどもによる報告会「想い出会」も開催された。
地区のひとびとてづくりの「復興マルシェ」も同時開催され、私たちも泰阜村のブースを即興で作ってリンゴなどを販売した。
飛ぶように売れたのは言うまでもない。
夜は夜で、送り出した地域のひとびとと(こどもたちも同席して)懇親会・慰労会。
区長さんはじめ古老の方やこどもの親御さんともたくさん話してずいぶんと酔っぱらってしまった。
こどもの1人が、雨続きのキャンプばかりということで「もう2度と行かない」と言っていたが、この懇親会の雰囲気に思わず「やっぱり行こうかな」と。
この地区のソコヂカラと泰阜村のソコヂカラが、そう想わせたのだろう。
なんとも心地よい時間だった。

▼昨年10月、昨年参加したこどもたちと報告会。

▼昨年のこどもたちが、送り出してくれた地区のひとびとに報告する。

▼夜の手作り懇親会も素敵な時間だった

今年山賊キャンプに参加したのは、同じく東無田地区の4人。
今年は招待ではない。
この地区のひとびとが、「山賊キャンプに参加させることは、この地区の未来のリーダー養成に必要なこと」と、地区復興委員会の予算を使ってこどもを派遣しようと決めたのだ。
これはすごいことだ。
これまで、泰阜村・NPOグリーンウッドが招待(全額支援)するカタチ・仕組みはいくどとなくあったが、今回のように被災地側が費用負担して送り出すカタチ・仕組みはなかった。
このカタチを、東京の災害支援団体「一般社団法人RQ災害教育センター」や地球環境基金も支えた(人材育成に関する交通費補助)。
昨年「もう2度と行かない」と言っていたお兄ちゃんは、今年は妹を連れてきた。
それでいいのだ。
そしてこどもたちは、台風が通り過ぎた日に泰阜村から熊本に帰っていった。

▼今年、東無田地区から参加した4人のこどもたち

自然の猛威に怯えたこどもたちに、、もう一度、自然の素晴らしさを伝えたい。
地域の暮らしが分断されたこどもたちに、もう一度、皆で力を合わせる素晴らしさを伝えたい。
そして、被災したこどもたちに限らず全国のこどもたちに、どんな過酷な状況に陥っても、周囲と協調をとりながら生き抜く力を培ってほしい。
そんな強い想いで、熊本の小さな集落と泰阜村が協働した。
こどもたちが帰着した後、復興委員会の委員長はSNSで次のように綴った。
「東無田の将来のリーダー達。自然や人々の繋がりに感謝しながら、沢山の経験と関わりを持って、成長してほしいと節に願います。」
支援から「支縁」へ、支え合いの縁を紡ぐ。
小さな地域同士がつながり始める本質的なカタチになりつつある。
これまでも、これからも、山賊キャンプの出番は続く。

代表 辻だいち