コロナで自粛している場合でもない ~おふくろが米寿を迎えた~

コロナウィルスが猛威をふるいこの記事のアップを自粛していた。
このまま自粛していている場合でもないので、この際アップする。
お付き合いいただければ。

おふくろが米寿を迎えた。

私は末っ子。
親父が45歳、おふくろが39歳。
遅いこどもだった。
最近でこそ、高齢出産は珍しくなくなったが、49年前ではさぞかしたいへんだっただろう。
今の私に、4歳のこどもがいることになる。

今思えば、ずいぶんと心配をかけ続けてきたものだと想う。
北陸福井で過ごした幼少期。
北海道に大学進学をすると決断したとき、おふくろはどんな想いだったのだろうか。
ちょうど昭和から平成に変わる時期だった。
世界に目を移せば、中国で天安門事件、ヨーロッパではベルリンの壁が崩れた。
社会主義が勢いを失うと同時に、日本も政権交代。
激動の時代だった。

大学進学と同時に、昔懐かしい青函連絡船がなくなり、鉄道で北海道まで行けるようになった。
とはいえ、札幌から福井に帰ることは、年に1度あるかどうか。
やっと帰省したと想ったらバイクに乗って帰って、目が点になっていたおふくろ。
1泊しかせずに、心配する顔を尻目に札幌にトンボ帰りしたものだ。

体育会ハンドボール部に明け暮れ、勉学などそっちのけ。
初めておふくろが札幌に来たのは、両足首のじん帯を損傷して手術をするクリスマスの夜だった。
大学まで出してもらったにもかかわらず、まともな就職を拒否し、選んだのが今の泰阜村。
今でこそ仕事になっている場だが、山奥の場に行かんとする息子の姿をどう想っていただのだろうか。

泰阜村に行ってから、つまり社会人になってから、おふくろと一緒に仕事をすることも多くなった。
その時初めて、おふくろがどのような仕事をしてきたのか、どのようなことに人生をかけていたのかを知る。
おふくろは、50代後半になって車の運転免許を取った。
その年齢では教習や試験はたいへんだったことだろう。
免許を手にしたおふくろは、縦横無尽に福井県内を駆け回り、舞台をアジア・アフリカにも移した。
脱帽である。
親孝行しなければと想い続けるうちに、11年前に親父は他界してしまった。
そして、もう、おふくろは88歳。
その年齢とは思えないほど元気だけれども、確実にその時は迫っている。

故郷:北陸福井で、米寿のお祝いをした。
家族一同、幼い日の貧しさの極致を想い出す。
「おかあちゃん、なんでうちはこんなに貧しいの?」
そんな私の戯言を、寛容にそして豪快に、あしらったおふくろ。
もう少しばかり、人生の奥深さを教えてほしい。

ほんとうにおめでとう。
そしてありがとう。

個人的な想いを綴りました。
おつきあいいただき、ありがとうございました。

代表 辻だいち