1年間長期インターン生として、だいだらぼっちに仲間入りし、チャレンジをともにしてきました。しかしその時間もあっという間で悲しみや寂しさも実感する前に、1年間ともに暮らしたこどもたちがそれぞれの家に帰っていきました。毎日ずっと一緒に歩んできたからこそ、またすぐに「いってきました~!」と帰ってくる気がしてなりません。それでも、1年間共に過ごしてきた時間は、本当に何にも変え難い私の土台となり、今後の人生で何度も立ち返る原点になると感じています。そんな1年を振り返っていきたいと思います。

1.言葉が暮らしを作る
この1年を通して、だいだらぼっちの暮らしを支えているのは、話し合いや日々の暮らしの中での対話だと強く実感しました。初めましての人と1年もの時間を過ごすので、最初の頃は違和感を持ったり、受け入れられないと思う事があるのは当然です。でもその疑問を面白さに変えていくのは、一人一人の「言葉」だと感じました。

私自身、自分の思いや考えを口にすることにそもそも苦手意識を感じていました。もともとは話すことが好きではあったのですが、高校生の頃、間違ったことは言ってはいけない、話したことが評価される、そんな雰囲気が学校にあって、話す内容が正解なのかという不安や、相手が嫌な思いをしないかと顔を伺って話すことが癖になっていたことが原因でした。
しかし、暮らしの中で自分の思いを伝えなければならない場面や、自分の言葉で勝負するこどもたちと相談員に囲まれていると、意外にもすんなり言葉が出てきたり、全然伝わらなかったときにはもっと話したいと思うことが増えていきました。ただ伝える経験が少なかっただけだと実感するとともに、苦手というレッテルや無理だという思い込みに甘えていた自分に気付かされました。言葉にするほど、自分のあやふやだった思いや考えも整理され、そして目の前のこどもたちに何を伝えたいのかが明確になっていくことを積み重ねていくうちに、話すことがどれだけ仲間との暮らしに欠かせないかを実感しました。

また、相談員の話す言葉に日々目からウロコで、たくさん育ててもらったなと感じます。今まで聞いたことはないけれども、それぞれの内面から出るその言葉は、私もこどもたちもたくさんハッとさせられてきたことばかりでした。毎日を全員が楽しく過ごすために、暮らしの軸をぶらさないために、自分の言葉で話し続けることの大切さを学びました。
言葉は私達が持っているわかり合うための大切なツールです。その言葉をどう扱っていくのか、どのように磨いていくのかが、人と人とのつながりや、暮らしを形作っていくことを実感した1年でした。ただ、後半になると自分のできることの幅も増え、一緒に遊ぶこと、笑い合う時間が減ると今までの言葉だけでは届かなくなってしまった時期もありました。言葉だけに頼らず、目の前のこどもと向き合っていろんなコミュニケーションの方法を磨きたいと思います。
2.諦めるなんてできない
1年を振り返るといろんな出来事がありました。もちろん上手くいくことばかりではないし、思っていたとおりに行くことのほうが少なかったように思えます。小さな言い合いも、暮らしが回らないことも、意見のぶつかり合いも、当たり前のように生じてきました。そんなとき、最初の頃は相談員だから〜大人だから〜と言う意識がどこかにはあって、その中まで立ち入らないのが私の関わり方でした。しかし、山賊キャンプで相談員という立場を初めて傍から見たことにより、自分が1歩引くことや外から見ていることが、こどもたちの挑戦の可能性を減らしてしまうこと、仲間としての思いが伝わりにくくなってしまうことに気づかされました。

それから、こどもたちとの向き合い方を変えていきました。自分自身で向き合うこと、自分のできることで関わっていくことができるようになると、私自身の気持ちも安定して落ち着いて物事を捉えられるようになっていきました。部屋の掃除や揉め事などのささいな問題から、暮らしへの不安や悩みなどの根本の問題まで、今困っていることを明確にし、楽しく問題を解決していくことが私の関わり方へと変化していきました。問題ごとを問題と捉えずに、一緒に乗り越える壁になったとき、こどもたちの見え方も大きく変わったように思います。

そんな私自身で勝負する毎日が積み重なっていくたびに、最初は簡単に諦めていたこどもたちとの関わりも、暮らしのあり方も諦めることができなくなっていきました。上手くいかなかったらどうにか解決策を探したいし、何度も話に行ってわかり合うことをやめない自分がいました。本気になっていく自分を見て、こどもたちも次第に本気で向き合ってくれます。
その繰り返しが、相手をより深く知り、人との違いが楽しめるようになっていくのだと、頭ではなく日常の関わりの中で学びました。

3.この地にねざす暮らしと学び
1年間を通して、この泰阜村に親しみ、たくさんのチャレンジをしてきました。草木染めに野草茶作り、イノシシの解体や畑に田んぼ。村散策や村の方とのおしゃべり。「泰阜村だから出会えたこと」「泰阜村だからこそできたこと」ばかりです。自然の中でもともと育った私ではありますが、その経験と知識が繋がり合いながら、生きる知恵や面白さを身に着けていくこの暮らしは、また新しい学び場だったように感じます。

そんな中、『栃城』という泰阜村の中で最も山奥にある地区に散策に行ったことがありました。そこで出会った村の方とおしゃべりしているうちに、私が興味を持っていた竹細工で道具を手作りしていることを教えてもらいました。竹でできたザルのようなものだったのですが、人里離れた栃城では買うよりも作るほうが手っ取り早く、自分の好きなサイズや必要な形に合わせて作れるので、買うことはないということでした。これを聞いたとき、私は今まで竹細工を教わりたくて師匠を探していたこともあったのですが、ものづくりは暮らしの中に当たり前にあったもので、竹細工のプロとか先生とかではなく、誰もが生きるために身につけていた技であり、便利な知識となって学び継がれてきたものだと痛感しました。草木染めやわら細工、焼き物など、泰阜村の自然を活かしただいだらぼっちでのものづくりや暮らしも、特別なものではなく、日々の暮らしをより良くするための学びだったと改めて感じました。

ものづくりや受け継がれてきた知識というのは、本来生きていくために必要で、洗練されたものを作るために不可欠なものでした。人はなぜ学ぶのかとは、「生きるため」、「その土地でよりよく暮らしていくため」なのではないかと1年の体験とともに身にしみて実感しました。現代では学びが強いられたり、その目的が失われ、学びと暮らしとがかけ離されていることが増えてきています。
必要だから学ぶ、知りたいから教わる、自分事だから深める。その必然が生まれる環境をこれから関わる教育現場で大事にしたいです。

最後に、自然と仲間と思いっきり遊んだこと、ケンカしてぶつかってまた次の暮らしを作ってきたこと、いろんなチャレンジの中で向き合ってきたこと、その一つ一つが新しい自分の土台を作ってくれた1年でした。共に学び、共に成長してきた17人の仲間たち、支えてくださった相談員のみなさん、保護者の方々、1年間本当にありがとうございました。