心の底から平和な世界を願う ~沖縄慰霊の日に~

毎年6月は沖縄に足を運んでいたが、コロナ禍でここ数年は行けていない。
今日は沖縄慰霊の日。
最悪の陸上戦となった沖縄での組織的戦争の終結の日だ。
ある調査では7割の国民がこの日を知らないという。

沖縄戦を身体で知る人は、年々減っていく。
戦争の本質は、「より弱いものが犠牲になっていく負の連鎖」だろう。
負の連鎖を強め続けてきたこの国の歴史。
それに向き合わずして、未来を語れるのか。
教育を語れるのか。
そんな思いで20数年、足を運んできた。

犠牲になり虐げられてきた沖縄の人々が、それでもなお基地は沖縄内にと言い続けてきた戦後。
しかし、日本復帰半世紀もたつ昨今、その人々の想いは「本土も痛みを分かち合ってくれ」に変質している。
弱い立場の人びとが、犠牲を払ってもなお、届けた想いは、日本には届かなかったのか。
そういう人々を守れずに、高度成長を果たしてきた日本は、いったい何なのか。
沖縄の人々の尊厳を守らずに、アメリカとの関係を死守するこの国、日本とはいったい何なのか。

この国はどこを向いて進んでいるのだろうか。
大きな力、強大な権力、膨大な利権・・・
市井に暮らす人々の、小さな力が次々と脅かされていく。
被災地は置き去りにされ、こどもや若者が行き場を失い続けるこの国は、いったい何を守ろうとしているのか。

戦後77年というが、戦「後」がいつまで続くか危ういことは、ロシアのウクライナ侵攻で現実味を帯びている。

小さく弱いその力を侮ることなかれ。
いつの世も犠牲となる小さな小さなこどもたちと向き合って、心からそう想う。
効率的ではないと切り捨てられてきた小さな山村に住んでいて、心からそう想う。
災害多き北陸福井の片田舎に生まれ、原発がまさに再稼働している故郷を遠くに思うにつけ、心からそう想う。

子どもたちや若者を、戦場に行かせるわけにはいかない。
自分たちの事は自分たちで決める権利を、手離すわけにはいかない。
私たちの暮らしが、いつの間にか権力者の手の中に存在してしまうことを、許すわけにはいかない。

今日は、心の底から平和な世界を願う。
教育者のはしくれとして、子どもに胸を張れる大人でありたい。

代表 辻だいち