生まれ変わったら教師になりたい ~最奥の集落に住む師匠の魂の言葉を聞け~

「この感想文の束は、冥途の土産だな」
人懐っこい笑顔を見せてつぶやいたのは、泰阜村最奥の集落に住む木下藤恒さん。
立教大学のゲストスピークに来てくれた。
彼の住む最奥の集落から東京まで6時間。
朝、4時半に集落を出たという。
講義を終えて、学生のリアクションペーパーに目を通していて、ふいに冒頭の言葉をつぶやいた。

彼の住む集落は栃城という。
鳥も通わぬと言われた集落で、長野県の最高レベルのへき地は2つと言われたが、その一つである。
ちなみにもう一つは、県の北端の栄村にある秋山郷である。
拙著「奇跡のむらの物語」には詳しく書いたが、この集落の存亡をかけて養殖漁業を立ち上げ、奇跡的に持続可能な集落にしたスーパーマンだ。
豊かな自然を財産と想うことができずに、「こんな村にいては将来がない」と、こどもたちを競って都市部に送り出した。
残ったのは、高齢者と手が入らなくなった山。
そんな絶望的な地域に、どうして残る決断をし、生き抜いてきたのだろう。
道路も電気も通わなかった時代(60年前)の動画がある。
NHKが、決死の取材で残した映像だ。
よくぞその時代の、あの栃城の映像が残っていたものだと感動する。
その動画を見た学生は、本当に幸せだと想う。

コンプレックスのカタマリだった木下さんが、19年前に発した言葉がある。
「わしゃ、生まれ変わったら教師になりたい」
都市部から2週間のキャンプに来たこどもたちが、この村の、この地域の良さを楽しそうに言う。
それを聞いて彼がつぶやいたのだ。
「わしは、この村の良いところを、村のこどもたちになんにも教えてこなんだ。だから、わしゃ、生まれ変わったら教師になって、この村の良いところをたくさん教えてやりたい」
それ以来、ずっと私の師匠である。
いつもいつも、こどもたちの活動の傍にいてくれた。

そんな木下さんが、東京まで出てきて大学生に語った。
正直、どうなるかとも思っていた。
しかし、驚くべき学生の反応だった。
話がうまいわけでもない。
むしろたどたどしいくらいだ。
しかし、そんな話術よりも、どんな逆境でも生き抜いてきた生き様が、学生の心を揺さぶったのだろう。
リアクションペーパーには、ほぼ全員が、今までになかった素敵な学びだった!という感想が並んだ。
リアクションペーパーを読んだ木下さんは、ニヤリと笑ってこうつぶやいた。
「次は何を話そうかな」
私の師匠が、学び続けている。
それが、心底うれしい。

代表 辻だいち