代表理事:辻だいち 2020年頭に ~大人はこどもに未来(希望)を語れ~

「教えるとは、未来(希望)を共に語ること」

フランスの詩人、ルイ・アラゴンが言った。

1943年11月、中仏オーヴェルニュ地方においてストラスブール大学の教授、学生が銃殺され、数百名が逮捕される事件が起きた。
大学は、戦火と弾圧を避けて、ストラスブールからクレルモンという地に疎開し、再びこの地で開学していた。
彼がこの悲劇の最中にその心境を唄った「ストラスブール大学の歌」の中に、冒頭の言葉がある。
青年への虐殺が繰り返される絶望的な状況に陥ってもなお、命をかけて未来を切り拓こうとする姿勢こそ「教える」ことの本質だ、というこの言葉は、現代の我々に教育の本質を強烈に突きつける。

「貧すれど貪せず(貧しいけれども、心は貪しない)

これは、南信州泰阜村の魂の言葉だ。

昭和初期の世界恐慌。泰阜村でも村民の生活は窮乏していた。
村では教員に給料を支払えず、給料を村に返上して欲しいと要望が出る。
しかし当時の校長は、「お金を出すのはやぶさかではないが、目先の急場をしのぐために使うのではなく、むしろそのお金をもって将来の教育振興に役立てるべきだ」と、将来を担う子どもの情操教育のための美術品購入を村に提言した。
「どんなに物がなく生活が苦しくても、心だけは清らかで温かく、豊かでありたい」という考えは、村民のほとんどから賛同を得られたという。
最も厳しい時にこそ、子どもの未来にお金も気持ちも注ぐべき、という気風は、泰阜村に暮らす人々に今なお脈々と受け継がれている。

命をかけて、全てをかけて、こどもに未来を示す。
それが「教育」の本質だと。
フランスでも信州の山奥でも、昔の人はかくも壮絶な想いで教育を捉えていたのかと絶句する。

泰阜村に「育てる」という意味の「ひとねる」という方言がある。
子どもが「育つ」ことを「ひとなる」ともいう。
人に成る、人間になるというわが村の誇り高き方言だ。
一人前になるためには、未来を共に語る命懸けの気概を持った大人が必要なのだ。

後を絶たない虐待や性犯罪、どうしてこうなるのかと目を疑う殺人事件。
身内優遇、不都合なことは説明拒否、証拠は隠す・改ざんする政治と行政。
社会保障に使われるはずの税金が、軍備拡大に何の躊躇もなく使われ、格差と貧困はさらに増えていく。
この国の大人は、こどもたちにどんな未来を示してるというのか。
ひとびとの人権や尊厳といった当たり前のことがないがしろにされていないか。
とりわけ子どもたちが危ない、というのは万人が想うことだろう。
子どもたちはあらゆるSOSを出している。
子どもたちの未来・希望を語る大人でいられるかどうか。
大人こそ瀬戸際にいる。

2020年を迎えた今、教育に心血を注ぐ気概を強く持ちたい。

※あけましておめでとうございます。

今年もまた代表辻だいちのブログ「わが大地のうた♪」をご笑覧ください。

代表 辻だいち