2021教師指導者育成プロジェクト~モアイ 10月の研修報告~

あんじゃねの森の整備

 あんじゃねの森の整備を行いました。作業内容は、だいだらぼっちで行われる陶芸作品を焼くための登り窯の燃料になるアカマツを30本倒し、玉切(等間隔で切断する)にすることと、害虫により立ち枯れしているナラを倒すこと。自分は伐倒と現場での玉切りはできないため、ナタやノコギリでマーキングや藪の処理等を行いました。今回の活動で、感じたことは2つです。

 1つ目は、30mを超える樹木の伐倒を初めて見たのですが、その迫力に驚き、伐倒は命がけだということを身を持って知りました。

 2つ目は、今回に限らずですが、森整備は面白いということ。暗い森の木を倒し、光を入れると、明るいところが好きな木(陽樹)がでてくる。陽樹の中でも、食べられるものや優占種(最も数が多く、森の特徴を表す種)ではないものを考えて残す。木が少なくなると明るくなるが、雨が地面に直接当たるので、地ごしらえをする。何が言いたいかというと、森整備の面白さは「10年後100年後に結果がでるところにある」のでは?ということです。

 森の整備は確かな知識と技術が必要で命がけ、体力的にも大変。でも動植物種も増え、土砂崩れ防止機能も高くなる大切な仕事です。来年度以降、働く中で、今年同様、森に関することをやりたいと思えるのか、また思ったとしてもその環境があるのかは分かりません。だから、今できることを今できる間にやる。また、その環境があることが当たり前でないことを改めて思いました。

だいだらっこに授業をしてみて

 「学ぶことの面白さ」を、今ここで表現したい、という思いで自分が学生時代にしていた研究の話を、だいだらっこにしました。

 終わってから、「意外と面白かった」という声が上がったことから、楽しんでもらうことはできたと思います。一方で「短かった」という声もあがりました。時間は15分と実際に短かったですが、それ以上に「研究の話」から「彼らが普段受けている授業の意義」への、繋がりが弱かったことが原因だと思います。それができたら「学ぶことの面白さ」を、より伝えることができた、という改善点も残りました。

 この経験から感じたことは2つです。1つめは、暮らしから学ぶ場で授業をした違和感です。この違和感は、自分がこどもたちと「自然科学を暮らしから学ぶ」ことができているのか?を考えるきっかけになりました。私にとっての「自然科学を暮らしから学ぶ」とは「自然の中に身を置き感じること」です。今月を振り返ると、こどもたちと、冬野菜を育てる・野宿(2日連続)・川で釣り(竹で釣り竿をつくるところから)、秋の森の味覚(あけび・むかご)を楽しむと、こどもたちと「自然の中に身を置き感じること」ができていたと思います。来月以降も今月同様、続けていきます。

 2つ目は「緊張」です。今年度、一人で授業をするのは、就職活動で模擬授業を2回していたので、3回目。試験官の先生方に授業をするより、だいだらっこに授業をする方が数倍「緊張」しました。この違いは「伝えたいことがあるか否か」「相手のことを思っているか否か」だと思います。また、今回の「緊張」は去年、授業毎に感じていた「緊張」を思い出させました。この感覚を忘れず、来年度に向けての準備を少しずつ積み重ねる必要があると改めて思いました。

〈10月研修担当サンのふりかえり〉

10月の振り返りを聞いて、泰阜村の豊かな自然環境が生物学というモアイの専門性を養っていると同時に、モアイの専門性が暮らしから学ぶというねっこ教育を実践しているグリーンウッドで活かされていると思いました。

日々の暮らしから感じたことを敏感に感じ取り、言語化し、そして意識的に実践につなげることができるモアイだからこそ、ここでの時間を最大限に活かせているのではないかと思いました。豊かな感受性を使って、ここでしかできないことを引き続き残りの時間でチャレンジし、こどもたちに暮らしから学ぶことの楽しさを伝えてもらいたいです。