だいだらぼっちの卒業生にインタビュー たな(1987・1988年度参加)

少数意見の大切さとか、違った視点から見ることの大切さは、だいだらぼっちで教わったんだろうなぁと思うことが多いかな。

だいだらぼっちの卒業生・保護者にインタビューするこの企画、今回はだいだらぼっち2期生のOGたなです。たなは、だいだらぼっち2年目~3年目(1987~1988年度)に、小学6年生~中学1年生までの二年間をだいだらぼっちで過ごしました。それではインタビュースタート!

ーたなこんにちは。さっそくですが、簡単に自己紹介をお願いします。

こんにちは。小6~中1までの2年間参加していたたなです。当時、中京、関東組ばかりの中、一人だけ大阪出身でした。現在は富山県で夫と娘と暮らしています。

ーたなは今何をしていますか?それはどんなことを想ってしていますか?
仕事もですが、その他にも家族の事や趣味のことなど、色々含めて教えてください。

普段は母親業を優先させて仕事しながら地域のことをしています。ごく一般的な生活だと思います。ただ、地域の仕事はちょっと引き受けすぎかもしれないです。今、引き受けているのはスポーツ振興推進員(市委託)、ふるさとづくり推進員(校区文化祭、敬老会、鍋祭りなど地域イベント主催)、自治振興会発行の地域広報誌編集員の3つ。去年は4つ引き受けていたので少し楽になりました。
物怖じしない性格と行動力が重宝されているのか…毎年公民館から何らかの役を頼まれます。他に人がいないなら…と承諾していたら、毎年大体3~4個は引き受けているのがデフォになりました。
公民館の方曰く、今の若い人は余裕がなく地域との関わり、助け合いとなる役をすることを嫌がるそうで、私のことは「何かあったら頼めば何とかなりそう」というリストに入れているそうです。まぁ、私としては誰かがやらなきゃいけないんだし、人がいないなら自分のできる範囲になるけど手を貸すよ。という気持ちで引き受けるだけなのですが。(たぶんだいだらぼっちで身についた習性。誰かがやらなきゃ回らない時に誰かをアテにするのではなく自分が動こう的な…)。
仕事は占いと執筆をしていて、基本的には自宅にいます。コロナ前から変わらずの生活です。占い師は歴で言うと25年ぐらい?電話とメールがメインで、業界最大手の会社にいてそれなりに売れっ子です(笑)。
会社に所属した占いの他は、不登校の子や生きづらさを抱える人に向けて活動をしようと現在準備中です。もともと私が得意とするのが占いと言うよりは占いを使った自己分析や客観的な視野の提示、カウンセリングという感じなので、それをベースに困っている人に手を差し伸べられれば…と思っています。ただ、これは私の自己満足の活動なので、手の届く範囲でボランティアに近い活動になるかもしれません。
原稿執筆は実家絡みや知人のツテで頼まれたものを。ただ、今は娘のことに時間を割きたいので、受諾ペースを少し落としています。
よく、なんで占い師になったの?と聞かれますが、本当にたまたまで、当時電話占い含め通信サービス業を提供している会社で事務員として働いていたのですが、担当部署の責任者と占い師が大きく揉めて夜間勤務の占い師さんが大量に離脱。穴埋めのために占いができる私が占い師側に回ることになったというのがきっかけです。最初、会社に占い師としてすることを強要された時に、高校時代の友人とだいだらぼっちで同期の祐介と武史に相談し、祐介と武史が後押ししてくれたから決断しました。
これに限らずですが、だいだらぼっちの生活で得たものは私の人生に大きく関わっているなぁと感じることがあります。

ーたなは結婚もして、お母さんでもあるわけですが、家庭を持って自分の中で何か変わったことや気づいたことはありますか?

私は結婚してすぐに同居したので、最初の内はもともとあった家に入ったこともあり家庭を持つ、作るというイメージはあまりなかったです。意識が変わったのは娘が生まれてからで、自分の趣味ややりたいことよりも娘を優先させるようになりました。その時に思ったのは、地域との関わりを積極的に持とうということです。私は大阪の千里ニュータウンで育ったので、地域との関わりはあまりなかったのですが、娘のことを考えると地域やコミュニティの中での役割は大切だなと。そこから幼稚園のPTA執行部を2年、小学校PTAの執行部を2年、男女共同参画委員、体協役員、ふるさとづくり推進員、スポーツ振興推進員、地域広報誌編集員と、毎年何らかの役をしています。
こういう価値観に至ったのは、泰阜村の密接な付き合いを経験したからかもしれません。

ーたな一家はどんな一家ですか?PR含めて教えてください!

我が家はちょっと変わった家かも。夫はHSP(High Sensitive Person)で少し気難しくて自分の時間が必要で、結婚してしばらくして「あぁ、田舎の長男はこんな感じなんだな」と納得しました。最近は夫も少しは家のことをするようになりましたが、基本的にはイマドキの男女共同参画的な役割は我が家にはほぼありません。仕事が忙しく、娘が小さい頃はほぼ単身赴任だったのでワンオペ育児+義母(昨年他界)との生活でした。こどもは娘一人で、HSC(Highly Sensitive Child)です。夫よりも繊細な気質でとても傷つきやすい子です。今は美大(工芸科)を目指して受験勉強に励んでいます。私の実家が美術系・クリエイティブ系の家系なのでその血が濃いんだろうなぁと思っています。そうそう。娘の美大受験の決断にはぎっくや鉄平が絡んでいます。もともとうちの実家がそういう家だということもありますが、ぎっくや鉄平を見て、大変だったとしても工芸の道で生きていけると思ったようです。娘や夫ほどではないけど、もしかしたら私もHSPなのかなぁと思うことはあります。(占い師してますしね…)。でも、割と鈍感な、そして周りから言わせれば度胸があるタイプらしいので違うかもしれません。(ただし、この鈍感力と度胸はだいだらで身についた気がしてならない…。)

ーたながいたころのだいだらぼっちはどんな感じでしたか?

一言で言うと、カオス。今みたいに年間を通したカリキュラムが決まっていなくて割と自由だったのかな。2期は最初中垣外で始まって、夏までに?冬までに?母屋を建てようというのが目標でした。大人はかに、くー、ぎっくの3人で中2の男子3人(くり、まんたろう、しもちゃん)がみんなをまとめていました。(たぶん…しもちゃんは割と自由だったし、まんたろうは熱すぎたからくりちゃんがまとめている印象が強かったけど、くりちゃん曰く3人で相談していたとのことなので。)

ー今も別にカリキュラムは決まってるわけではないのよ(笑)。ただ、だいだらぼっちの2年目は建設で大変だったよね。

2期で特に記憶に残っているのは、小学生は母屋を建てるために毎日3本丸太の皮むきをするノルマがあったことです。私は結構体調に波があったので今日は無理、したくないということが結構あったけど、熱はないからやらなきゃ駄目だと。で、やらなかったらその分、土日に積み重なって…土日に10本以上するとか…。皮むきに使う鎌は毎日自分で研がないといけないし、結構大変だった記憶があります。
最初はだいだらぼっちという名前もなかったし、全体的に今よりも素朴な感じだったような気がします。

ー当時の出来事で一番印象に残っていることはなんですか?また、面白エピソードがあったら教えてください。

いっぱいあるけど…私の中で強く記憶に残っているのは、1期~2期の1学期までいた武史との思い出。当時武史とは別のキャンプ(浪合村・泰阜での1ヵ月キャンプ)で一緒で参加前から仲がよくて、最初の1学期はよく一緒に遊んでいました。ただ…彼が地元に帰る前日になると朝早くに起こされてイモリを山ほど(100匹以上)捕りにいかされたり、カブトムシやクワガタを捕りに行かされたり…。「これ、どうすんの?」と聞いたら、帰ってペットショップに売ると。「え、これ売れるんだ!?」とビックリしたことを覚えています。


あともう1つ。これはたぶん3期だと思うんだけど、2期かもしれない。だいだらぼっちはお金がないと。お金がないから外貨を稼がなければならないと。当時シイタケやジャガイモを栽培して販売し始めてもいたけど、その他に… みたいな流れだったのかな。とにかくそんな話を真剣に議論して、外貨を稼ぐ手段として出たのが焼肉弁当。祭りや引継ぎなどで保護者が来た時に、泰阜は帰り道にお弁当を売っている場所がないからだいだらぼっちで売れば買ってくれるのではないかと。それに、親ならこどもの作ったものを買ってくれるはず。親に売りつけよう!というところからお弁当を売る流れが決定して、で、どういうお弁当にするかという話になった時に、たぶん喜大(よしひろ)あたりかなぁ。他の子も言ってた気はするけど、男子が「絶対に焼肉弁当!」と。焼肉弁当しか駄目ぐらいの勢いで言って、で、焼肉弁当になって、次に値段を決める時に、(たぶん)あゆむさんが「300円!それ以上は絶対に駄目!」って強固に主張して…私の中で帰り道に食べるお弁当って駅弁や幕の内の印象が強かったから大体1000円~1500円ぐらいのイメージで、そもそも焼肉弁当(焼肉がご飯に乗っただけの弁当)というものがあるのがカルチャーショックで、しかも300円じゃなきゃ駄目。もうただただビックリした。いまだに強烈に残っているくらい。(結局祭りか引継ぎの時か何かに保護者の方に向けて販売したそうです!ビックリ!:笑)

ーそんなこともあったんですね。それはみけも知らなかった(笑)。
だいだらぼっちでの暮らしは今のたなにどんなふうにつながってますか、あるいはどんなふうに位置づいていますか?

だいだらぼっちで根付いた価値観や行動力って大人になるにつれてより発揮されている気がしています。地域とのかかわり方もそうだけど、仕事や子育てに対しても生きているなぁと思うことは多いです。
全部に共通することを言うなら、自分と相手、運営側の視点を持って考えることができるのはだいだらぼっちで少数意見も逃さないように何度も寄合をしてきたことが土台にあると思う。昔、鉄平、はじめ、健太ともよく話してたんだけど、長い話し合いの末、一人がどうしても嫌だと言ったら他のみんながOKしていても一人の意見を尊重する決定をするとか、普通に民主主義的な考え方だと絶対にし
ないようなことをしていたし、でもその一人の意見もよくよく聞くと納得できる部分があったりして、少数意見の大切さとか、違った視点から見ることの大切さは、だいだらぼっちで教わったんだろうなぁと思うことが多いかな。今だとそれは占いの仕事にも生きてるし、地域広報誌の編集の際にも役立っている。後は子育てでも、こどもの意見をないがしろにしない、一人の人間として尊重するといった点で役立っているかも。
後もう一つ。うちの子はHSCで不安障害があって心療内科に通っているんだけど、主治医の先生に「どういった感じで普段接してるの?なるほど、参考になるわ…」とか「お母さんは柔軟な考え方ができるねぇ。そういう選択もあるんだね。いつも感心するわ。他の親御さんもそういう風に考えられればいいのにね」と言われることが度々あって、その度に「県外出身だからですかねー」って返しているんだけど、これもたぶんだいだらぼっち生活の影響なのかなと思う。自分とこどもは違うし、こどもにはこどもの価値観があって、それこそ今の時代だからこその考え方や生き方があって、でもってたとえどんな道をたどったとしても本人に生き抜く力があれば最終的に何とかなると思ってるから、娘に何かを教える時はそういったことを意識して極力娘にできること、娘にとって受け入れやすい道を選んで提示したり、現時点で想定される将来的な流れについて徹底的に話し合ったり、双方が納得いく形をとるようにしていて、そういうところがだいだらぼっち流かなぁと思う。
価値観の根底に根付いている感じだよね。

ーたなが今夢中になっていることはありますか?あれば教えてください。その魅力も!

今夢中になっていること…何だろう。日々、仕事と母親業に追われているから…。午前中に仕事して、午後に娘を車で40分かけて美術塾に送って、待つ間に買い物したり車の中で仕事したり。帰ってきて家のことしたら、夜にはまた仕事して…。そんな毎日なので何かに夢中になれる時間がない…。
強いて言うなら占いかなぁ。ここ数年新しい占いを勉強しています。

ーたなの夢を教えてください。

娘がHSCで不登校だったこともあり、生きづらさを抱えるこどもたちとその親御さんと触れ合う機会が増えました。そこで感じたのは、こどもたちひとり一人にしっかりと時間をかけて触れ合ってあげることの大切さ。最近は親もこどもも忙しく、触れ合いの少ない日々を送っている人が多いです。うちの県で言うなら、教師も余裕がない。こどもがメンタルの調子を崩したとして、スクールカウンセラーに予約を取ろうにも取れない。教育相談にもなかなかつながらない。先生は身を削って20時、21時に訪問してくれるけれどもこどもの心に理解がないことも多い。親は追い詰められてなかなかこどもの話を聞けない。そういった問題に触れる中で、自分のできる範囲にはなるけれども不登校のこども中心にしっかりと話を聞いてあげる傾聴の時間、時に占いや性格分析、色彩セラピー、カウンセリングを兼ねた時間を作っていければいいなぁと思うようになりました。
たぶん私にできる範囲で仕事外の時間を使うから、1日のうちの1~2時間しか無理だと思うけど、縁がある人の話をじっくり聞いて迷う気持ちの後押しをしてあげられればいいなと思っています。
この活動は基本的には個人でする予定で、お金はいただいたとしてもかなり安い金額で考えています。問題を抱えている人ほどお金に余裕がない場合もありますから。後、お金を気にせずに切羽詰まる前に相談してほしいというのもあって…。今のところ対象者をこども~20代前半ぐらいで考えていますが、もうちょっと広げるかもしれません。苦しさを抱えた人が社会復帰するにはとても時間がかかるし、それは1時間の相談とかでは解決できない問題ではあるのだけれども、お医者さんや臨床心理士、カウンセラーとも違う別の視点からのアドバイスが役立つこともあると思うので、そういったことをちょっとだけボランティアでやっていきたいなぁと思っています。まぁ、今すぐにではないですけどね!
後は娘とネットショップをすることですかねぇ。でもこれは娘の作品待ちなので。今、娘がやっと値段をつけて売ることに自信を持ち始めたので、暖かな目で見守りつつ、GOサインが出たらすぐに動けるように下準備中です。

ー最後に今のだいだらぼっちのこどもたちにメッセージをお願いします!

他者との密接な関わり、濃い時間。これはなかなか経験できるものではありません。だいだらぼっちは多様な価値観を受け入れ、自分でものを考えて行動できる人を育成する場所だと思います。今、それが何かピンと来なくても、大人になった時に「あの時の経験が生きているなぁ」と感じることが出てくると思います。
だから色々な人と触れあって、それこそだいだらぼっちだけでなく村のこどもたちとの少人数学級を楽しんで、たくさん遊んで喧嘩をして、自分なりのだいだらぼっち生活を楽しんでください!

ーありがとうございました!

たなとは、たながだいだらぼっちにいるころよりもだいだらぼっちを卒業してからの方がたくさん関わりがあります。いつもだいだらぼっちのことを気にかけてくれて、何かあると常に連絡をくれます。娘さんが小学生になってからは、毎年のように夏キャンプの裏方の手伝いをしに来てくれていました。向こうっ気の強さと行動力は昔からだけど、その裏にある繊細なやさしさは、年を増すごとに大きく深くなっている気がします。占いを上手く使って人の心に寄り添うカウンセラー、ぜひやってほしいです!娘さんとのネットショップ、開いたらぜひお知らせくださいね!楽しみに待っています。