過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目となる ~2021年5月8日に~

大学に入る前に、必ず第二外国語を選ぶと思う。
あれ?今はそんなことないのかな???
「文化・芸術ならフランス、研究ならドイツ」
私は、亡き親父にそうアドバイスされた。
じゃあ、ドイツかな?(笑)と、ドイツ語を選択。
それがドイツとのかかわりの最初。
1989年春のことだ。
その年の11月9日、ベルリンの壁が崩壊し、東西ドイツの対立が終わった。
それはそのまま冷戦の終結へと進む。
今思えば、激動の時代だった。

ドイツといえば、2015年2月に94歳で亡くなったワイツゼッカー大統領。
ドイツの敗戦40年にあたる1985年に連邦議会で行った「過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目となる」との演説がつとに有名だ。
その原文を抜粋で記す。

今日の人口の大部分はあの当時子どもだったか、まだ生まれていませんでした。この人たちは自ら手を下していない行為について自らの罪を告白することはできません。
ドイツ人であるというだけの理由で、粗布(あらぬの)の質素な服をまとって悔い改めるのを期待することは、感情を持った人間にできることではありません。しかしながら先人は彼らに容易ならざる遺産を残したのであります。
罪の有無、老幼いずれを問わず、われわれ全員が過去を引き受けねばなりません。だれもが過去からの帰結に関わり合っており、過去に対する責任を負わされております>
問題は過去を克服することではありません。さようなことができるわけはありません。後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。しかし過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです。

この演説の日付は5月8日。
私の誕生日と同じ日付だ。
なるほどこのような歴史的な日だったのか。
芸能人のだれそれと同じ誕生日などと言っている自分が恥ずかしい。

この世界的な、いや歴史的なコロナ感染の最中に、ドイツのメルケル首相の言葉と政策が改めて注目された。
「開かれた民主主義に必要なことは、私たちが政治的決断を透明にし、説明すること、私たちの行動の根拠をできる限り示して、それを伝達することで、理解を得られるようにすることだ」
「旅行および移動の自由が苦労して勝ち取った権利であるという私のようなものにとっては、このような制限は絶対的に必要な場合のみ正当化されるものだ。そうしたことは民主主義社会において決して軽々しく、一時的であっても決められるべきではない。しかし、それは今、命を救うために不可欠なのだ」
「今は距離だけが、思いやりの表現なのだ」
力強さも派手さもないが、排外主義や孤立主義、自国保護主義を勇ましく誇張する世界の為政者たちとは、明らかに一線を画している。

メルケル首相は各地の講演で、ドイツが大戦後に周辺国と和解を進めるために「ドイツが過去ときちんと向き合った」と強調し続ける。
その一方で、「隣国(フランス)の寛容さ」もあったという。
日本とアジア諸国に向けてのメッセージだろう。
日本はいったい、何をしているのだろうと、もどかしくなる。
かきむしられるような焦燥感は、私だけではないはずだ。

この日本では、76年前の過去もそうだが、例えば10年前の過去(東日本大震災の原発災害)ですらどこにいってしまったのかと本当に心配になる。

いや、今の首相と前首相の政権になってから9年、次々と発表される政策スローガン(地方創生、助成活躍、1億総活躍、働き方改革、全世代型社会保障・・・)は振り返って検証されることもなく、総括されることもなく、また次のスローガンが発せられていく。
こんな直近の過去に目を閉ざしたまま、このコロナに立ち向かう今現在を見つめることができるのだろうか、未来を語ることができるのだろうか。

もう1年以上も経つのに、PCR検査が世界の国々に比べて圧倒的に少ないという。
頼みの綱のワクチンもまた世界的に遅れを余儀なくされる中でも、「オリンピック開催は大丈夫だ」という。
政府が発表する言葉や数字、政策を信じたい、信じてみたいと想う。
しかし、この9年、公文書を改ざんされ、廃棄され、都合の悪い事実がなかったことにされ続けてきた国民の一人としては、その言葉や数字を数字をどう信じろというのか。
「記憶にない」→「実はあった」総務省接待事件や、「あるかないかも答えない」→「実はあった」という公文書改ざんの“赤木ファイル”事件などを見せ続けられてきた若者は、政府あげての「自粛お願い」を「はいわかりました」と受け入れるわけがない。
「過去を変える」「起こらなかったことにする」という禁じ手を、無反省に使い続けてきた為政者に、この国の緊急事態をコントロールする資格はないのではないか、未来を語る資格がないのではないか。
そんな想いが、怒りの感情とともに湧き上がってくる。

暮らしの学校「だいだらぼっち」と一緒に

過去を見つめる。
それは決して大げさなことではない。
5月8日。
私は51歳の誕生日を迎えた。
私自身も、厳しい決断を下す日々がもう1年以上続いている。
この決断を振り返る日々、目を開く日々は、永遠に続く。
しかしそれこそが、過去に目を閉ざさないことことそが、この危機的状況を切り拓く唯一のことなのだ。
そのことを心に刻む誕生日になった。

最後に、丈夫な身体に産んでくれた故郷のおふくろに感謝したい。

代表 辻だいち