過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目となる ~3月11日、ドイツは次のステージに進んでいる。日本は?

大学に入る前に、必ず第二外国語を選ぶと思います。
あれ?今はそんなことないのかな???
「文化・芸術ならフランス、研究ならドイツ」
私は、亡き親父にそうアドバイスされました。
じゃあ、ドイツかな?(笑)と、ドイツ語を選択。
それがドイツとのかかわりの最初。
1989年春のことです。
その年の11月9日、ベルリンの壁が崩壊し、東西ドイツの対立が終わりました。
それはそのまま冷戦の終結へと進みます。
今思えば、激動の時代でした。

ドイツではメルケル首相が大連立で続投するそうです。
現代の冷戦とも言われるウクライナの停戦あっせんをした剛腕です。
「米トランプ政権が米国第一を掲げて保護主義に傾くなか、ドイツのメルケル政権は国際協調や自由主義の最後のとりでと目され、メルケル政権が弱体化すると、世界で勢いを増す排外主義や孤立主義へのブレーキは一段とかけにくくなる」(ロイター共同)ということです。
私も同感です。
彼女は各地の講演で、ドイツが大戦後に周辺国と和解を進めるために「ドイツが過去ときちんと向き合った」と強調します。
その一方で、「隣国(フランス)の寛容さ」もあったといいます。
日本とアジア諸国に向けてのメッセージでしょう。

ドイツといえば、2015年2月に94歳で亡くなったワイツゼッカー大統領。
ドイツの敗戦40年にあたる1985年に連邦議会で行った「過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目となる」との演説がつとに有名です。
その原文を抜粋で記します。

今日の人口の大部分はあの当時子どもだったか、まだ生まれていませんでした。この人たちは自ら手を下していない行為について自らの罪を告白することはできません。
ドイツ人であるというだけの理由で、粗布(あらぬの)の質素な服をまとって悔い改めるのを期待することは、感情を持った人間にできることではありません。しかしながら先人は彼らに容易ならざる遺産を残したのであります。
罪の有無、老幼いずれを問わず、われわれ全員が過去を引き受けねばなりません。だれもが過去からの帰結に関わり合っており、過去に対する責任を負わされております>
問題は過去を克服することではありません。さようなことができるわけはありません。後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。しかし過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです。

この演説の日付は5月8日。
私の誕生日と同じ日付です。
なるほどこのような歴史的な日だったのか。
芸能人のだれそれと同じ誕生日などと言っている自分が恥ずかしい。

今日は言わずと知れた東日本大震災から7年目の日。
この日本では、70年前の過去もそうだが、7年前の過去ですらどこにいってしまったのかと本当に心配になります。
福島、東北の状況から目をそらしてはならないでしょう。
メルケル首相は、もともと原発推進論者です。
しかし東日本大震災の福島原発事故に直面し、政策大転換をしました。
高度な技術を持つ日本でさえ事故が起こり、現実とは思えないリスクがあります。
だから「ドイツの核の平和利用の時代は終わった。新しいエネルギー制度を構築を決める」と。

2022年に原発全廃をすると決定しました。
要は政治判断であり、政治家が決断するべきものだ、といいます
そして「日本も同じ道を歩むべきだ」と呼びかけています。
ドイツでは、2010年総発電量の17%だった再生エネルギーが、2017年上半期には37%に達しました
まさに有言実行の剛腕です。
ドイツはすでに「脱原発」ではなく「脱石炭発電」のステージに移っているといいます。
当事者の日本は7年間、いったい何が進んだというのでしょうか。
不思議でなりません。

過去を見つめる。
それは決して大げさなことではありません。
3月。
間もなく別れと出会いが訪れます。
1年前の今日、どのような気持ちでいたのか。
それをもう一度しっかりと考えてみたいと思います。
14時46分に黙祷をしながら。

代表 辻だいち