「おい、信じられるか? 娘が19歳だよ」
“酒豪の19歳”と、飲みながら語る。
目の前に彼はいない。
かといってオンラインでもない。
32年前に逝った親友に献杯している。
2月10日。
32年前のこの日、親友が雪崩でこの世を去った。
北海道オロフレ山。
大学1年、冬のことだ。
18歳の春に、札幌の大学で彼と出逢った。
私は福井出身、彼は秋田出身。
同じ日本海側出身ということで、田舎者同志なんとなくウマがあったのかもしれない。
大学まで来て、やめとけばいいのに2人とも体育会。
私はハンドボール部、彼は山岳部。
自然が好きで登山によく行っていた私は、彼のことを少しうらやましくも思っていた。
裏日本出身の宿命か、2人とも酒はめっぽう強かった。
彼は強かったというか、豪快だったというか、もう飲み方が異常だった。
高校時代は水筒に日本酒を入れて山に登っていたというから驚きだ。
楽しそうに酒をあおる姿が、今でもよみがえる。

19歳の冬、後期試験の最終盤だったと記憶している。
夕方の学生食堂で、2人は顔を合わせる。
私も部活の遠征などで授業に出ていなかった方だが、彼はそれに輪をかけて授業に出ていない。
そりゃそうだ、私は球を、彼は山を追い続けていたのだから。
「明日から山に行くんだ」
彼は秋田訛りの声で私に話しかけてくる。
頬を赤らめたいつもの笑顔だ。
「試験は? ほとんど出てないやろ?」
人の心配などしている場合でもないのだが、さすがにその時は彼のことを心配する。
「うん? ま、なんとかなるさ」
あっけらかんと言ってのける彼に「こいつ留年するつもりだな」と確信。
「そうか。まあ、気をつけろよ」
それが彼との最後の会話となった。
今夜、日本酒を飲みながら、彼と続きを語っている。

おい信じられるか? あの会話からもう32年。
3番目の娘が今、大学生、ちょうど19歳だよ。
こんな感じだったのかな、俺たちも(笑)。
このコロナ、どう想う?
あの頃だったら、どうなっていたんだろう。
授業なんか出ていなかった俺たちには、オンライン授業なんか関係なかったかもな。
いやいや、そもそもインターネットがない時代だったから、想像もできないな。
ハンドボールも登山もNGだったかもよ。
やってられるか!と、酒ばっかり飲んでたかもしれないな、やっぱり。
おいおい、まだ19歳だぜ(笑)
お前の死を知ったのは、試験後に帰省した福井だった。
今の様にスマホもネットもない中で、よく俺に知らせが届いたもんだ。
何がなんだかわからずに飛行機で札幌に飛んで帰ったなあ。
情報が錯綜する中、仲間二人が代表して秋田の葬式に飛んだ。
みんなでその飛行機代をカンパしたっけ。
俺も行きたかった。
お前の最期の顔を見たかったんだよなあ。
それ以来20数年、秋田に行けばお前のお父さんが迎えてくれた。
でも、そのお父さんもお前を追いかけて逝ってしまったな。
今ごろ親子でどんな会話をしているのか。
親友が死んだのは初めてだった。
あの19歳の冬の衝撃を、いまだに忘れる事ができない。
あの頃、よく寮歌を歌ったよな。
飲んだくれた後に、肩を組んで街を歩きながら歌った。
歌ったというかわめきちらして。
そんな若者を育ててくれた札幌市民にはほんと感謝しかない。
この歌、覚えているか?
よく一緒に歌ったぜ。
♪読み飲み語り夜は明け
熱き情に年は経り
ああ青春の祭日も
はや七十を数うなり
友よ再び楡影に
三十年後に集わなん ♪
※楡=エルム
あれから30年後に再会すると誓ったのに叶わなかったな。
でも今から30年後には、そっちで再会できるかもよ。
最後に校歌も歌うわ。
最後のフレーズは「友たれ永く友たれ」。
いつまでも友でいよう、世がどれだけ変わろうとも。
お前が好きだった日本酒で、今日は飲もう。
♪友たれ永く友たれ♪

彼は秋田県大曲(今は大仙市)に眠っている。
今頃は豪雪の下で寒かろうな。
1年に一度は行って墓参りをしていたのだが、直近は2年前だ。
震災支援で東北の太平洋沿岸部には足しげく通ったのに。
北からの講演依頼など仕事があれば、そしてコロナが収まれば、今年は彼に逢いにいこうかな。
彼が短い人生を濃く生き抜いた秋田の地に、身を置きたい。
いつものように、墓の前で下手なギターを弾いて歌いたい。
32年前を思い出しながら。
もちろん、二人で酒盛りしながら。
※個人的な話でした。おつきあいいただきありがとうございました。
代表 辻だいち

NPOグリーンウッド元代表理事(2009-2024)
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