「北の国から」とでも言うのかな ~36年目の暮らしの学びが始まる~

ドラマの『北の国から』みたいな、とでも言うのかな…

暮らしの学校「だいだらぼっち」を説明する際に、私がよく使う言葉だ。
「北の国から」という言葉。
若い人たちにはあまり通用しなくなった。
しかし、子育て層晩年の40~50代にはかろうじて通じる。
いや、この言葉から連想されるイメージが、“暮らしから学ぶ”に重なると想って使ってきた。

「山村留学」という言葉。
もちろん制度的には私たちはそのままこの言葉があてはまる。
でも「ちょっと違うんだよなあ」という想いが常につきまとう。
どれだけきれいな言葉を並べても、それでもやはり「地域の児童減少を、てっとりばやく東京の子どもで補填する、という刹那的な移民政策」であることは変わりない。
泰阜村だってこの立場には当然立つ。
というか永遠の課題だ。
しかし、私たちはそれだけではなく、「暮らしからの学び」に光を当て続けてきた。
だから「山村留学」よりも「暮らしの学校」という表現を使っている。

暮らしを創りあげる。
「北の国から」でとりあげられたテーマは、実に素朴で単純なものだった。
自然の中で、力を合わせて暮らしを創る。
その人間模様を映像にしたものだ。
80年代に始まったこのドラマ。
私たちが現実に、暮らしを創る活動を始めた時期に、ちょうど重なっていた。

私自身は、小学校時代にこのドラマを見た。
その後の特別版も、高校時代までは見ていたと想う。
大学以降はテレビを見ない生活になったので。
北陸の小さな街に生まれ育った私は、自然が好きな子どもだった。
このドラマを見て、「北の国」に憧れたのかもしれない。
18歳になり、北へ向かう自分がいた。

ドラマによく出てくる“美瑛”にも“富良野”にもバイクでよく行った。
まだ美瑛にあんなに人がいない時代。
どこまでもうねる丘の風景に「この自然を守りたい」と想ったものだ。
富良野のラベンダー農園に、調査実習にも行った。
農園のひとびとと夜な夜な飲んだくれたことが懐かしい。
もちろん北の国からのロケ地にも足を運んだ。

潜在的に「北の国から」に通じる想いや土台があったのかもしれない。
不器用に生きる主人公。
実直で飾らない生き様は、性別は違うがグリーンウッドの創始者「カニ」と重なる。
今、私は50歳。
小学生時代に見た、あのドラマの中の田中邦衛氏とおおよそ同じ年齢だ。
自分にあんな“たたずまい”があるだろうか。
俺は、はしゃぎすぎていないだろうか。
自分を飾っていないだろうか。
誰かを妬んでいないだろうか、恨んでいないだろうか。
田中邦衛氏の訃報に触れ、それら一つ一つが問われる想いがする。

もう一度、北の国、富良野に行きたいと想う。
しかし、富良野に行って想い出に浸ったところで何も変わらないのも事実だ。
暮らしから学ぶという想いを込めた「暮らしの学校」。
この場を守り、学びを深めること。
この場の価値を、堂々と世に問うこと。
これらこそ、今、やるべきことだ。
コロナで視界が晴れない今だからこそ、確信する。

ドラマの『北の国から』みたいな、とでも言うのかな…
だいだらを表現するときによく使ってきたこの言葉は、ただの思い付きで使っているだけではない。
きっと、何かがつながってきたのだと信じたい。
この言葉に意味を持たせられるか。
36年目の暮らしづくりが始まる。
18人のこどもたちと、一所懸命「学び」を創りあげたい。

代表 辻だいち