瀬戸内海の島からファンレターが届いた ~私の本はシアワセモノかもしれない~

ファンレター?が届いた。
拙著「奇跡のむらの物語」の読者から。
直筆のファンレターは初めてで、どうにもうろたえる(笑)
しかも文字や文体、内容からみるとどうやら中学生。
差出人住所には、瀬戸内海の島とあった。

先日、こぢんまりとしたオンラインシンポジウムに登壇した。
「著作活動は社会課題の解決に役立つか?」という公開シンポジウム。
その場に、私は拙著「奇跡のむらの物語 ~1000人のこどもが限界集落を救う!~」の著者として登壇した、というわけだ。
確かに私は著者ではある。
しかし、著書をテーマにしたシンポジウムなどは初めてだ。
少々戸惑ったのも事実だが、またとないチャンスかもと、思いの丈を語った。
同じくパネラーには、第一線のNPO活動活動家や共同通信論説委員さんもいて、私にとっては刺激的な意見が交わされる。

東日本大震災の2011年に出版。
その後、何度か増刷があり、現在6刷。
ハングルに翻訳されて、韓国でも出版されてはいる。
決してベストセラーではない。
そんなわけがあるはずがない。
しかし、である。
出版当初は、疲弊する地域における行政マンや自然学校関係者などが読者層の中心だった。
その後、震災後をどう生きるかと真面目に考える青年や、日本の教育を憂う教育関係者、子育て真っ最中の若夫婦にも広がる。
ここ数年、NPO関係者は想定はいしていたが、中小企業の経営者などにも読まれるようになったことは驚きだ。
そして最近は、冒頭の若い世代にも読まれ始めている。

こうした私の著書の読まれ方に、共同通信の方はこうコメントした。
「意図されない読まれ方をされるのは、その本にとって幸せな読まれ方でもある」
新鮮な感覚だ。
確かに、引き出しが多い本、と言われればその通りだと我ながら想う。
想えば自分にもそういう本との出会いがある。
きっと著者が意図したようには読んでいない自分を感じ、数年後に読むとまた違う読み解き方をしている自分がいる。
同じ本を読んでいるのに、読んだ人の分だけ、いや、読んだ回数分だけ、読まれ方があるんだな、と改めて感じる。

本の評価のひとつは、もちろん売れた部数だ。
それは間違いない。
でも、私の本は、もしかすると売れた部数はそこまで多くないが、読まれた回数は多いのかもしれない。
動画でいえば「再生回数」
本だとなんだろう?
「読了回数」ともいうのかなあ。
1人が人生の中で、何度も読み返すこともある。
新品でなく、中古品やフリマアプリで出回ることもある。
それだって、読まれている回数が増えていることには違いない。

そう想うと、私の本は「シアワセモノ」なのかもしれない。
おおがかりな宣伝や広告をすることなく、静かにじわじわと読者が広がっていく。
読んだ人からの読みうつし、口うつし、手うつしで、この本が広がっていく。
読み手とこの本との関係性が無限に広がっていく。
ベストセラーじゃなくてもいい。
そんな広がりを伴ったロングセラーな本でありたいと願う。

瀬戸内海の島からファンレターが届いてから2年。
もちろんちゃんと丁寧に返事も出した。
次に彼女が私の本を読んでくれるのはいつになるだろう。
その時にまたファンレターが届くことを、心待ちにしよう。

代表 辻だいち