岐阜聖徳学園大学合宿 6人の女子たちの挑戦

岐阜聖徳学園大学の学生6名が集まり、2泊3日の合宿が行われました。将来教員を目指す学生たちに机上ではなく体を動かし「生み出す暮らしから学ぶとはなにか?」を考えるのがテーマです。

今回のプログラムは元学校林に作られた搬入路の法面に土砂の土留め作り。法面とは、山の斜面などに道を作ったときに削られた斜面のこと。土が露出していると冬に土の中の水分が霜になり、水分の抜けた砂はさらさらと落ちてきて、せっかく作った道路がどんどんと土に覆われていってしまうのです。その浸食を止めるための作業。

さて、この作業がはたして学生たちにどんな「学び」を気づかせてくれるのでしょうか?

まずは杭となる栗材を山から運び出します。栗は家の土台にも使われるほど腐りにくいため、杭などには最適。こういったときのために、以前倒しておいた栗材を森の中に隠し持っています。女性6名で協力して谷の下から尾根筋まで持ってあがります。軽いものももあれば、ひとりではとても持てないものまでさまざま。「木を持ったことが無い!」という学生たち。10数本を運び出した後に待ち受けていた通称「ラスボス」の大木を6名全員で持ってあがりました。その重さは「今回一番つらかったのは、最初の薪運びだった!」と言わしめるほど。思いのほか重かったこの材のおかげで、この後の作業はそれほど大変ではなくなったそうです。

持ち帰った材を小さく割り、ナタで杭にしていきます。はじめは慣れないナタを恐る恐るふっていましたが、時間が経つにつれ、驚くほど上達していきます。当初の目標は60本。最初の様子では、その目標を達成するのに夜の11時くらいまでかかるのでは?と不安に感じていましたが、なんと1時間足らずで90本を作り上げました!人の吸収する力と体得する力の可能性を感じました。

翌日はいよいよ土留め作業。

材を山から運び、杭を打っていくという単純作業。しかし慣れないハンマーなどの道具をどう使えばいいか?法面のどこに置けばよりよいのか?効率的な作業は?長さはどれが最適か?様々なことを考え、工夫し、実行していかなければなりません。こちらも最初の戸惑いから、慣れてくるごとにスピードは上がります。結果、当初の目標を大幅に上回る長さの土留めができました。

こちらがビフォー

そしてアフター!人で隠れていますが、その距離およそ60m。「わたしたちスゴイ!」女性だけの力でここまでできたことに参加者のみんなも驚いていました。

最終日はこの期間で得た「学び」「気づき」を言葉にしていくワークショップです。

「自分の無知さ」「人に頼ること、失敗は恥ずかしいことじゃない」「自分は一人前だと思っていたが、無力だと知った」「当たり前の暮らしのありがたさ」「コトバにすることの大切さ」「これまで時間をムダにしていた」「周りを気にしすぎていた」・・・。作業の知識を学ぶよりも、仲間との協働や自然の中で、自分に気づく姿がありました。

「学ぶとはなにか?」の問いに、「自分のものとなること」「頭で考えるのではなく心で捉えること」の答え。大学の授業では得られない確かな答えを得たように感じます。

この合宿の学びを支えている、一番大切なことは実は「みんなで暮らす」ということ。期間中の食材を全て渡し、参加者全員で食事当番を決め、メニューを決め、全部使い切ってもらいます。またお風呂も薪で焚いてもらいます。期間中のスケジュールは朝の集合時間だけを伝えて、その他の時間繰り、役割分担も全て参加者の話し合いで決めます。

ルールはただひとつ「全員の合意で決める」こと。誰かだけの負担になったり、リーダーが合理性だけで決めるのはダメ。必ず「みんなが笑顔」になることを大切にします。

「同じ釜の飯」「裸のつきあい」と言葉でいいますが、まさにその通り。「暮らし」の必然は互いを知り、協力を知ります。互いを知ることは違いを知り、長所短所を補いあうことを知っていきます。協力は、認め合いと一人ではできないことを力を合わせることで乗り越えられる、自分たちの可能性の大きさを知っていくことになります。

そしてなによりも大きいのは、そこで生まれる「信頼」という土台。「自分の思っていることを素直に話していい」という関係が、3日間で生み出した学びをお互いのものとして、「育ちあい」の場になっていくのです。

岐阜聖徳学園大学の活動も今年で4年目。合宿を通じて変化する学生の姿に、ここでの活動の効果を「確信しています」の言葉がありました。素直にうれしいと思うのと同時に、また来年どんな活動にしようかとドキドキもしてきます。

最後は、「土留めと杭」を体で表してハイチーズ。

やりきった6人に心からの拍手!

ちなみに今回驚いたのは、彼女たちの食欲。参加者と先生、スタッフで10人なのですが、朝食のお米が10合。昼はなんと20合!ひとり2合計算です。さすがに無理だろうと思っていたのですが、なんと完食。作業を支えたのはその胃袋なのかもしれません。